1 / 14

1.美しい人

「あれ? なんだお前、足痛めたのか?」 いつも飄々としている隊長が、軽い口調で、口元に薄く笑いを浮かべたまま、私に尋ねる。 深刻になり過ぎない程度の声かけ。 他の隊員達を不安にさせないため、そして私に気遣っての事だろう。 証拠に、その宝石の様な青い瞳だけは、心配そうに私の足の動きを注視していた。 「ええ、少し……」 私は、痛まない右足を、そうと気付かれないよう慎重に、ぎこちなく引きずった。 我々三番隊は朝から続いた魔物討伐をようやく果たし、凱旋の最中だった。 私の直属の上司である三番隊の隊長は、金髪碧眼に整った中性的な顔立ちで、スラリとした細身の男だ。背こそ低くはないものの、騎士団には屈強な男達が多く、そんな中ではともすれば小柄にも見えてしまいそうな風貌。 それでいで、この隊長は敵を前にすると、恐ろしい程に鋭い一撃を放つ。 それも、こんな風に普段と変わらない笑みを浮かべたまま……。 学院を主席で卒業した私は、本来なら今頃この人と同じ中隊長になっているはずだった。けれど、私は一昨年から昇進の誘いを断り続けていた。 どうしてと問われれば『隊長が頼りないので』と補佐の必要性を理由に挙げてはいた。 だが本当は、私自身が、この方の側からどうしても離れ難かったのだ。 美しくしなやかな肢体から繰り出される、鮮やかで強烈な一撃。 剣を嗜む者なら、何一つ無駄のないその斬撃に目を奪われぬ者はいないだろう。 私もその一人だった。 初めは、その技を自身のものにしようと、彼を観察していた。 けれど、桁違いの強さを彼はひけらかす事もなく、それどころか、魔物討伐自体にも大した意欲を見せず、彼はただ隊員達に目を向けていた。 他の隊長達と大きく違うのはその点だった。 隊員の全員へ心細かに配られるさりげない気遣い。 軽い口調で行われる日々のマメな声かけで、彼は隊員達全員の家族構成どころか、親戚や甥姪の誕生日まで記憶している様だった。 鮮やかな金髪に彩られた明るい笑顔、透き通る青い瞳に繰り返し見つめられれば、気付いた時には、私は彼以外、完全に見えなくなっていた。 彼に想う相手がいる事は、すぐに分かった。 隊員の中にも気付いている者は多いだろう。 それほどに、彼はその相手だけを一途に想っていた。 ただ、相手を気遣うその性格から、その想いは一生叶わないものと思っていた。 彼の思う相手は、同じ騎士団の九番隊隊長で、今でこそ魔物に家族を喰われて一人ではあるが、過去には結婚し子どももいた男性だった。 二人は学生の頃からの親友らしく、距離は近かったが、彼はその距離をそれ以上詰められずにいた。 九番隊の隊長にとって、男は恋愛対象ではない。そんな空気は誰にでも分かった。 だからこそ、私は、彼の側を離れられなかった。 彼が、いつの日かその想いを諦める日が来るかも知れない。 そうでなくても、私を見てくれる日は来るかも知れない。 ――……そう思っていたのに。 ギリ。と奥歯が小さく音を立てて、私はハッと顔を上げる。 鳥達の足音がいくつも重なり、隊員達の甲冑が音を立てる中、私の歯軋りはかき消されただろうか。 先頭を行く隊長は、いつの間にか若い隊員達をそばに呼んで、今日のこんなところが良かったとか、ここを気をつけるともっと良くなるとか、いつものヘラッとした表情と気負わない口調で話していた。 普段は城に着いてからやるはずの反省会を、今日はやらずに解散させるつもりだろうか。 それは、もしかして、私のためなのだろうか……。 そう推測すれば、彼を騙すことへの罪悪感よりも、喜びの方がずっと大きい自身に気付く。 もう私は、駄目なのだ。 ……いや、きっと、とっくに私の理性は駄目になっていたのだ……。そう思いながら、私は小物入れに入った小瓶と鍵を指先で確認した。 ひやりと冷たい感触は、まるで自分の心のようだ。 それなのに、口元にはいつの間にか笑みが滲んだ。 「イムノス、大丈夫か?」 隊長に軽い口調で声をかけられて、私は表情を消して顔を上げた。 美しい青色が、私をじっと見つめている。 「ええ」 短く答えれば、隊長はホッとした様子を瞳だけに隠して「そうか」とへらっと笑った。 この方を私だけのものにしたい。 その思いは、もうどうしようもないほどに膨れ上がっていた。 隊長は城に着くと手早く隊を解散させ、私に駆け寄る。 「医務室まで送るよ。俺の肩、掴まるか?」 明るいオレンジ色のマントを翻して、私よりも背の低い隊長が、私の肩口から私を見上げる。 私に答えを求めるように、小さく首を傾げる隊長。 明るい金の髪が、私の隣でさらりと揺れれば、花のような甘い香りが柔らかく漂う。 この方は、どうしてこんなに美しくて、どうしてこんなに無防備なのか。 ――私を微塵も疑っていないこの人を、連れ去るのは簡単だった。

ともだちにシェアしよう!