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1.美しい人
「あれ? なんだお前、足痛めたのか?」
いつも飄々としている隊長が、軽い口調で、口元に薄く笑いを浮かべたまま、私に尋ねる。
深刻になり過ぎない程度の声かけ。
他の隊員達を不安にさせないため、そして私に気遣っての事だろう。
証拠に、その宝石の様な青い瞳だけは、心配そうに私の足の動きを注視していた。
「ええ、少し……」
私は、痛まない右足を、そうと気付かれないよう慎重に、ぎこちなく引きずった。
我々三番隊は朝から続いた魔物討伐をようやく果たし、凱旋の最中だった。
私の直属の上司である三番隊の隊長は、金髪碧眼に整った中性的な顔立ちで、スラリとした細身の男だ。背こそ低くはないものの、騎士団には屈強な男達が多く、そんな中ではともすれば小柄にも見えてしまいそうな風貌。
それでいで、この隊長は敵を前にすると、恐ろしい程に鋭い一撃を放つ。
それも、こんな風に普段と変わらない笑みを浮かべたまま……。
学院を主席で卒業した私は、本来なら今頃この人と同じ中隊長になっているはずだった。けれど、私は一昨年から昇進の誘いを断り続けていた。
どうしてと問われれば『隊長が頼りないので』と補佐の必要性を理由に挙げてはいた。
だが本当は、私自身が、この方の側からどうしても離れ難かったのだ。
美しくしなやかな肢体から繰り出される、鮮やかで強烈な一撃。
剣を嗜む者なら、何一つ無駄のないその斬撃に目を奪われぬ者はいないだろう。
私もその一人だった。
初めは、その技を自身のものにしようと、彼を観察していた。
けれど、桁違いの強さを彼はひけらかす事もなく、それどころか、魔物討伐自体にも大した意欲を見せず、彼はただ隊員達に目を向けていた。
他の隊長達と大きく違うのはその点だった。
隊員の全員へ心細かに配られるさりげない気遣い。
軽い口調で行われる日々のマメな声かけで、彼は隊員達全員の家族構成どころか、親戚や甥姪の誕生日まで記憶している様だった。
鮮やかな金髪に彩られた明るい笑顔、透き通る青い瞳に繰り返し見つめられれば、気付いた時には、私は彼以外、完全に見えなくなっていた。
彼に想う相手がいる事は、すぐに分かった。
隊員の中にも気付いている者は多いだろう。
それほどに、彼はその相手だけを一途に想っていた。
ただ、相手を気遣うその性格から、その想いは一生叶わないものと思っていた。
彼の思う相手は、同じ騎士団の九番隊隊長で、今でこそ魔物に家族を喰われて一人ではあるが、過去には結婚し子どももいた男性だった。
二人は学生の頃からの親友らしく、距離は近かったが、彼はその距離をそれ以上詰められずにいた。
九番隊の隊長にとって、男は恋愛対象ではない。そんな空気は誰にでも分かった。
だからこそ、私は、彼の側を離れられなかった。
彼が、いつの日かその想いを諦める日が来るかも知れない。
そうでなくても、私を見てくれる日は来るかも知れない。
――……そう思っていたのに。
ギリ。と奥歯が小さく音を立てて、私はハッと顔を上げる。
鳥達の足音がいくつも重なり、隊員達の甲冑が音を立てる中、私の歯軋りはかき消されただろうか。
先頭を行く隊長は、いつの間にか若い隊員達をそばに呼んで、今日のこんなところが良かったとか、ここを気をつけるともっと良くなるとか、いつものヘラッとした表情と気負わない口調で話していた。
普段は城に着いてからやるはずの反省会を、今日はやらずに解散させるつもりだろうか。
それは、もしかして、私のためなのだろうか……。
そう推測すれば、彼を騙すことへの罪悪感よりも、喜びの方がずっと大きい自身に気付く。
もう私は、駄目なのだ。
……いや、きっと、とっくに私の理性は駄目になっていたのだ……。そう思いながら、私は小物入れに入った小瓶と鍵を指先で確認した。
ひやりと冷たい感触は、まるで自分の心のようだ。
それなのに、口元にはいつの間にか笑みが滲んだ。
「イムノス、大丈夫か?」
隊長に軽い口調で声をかけられて、私は表情を消して顔を上げた。
美しい青色が、私をじっと見つめている。
「ええ」
短く答えれば、隊長はホッとした様子を瞳だけに隠して「そうか」とへらっと笑った。
この方を私だけのものにしたい。
その思いは、もうどうしようもないほどに膨れ上がっていた。
隊長は城に着くと手早く隊を解散させ、私に駆け寄る。
「医務室まで送るよ。俺の肩、掴まるか?」
明るいオレンジ色のマントを翻して、私よりも背の低い隊長が、私の肩口から私を見上げる。
私に答えを求めるように、小さく首を傾げる隊長。
明るい金の髪が、私の隣でさらりと揺れれば、花のような甘い香りが柔らかく漂う。
この方は、どうしてこんなに美しくて、どうしてこんなに無防備なのか。
――私を微塵も疑っていないこの人を、連れ去るのは簡単だった。
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