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初恋葬送シンデレラ

(すみれ)くん、これで僕のこと殺してくれない?」 「今日はどうした?」  この夏、共にキャンプに行った際に使ったサバイバルナイフを前に正座し、俺こと神楽木(かぐらぎ)菫の恋人――白藍(しらあい)硝真(しょうま)はなんとも剣呑なことを言い放った。  とは言え、物騒な発言自体はそう珍しいことではない。  ひとつ屋根の下で暮らすようになって半年ほどが過ぎたが、「おはよう」と「おやすみ」と「大好きだよ」の次くらいには殺害を要求されている気がする。 「大丈夫だよ。僕がちゃんと足のつかない方法を考えてあるから」  そう言って、ナイフの横に置かれたA4用紙の束をぺしぺし叩く硝真。一番上にある紙に無機質なゴシック体で綴られた『白藍硝真殺害計画』の文字を見るのは、これで何度目だろうか。  ともに通う大学では、教授陣にも一目置かれる好成績を収めている彼が考案した計画だ。綻びひとつ無いだろうことは見なくてもわかる。尤も、その頭脳を他の方面に活かしてほしいと思うのは俺だけではないはずだが。 「……今回の理由は?」  落ち着き払った様子で淡々と原因を探ろうとする俺の態度が面白くないのか、硝真はその白くすべらかな頬をまるく膨らませ、鋭い眼差しを寄越す。 「……高橋君が、言ってたんだ」  高橋とは、俺と同じ学部の同期生の事だ。大学に入ってからの友人だが、そこまで深い付き合いはしていない。たまに昼を一緒に食べたり、レポートの相談をしたりする程度の、当たり障りない関係だ。  硝真と出逢うよりも前に、数合わせで合コンに付き合わされた事もある。しかし、奴はかなりのスピーカー体質だったようで、俺を含めた合コンメンバーのその後の色恋沙汰についてをよく噂していた。  そういった点も考慮し、俺は無用なトラブルから硝真を守るべく、高橋には俺達の関係についてを明言してはいなかった。それが裏目に出たようだ。 「……女の子に告白されたんでしょ? 高橋君と同じゼミの先輩だって言ってた」 「……あー……」  高橋が俺達の関係を知っていたなら、さすがに硝真に対してその話はしなかったと思う。これは俺の落ち度だ。  正直、こうして問われなければ、俺はこの件を隠し通すつもりでいた。初めから断る以外の選択肢は持ち合わせていないし、硝真に余計な不安を与えたくなかったから。 「やっぱり本当なんだ。……ねえ、どうして僕に黙ってたの? その子と付き合おうって思ったから? 僕のことがもう嫌になった? ねえっ、答えてよ!」  口を挟む隙も与えて貰えないのに、俺の答えを求める。こうなる事がわかっていたから、黙っていた。透き通った瞳が、みるみる涙の底へと沈んでいく。 「やだ、やだ、やだよぉ……菫くんがいないと生きてけない……。僕を捨てるくらいなら殺してよ。僕のこと、一生忘れられないように、」  ――誰としあわせになったって、ずっと僕の影が消えないように。  色の薄い瞳から溢れる涙と一緒に、呪いめいた言葉をぼろぼろ零す硝真。ベルベットのソファの上で崩れる正座。投げ出される白いつま先。抱きしめるには、まだ少し遠い距離。  硝真はこうしてひとりで思い込みを深めては、自己完結する悪い癖がある。思えば、初めて出逢った時から。    *****  その日、大学近くの駅の階段を上っていた俺の目の前に、靴が片方、転がり落ちてきた。特徴的なアローデザインが施されたスニーカー。思わず顔を上げた先に、そいつは居た。  離れていたって輝いて見える、つやつやのプラチナブロンド。大きな目は色素の薄い青で、空と海の境目のようだった。そして、足跡ひとつ無い雪原みたいになめらかで白い肌。すべてが初めて目にする美しさだった。つまりはめちゃめちゃ好みの容姿をしていた。  眼前に転がるスニーカーを拾い上げる。それはどう見ても男物だった。少しも落胆を感じなかったと言えば嘘になるが、それよりも、(つまず)いたのだろう姿勢そのままで不安げにこちらを見つめるそいつを、放っておけないという気持ちの方が強かった。十段に満たない距離を詰め、座り込む彼の前に立つ。 「大丈夫かよ、シンデレラ?」  冗談めかしてそんな風に問いかけた。  一瞬だけきょとんとした顔をした後、ふわりと綺麗な微笑みを浮かべたそいつは、こう返してきた。 「ちょっと躓いただけ。ケガはしてないよ。でも……よかったら靴を履かせてくれるかな。王子様?」  そうして差し出されたつま先さえ、靴下に覆われていたってわかるほど形が整っていた。  俺は、まるで希少な芸術品に触れるかのような緊張感と、禁を犯す罪悪感めいたものが()い交ぜになった気持ちで、その足を取った。 「……ふふ、んふふ」 「何笑ってんだよ」 「ふふっ……ごめんね? まさか本当に履かせてくれるなんて思わなかったから……。ね、僕は白藍硝真、っていうんだ。君の名前も聞いてもいい? 王子様」  靴を履かせるために、期せずして彼に(かしず)くような体勢をとっていた俺の頬へ、しなやかな指の先を伸ばし、硝真はとろけるような、俺の知るどんな言葉でも表しきれない美しさの笑みを浮かべた。  俺はその瞬間、周囲の音が全く聞こえなくなってしまって、さっきから俺達を迷惑そうに避けていく通行人のことも目に入らなくなり。ついでに、これまで「断る理由が無いから」という理由だけで付き合ってはフラれてきた元カノ達の顔さえ、綺麗さっぱり記憶から消し飛んでしまった。 「菫……。神楽木、菫……」  気づけば俺は、「女みたい」と揶揄(からか)われるのを嫌って極力名乗らずやり過ごしてきた名前を、口にしてしまっていた。 「菫くん。すみれくん。……ふふ、きれいな名前だね。ねえ菫くん。僕はね、僕達がこうして出逢ったのは、運命だって思うんだ。僕が靴を落として、君がそれを拾って履かせてくれた。ね、君も言ってくれたでしょ。僕がシンデレラで君が王子様なんだ。……えへ、嬉しいなあ。運命の人ってほんとに居るんだ! ねえ菫くん。今日から僕達は恋人同士だよね? だって僕達が出逢ったのは運命なんだものね!」  興奮した様子で捲し立てる硝真の頬は、よく熟れた林檎みたいに鮮やかに染まっている。俺の意思なんてまるで頭になさそうな振る舞いに、普通だったら腹を立てていてもおかしくないはずなのに。俺はただただ、雪のような肌に朱が滲むのを、美しいなと見つめていただけだった。 「これからよろしくね、菫くん。僕の、王子様」  同じ男の手とは思えないくらいに細くて頼りない指に、きゅっと手を握られる。花が綻ぶみたいな微笑みを前に、言語能力を失ったかのようにただ頷いていた。  断る理由が無かった。これまでとは違う意味で。俺は目の前の美しい存在が、俺の「特別」になりたいと望んでくれたことが、たまらなく嬉しかったのだ。そう理解すると同時に、鼓動がどきどきと早まっていく。  俺は往来だという事も忘れ、硝真を抱きしめていた。小さい。細い。俺が平均より少し高めの身長であるのを差し引いても、硝真は小柄だった。自分の中にも庇護欲というものが存在していると、俺はこの時初めて知った。  硝真は一瞬驚いていたようだったけれど、すぐに俺の背に腕を回しながら、嬉しそうにふふふと笑った。  即ち、これが俺の初恋だった訳だ。    *****  そうして俺と硝真は今に至る――。  さて、何故馴れ初めを思い返すことになったのだったか。理由はぐずっている硝真の顔を見てすぐに思い出した。 「……告られたのを黙ってたのは謝る。悪かった。断る以外の選択肢が無いから、知らせない方が余計な心配しなくて良いかと思ったんだよ」 「人づてに聞く方が心配になるよ……。ちゃんと全部聞かせて。告白されたなんて話聞くの嫌だけど、隠されるのはもっとやだ……」 「でもお前、前に後輩に告られた話報告したらキレたじゃん……」 「その時はその時なの! 今は言われない方が嫌なの!」  癇癪(かんしゃく)を起こした硝真が、手近なクッションを掴んで俺に投げつける。細腕から繰り出される威力などたかが知れていて、俺の胸元に当たったそれは、ぽすんと柔らかな音を立てて床に落ちた。 「……ねえ知ってるでしょ。僕がすごくすごく、ワガママなの」 「ああ、」  知っている。そして、そんなところも含めて好きなこともまた、揺るぎない事実だった。  泣きすぎて赤く腫れた目元さえ美しく思う。初めこそ、ロシア出身の母親譲りだというその容姿に魅了された。けれど、こうして付き合っているうちに、我儘なところも束縛が激しいところも、全部愛しさに変わっていったんだ。 「……なあ硝真、抱きしめてもいいか?」 「そういうこといちいち聞かないでよ……いじわる」  すん、と鼻を鳴らした硝真が、控えめに両腕を広げる。俺はようやく許されたような気分になって、硝真の座るソファへと乗った。 「……僕の初恋は高いんだから。君の一生を対価に貰わなくっちゃ割に合わないよ」  俺の腕の中に収まり、胸元にぐりぐりと頭を押しつけてきながら、硝真は呟いた。 「(一生どころか、)」  ――来世だってくれてやるよ。  心の中だけでそう返す。  俺にはまだ、硝真に言えていないことがある。  硝真は知らないのだ。こうして硝真が俺を想って癇癪を起こす度、別れるくらいならば殺してほしいと願ってくる度に、言い知れないほどの歓喜が、俺を満たすことを。  どうかこのまま、生涯自分を「運命」と呼んで、愛していてくれと、誰より願っているのは俺の方であることを。 「……僕の心配は尽きないよ。高橋君だって言ってたもの」 「え、何だよ。他に黙ってた事なんて……」 「高橋君ね、「カグラは来る者拒まず去る者追わずだからなー。オレもあんな風にモテてみてーわー」って。……菫くんは、どれだけ他の女の子を誘惑すれば気が済むのさ」  カグラ、とは俺のあだ名だ。神楽木だからカグラ。いやそんな事は今どうでもいい。 「いやそれ昔の話だから! 特に断る理由無いからってだけでとりあえず付き合ってた時の!」  俺の腕の中から、尚もじとりと恨めしげな視線をぶつけてくる硝真の機嫌を、どうやって立て直そうか。頭を悩ませかけた俺に改善策を提示したのは、意外にも硝真自身だった。 「わ……悪いと思ってるなら、その……。き……きす、してよ」  言うだけ言って、硝真はさっと目を逸らしてしまう。  自身の殺害は軽く要求してくる割に、キスのおねだりは下手くそだ。全くもって、敵わない。  隠しきれない期待に揺れる瞳を覗き込み、その青が少しずつ瞼の下に隠れるのを見ていた。甘くやわらかい唇に、俺はこの先も数えきれないくらいに、こうして愛しい気持ちを重ねるのだ。  ところで、高橋は明日会ったら殴ることにする。 【了】

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