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確かその歓迎会は、送別会も兼ねているはず。
つまり、先輩や他にこの商品係に異動してきた人たちの歓迎会だけではなく、幸三のように異動していった人たちの送別会でもあるのだ。
「知っています、けど。それとこのおぞましい状況と、いったいなんの関係があるのでしょうか」
「簡単なことだよ。子日君も参加してくれるのかなぁって訊きたいだけ」
歓迎会と、送別会か。
……幸三よ、許せ。お前を笑って送り出したい気持ちはあるが、こんなケダモノを歓迎する気持ちが、俺にはない。できることなら、お前に戻ってきてほしいくらいだ。
前は『若干寂しさを感じている』と素直に言えなかったが、それを言って戻ってきてくれるなら、今は何度でも言える。いっそ、叫んだっていいくらいだ。
俺は先輩から逃れようと全力で抵抗しながら、なんとか言葉を返す。
「すみません、先輩。俺、今日はアパートのフローリングにある傷の数を数えるので忙しいので」
「うん、限りなく暇だね」
「いや、本当に忙し──口元に手を持っていこうとしないでくださいッ!」
全力で俺は手を引っこ抜こうとしているが、先輩も先輩でなかなか強い。これが先輩の全力かどうかは分からないが、先輩は自分の口元に俺の手を引っ張り始めた。
これはもう、仕方ない。最終奥義に賭けよう。多少荒っぽいとは自覚していながら、俺は先輩の椅子に自分の足を当てて、蹴るように力を入れる。
ガタガタと騒ぎ続けるも、周りの職員は微笑んでいるだけ。……いやッ、周りの人たちさぁッ! ニコニコしてないで助けてくれよッ!
まるで微笑ましい光景を眺めているかのような職員の目に、どうやら俺は助けを求めることができないようだ。
……おかしい。俺は特に目立つこともなく、ひっそりとしていた地味な社員だったはず。
そこそこの仕事をしているだけで、どこにでもいる一人の社員だったはずなのに……っ!
「こ、の……ッ!」
「全力なところも可愛いね。その足で、僕のに触れてみる?」
「気持ち悪いこと言わないでくださいッ!」
目立っている。……メチャクチャに! 目立っているのだ!
周りの職員が横目に俺たちを見ている中、俺だけはどんどん青ざめていく。
ヤバイ、ヤバイヤバイ! 足も使って離れようとしているのに、一向に距離が広がらない。むしろ、縮まっているようにさえ感じる。
指に、先輩の吐息が当たる。
──先輩の口が、俺の……ッ!
「──わっ、分かった! 分かりましたッ! 出席しますからッ!」
思わず俺は、本心とは真逆のことを口にした。
すると、先輩がパッと笑みをこぼす。
「本当っ? 嬉しいなぁっ」
「だから手を離してくださいッ!」
むしろ『離せ』と怒鳴りたいくらいだぞ!
背中に鳥肌を立てつつ俺が真っ青になりながら怒鳴ると、先輩はやっと手を離してくれた。よっ、良かった……! 俺の手の貞操が守られたぞ。
などとホッとした後に、頭がクリアになる。そして、ひとつの疑問が冷静に浮かび上がってきた。
俺は今、俺の【手】を守るために、俺の【時間】を犠牲にしたんだよな? 冷静に考えれば、手を差し出した方が良かったんじゃ……?
思わず流れで取り付けた約束だが、もしかしてこれは作戦だったのか?
──俺、先輩にしてやられた?
冷静に考える隙を与えず、先輩に強引な約束を取り付けられたのでは、と。頭に上っていた血が下がると同時に、俺はようやく気付いた。
──怖い。この先輩、怖すぎる……っ!
「良かったですね、牛丸さん」
俺との攻防戦をひとしきり見学していた女性職員が、先輩に声をかけた。
そうすると、顔だけはいい先輩が微笑みを返す。
「ありがとう。皆も歓迎してくれると、嬉しさ倍増なんだけど──」
「「「「「勿論出席します~!」」」」」
そうしたらもう、黄色い悲鳴の出来上がりだ。
先輩の顔だけを見たら、確かにときめくかもしれない。だが、ついさっきまで俺たちがやっていたことを、この女性職員は忘れたのか?
俺が変に勘ぐっているから、俺の目にだけ先輩が悪魔に見えるのかもしれない。
俺はチラリと、時計を見る。……あと少しで、始業時間だ。
始業時間は、午前八時半。
終業時間は、午後五時。
歓送迎会は、午後七時。
歓送迎会まで、残り十時間半。……その間に、高熱とか出たりしないだろうか。ちなみに俺じゃなくて、先輩の方の。
……いや、少し訂正。やはり、終業時間を過ぎてからの二時間で体調不良を起こしてほしい。仕事だけはやっていってくれ。
ひとしきり女性職員を魅了してから、先輩は変わらず笑顔のまま、俺を振り返る。
「子日君と夜のお付き合いだなんて、夜が待ち遠しいなっ」
──嗚呼、神様。
──どうかこの疫病神を、俺の隣から消してください。
1章【先ずは先輩を消してくれ】 了
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