1 / 1
第1話
「………あのさ、相談あるんだけどいい?」
遠慮がちに尋ねてくるのは、幼馴染の美知留だった。向かいの家に住む美知留は、おすそわけの果物を持ってきたついでに、俺の部屋に立ち寄ったらしい。
勝手知ったる様子で、俺の部屋のドアを開け、おずおずとした遠慮がちな態度で、ベッドに座り込む。
俺は、パソコンに向かったまま、面倒臭そうな声を出した。
「何ィ? どーぞ?」
どうせ、つまらないことを言い出すだけだろうと思っていたら、次の瞬間、奴の口から発せられた言葉は、俺を驚かせるに足りるものだった。
「僕、C組の後藤さんに告られた」
思わず振り返りかけて、踏みとどまる。背中を向けておいて良かった。驚いた顔を見られたくはない。
返事に窮し、しばらく、黙り込んでいた。指だけがかってにキーボードを叩いていた。すると、ぼそぼそとした声が聞こえてくる。
「………将也? 聞いてる? 邪魔かな?」
美知留は、俺が、モニターに集中していると思ったらしい。
お前が、邪魔だったことなど、一度だってない。ほんのわずかな瞬間であっても、俺は、お前を邪魔に感じたことなどない。
パソコンのモニターの黒い部分に映る美知留は、俺の背中を眺めている。部屋を去るつもりらしく、ベッドから腰を上げた。
くそ、面倒臭い奴。
どうして、こいつは、俺の心乱すんだろう。俺の思うがままにならない。大抵の奴は、俺が意図せずして、俺の思うように動いてくれるというのに。こいつだけはままならない。
そして、皮肉なことに、世界でたった一人、お前だけが俺の思うがままにしたいと欲する存在だ。
だから、俺はお前を少しずつ誘導するしかなかった。長い時間をかけて。幼いころから、今まで、ずっと長い時間をかけて。
本当に手をかけてここまで来たというのに。
「何? お前が告られたって? あー、まさか、冗談?」
表情を取り繕いながら、面倒臭そうに肩をぽきぽき鳴らして、振り返った。俺と目がぶつかると、奴は、途端に俯いた。自信のない美知留は、誰とも目を合わすことができない。
「僕も冗談かと思ったけど、そうじゃないみたいで……。付き合ってほしいって言われたんだけど、どう思う?」
信じられない話だ。信じたくもない。まだ、こいつに近寄ろうとする人間がいるのか。こんな自信なさそうな駄目男になり下がった、こいつに。
友だちもなく、モテもしない、こいつに。
「さー? お前の好きにすればいんじゃね? 何で俺にそんなの、相談するわけ?」
「……僕には、将也しか、話せる相手いないから」
だよな? お前には、俺しか、いないもんな?
ブサイクで性格もひん曲がっている美知留くんには、幼馴染で面倒見のいい優等生の将也くんしか、喋れる相手はいないんだもんな。
「僕、将也がいなければ、何もできないし」
そうだ。その通り。頭の悪いお前は、俺がいないと何もできない。いつの間にか、そういう奴になっちまったんだよな。
「お前は、どうしたいの?」
どうせ、わからない、と、答えるほかないだろう。
高をくくって、俯いた顔を眺める。震えている頬を、そっと撫でて守ってやりたい衝動に駆られながら。
幼いころは、活発で、明るかった美知留。誰にも好かれて、誰とでも仲良くなった美知留。俺は、幼馴染の美知留が好きで、美知留が自慢だった。いつも美知留を追いかけてた。
いつの日だっただろう。
ただの幼馴染でいるだけでは我慢ならない自分に気付いたのは。
美知留を自分だけのものにしようと思ったのは。
誰にも触らせたくない、その声を聞かせたくない、その姿を見せたくない。
俺だけのものにしてしまいたい。
俺は、いつしか、美知留を誘導し始めていた。学校でも放課後でも、いつでもそばにいて、ことあるごとに、陰で奴の足を引っ張り、奴を失敗させ、自信を失わせる。そうしておいて、俺が失敗から救ってやり、慰めてやる。
長い時間を懸けて、俺の助けがなければ、何もできない駄目な奴に仕立て上げた。自信喪失した情けない奴、俺に頼り切るしかなくなった奴に。
美知留は、格好の悪い惨めな男になり下がり、友だちもいなければ、女の子も近寄らない男になった。
一方、俺は、ずっと、スポーツも勉強も万能な優等生の地位を保っている。高校は、わざわざ美知留のために進路を下げてやった。惨めな美知留を見捨てない面倒見のいい幼馴染を演じ続けている。
美知留の両親だって、当然、俺に感謝している。
俺がいなければ、独りぼっちの美知留。周囲に溶け込めない浮いた存在の美知留。
美知留―――。
お前には、俺がいればそれでいいだろう? 他には、何も要らないだろう?
「付き合う自信がないなら、やめとけよ」
美知留からすべてを奪い尽くし、俺だけを与えてやる。
俺は、そのことに満足していた。たった今までは。
黙り込んだままの美知留が、顔を上げた。俺の顔を正面から見返してきた。久しぶりに、まっすぐ見つめてくる美知留の目を見た気がしていた。
少しばかり……、いや、かなり、俺は慄いていた。
手の中に掴んでいるマウスが、ふと、勝手に動きだしたような錯覚に捕らわれる。
「せっかく、告白されたから、付き合ってみようと思うんだ」
…………え?
今何を言った?
何を言ってるんだ、こいつは。美知留のくせに。お前は何も判断するな。何でも俺に任せておけばいいんだ。
理不尽な憤りが湧き起こる。よその女に勝手に告白されやがって。お前は、誰にも相手にされなくていいんだよ。
作り上げた作品に罅が入るように、嫌な予感が胸を覆い始める。
「ねえ、将也はどう思う……?」
どう思うも何も、クソ、としか思わない。
「……やめとけ」
妙に裏返ってしまった声をごまかして、咳き込んだ。
「……大丈夫?」
美知留は、立ち上がり、俺のそばまでやってきた。
俺は、その顔を眺めながら、頭の中で、組み立て始める。どう進めたら、こいつが、女と付き合うなんて馬鹿な考えを捨てるか、思考を巡らせる。こいつにそんな自由など与えない。
俺の表情に何かを感じたのか、不安そうに顔を曇らせる美知留。
どうしたことだ? まっすぐに見つめてきやがる。
俺は内心で、そのことを不愉快に思ったが、作り笑いを浮かべてみせた。
不安そうな美知留。俺を頼りきっている美知留。だが、こいつは、苛立つことに、俺に頼り切ってはいけないなどと、思い始めている。
くそ、そのままでいいのに。自分の足で立とうとなど思わないでいいのに。頼むから、そう思うな。
俺は、いつもの笑みを浮かべる。こいつが安心する、いつもの笑みを。
「後藤って、美人で目立つけど、良い噂ないぜ。性格悪いって、うちのクラスの女子が言ってた」
「……そ、そうなの? そうは見えなかったけど?」
おどおどと見つめ返す目。
けど?
反論か? 俺に対して、違う意見を述べようと思っているのか。
遠慮がちであっても、俺に反論するのは許さない。叩きのめさねばならない。
「お前、見る目ないからな。大体、後藤みたいに、男に不自由しそうにない女が、お前に声を掛けてくるって、何か企んでるとしか思えないだろ?」
「あ…………」
途端に、目を逸らし、俯く美知留。女の子に告白されて、少しは自信を持ったようだが、そんなの俺が打ち砕くに決まってる。
苦々しいものが胸にこみ上げる。
知らないところで、こいつが何をしているのか、だんだん把握できなくなっている。いつまで、こいつを手のうちで操れるのか。俺の檻に閉じ込めておけるのか。
一瞬でもこいつから目を離したら、途端にこいつは生き生きと動き出し、俺から離れて自由に羽ばたいて行くのではないか、という不安。
ただの不安ではない。実際、俺がいなければ、こいつはもっと優れていて明るい奴なのだから。こいつの今の現状は、俺が作り上げた虚像にすぎないのだから。
自信を失った顔の美知留に追い打ちをかける。
「お前、からかわれてるんだよ。きっと、罰ゲームか何かだ。じゃないと、お前みたいなキモくて、頭の悪い奴が本気で告られるはずないだろ?」
ますます俯き込んで、表情が曇っていく美知留。頼りなさそうな背中が震え始める。虚像は、まだ崩れない。崩れさせるわけにはいかない。
「………そうだね。多分、そういうことだよね」
そうだ。そういうことだと思っとけ。その女が本気か遊びかわからないが、そんな女と金輪際関わりを持つな。
いつもの惨めな奴にすっかりと戻ってしまった美知留。ちらりと俺に視線を寄越し、また、俯く。
「………じゃあ、どうすればいい?」
「無視しとけ。声を掛けられても、ほっとけ。絶対に話しをするな」
「………うん、そうだね。そうする」
「美知留は、いろいろと駄目なところも多いけど、根は良い奴だって俺だけは知ってる。お前に傷ついてほしくない」
叩きのめしておいて、今度は、優しい声音で、語りかける。
「………うん。ありがとう、将也」
震えている美知留の瞼。
美知留は、うっすらと涙を浮かべている。
可哀相だが、これは、告られたお前が悪い。俺以外の人間に好意を向けられて、その好意に乗ろうと考えたお前が悪いんだ。
だから、惨めに泣けばいい。
「美知留、泣くな。俺もつらくなるだろ。お前は俺の大事な幼馴染なんだからさ」
お前に優しいのは俺だけでいい。
「僕、将也がいないと、何もできないよ………」
「そうだな。お前、俺がいないと駄目だもんな」
「将也だけは、僕を見捨てないで………。僕、将也がいないと、生きていけないよ」
ならば、俺から離れるな。俺以外と喋るな。俺以外を見るな。
俺から自由になろうとするな。
お前は俺の初めてで、そして最後だ。
「俺がずっとそばにいてやる。美知留、お前には俺さえいればそれでいいだろ?」
お前がいないと生きていけないのは、それは。
束の間、狂気に取りつかれる。
―――鎖につないで、誰の目にも触れないところに閉じ込めてしまえればいいのに。
ともだちにシェアしよう!