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第1話

僕には小さい頃からずっと好きな人がいる。 隣の家に住む五つ上の幼馴染みの『直くん』。 家が隣同士で、僕のすぐ上の兄が同い年という事もあり、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。 直くんはいつも優しくて、兄に泣かされた時は頭を撫でて慰めてくれた。 小学生の時も、よく女の子と間違えられていた僕の容姿を同級生にからかわれていた時、直くんがいつも助けに来てくれた。 「ふわふわの髪も大きな目も猫みたいで可愛いよ」 落ち込む僕を、直くんはそう言って励ましてくれた。 僕にとってヒーローのような存在だった。そんな彼にいつしか恋をしていた。 直くんが可愛いと言ってくれるから、自分の容姿にも自身を持てるようになった。 直くんに可愛いと言われる度、胸がドキドキして好きという気持ちでいっぱいになった。 いつか気持ちを伝えられたらいいな、そう思っていた。 しかし僕が小学五年生の時、高校生になった直くんに彼女が出来た。 兄からそれを聞いた時はショックで、部屋に閉じこもって布団の中で一人泣き、腫れた目を見た家族に心配をかけてしまった。 後日、直くんの家に来ていた彼女を陰からコッソリ見たが、凄く可愛い人だった。 やっぱり、いくら女みたいな顔をしてても、男の僕は本物には敵わない。 いいなぁ、直くんと付き合えて。 僕も女の子だったら良かったのに。 直くんと堂々と付き合える女の子が羨ましい。 だけど、この恋を諦める事は出来なかった。叶わなくてもいいから、直くんを好きだと想う事だけは赦してほしい。 * * * 「直くん!」 「鏡花。こんな時間にどうしたの?」 夜の十時近く、僕は宿題を持って直くんの所に来ていた。 いつものようにノックもせず部屋のドアを開け声をかけると、机に向かっていた直くんが振り返り目を丸くした。 「えへへ、宿題で分からない所があったから教えてほしくて」 僕を見て少し驚いた様子だったけれど、すぐにいつもの顔に戻った直くんに手招きされ中へ入る。 「そう……いいよ教えてあげる」 「やった!」 直くんは開いていたノートを閉じると、イスから立ち上がり床に置かれたローテーブルの前に腰を下ろした。僕もそれにならい毛足の長いラグの上、直くんの隣に座る。 「ごめんね、勉強の邪魔しちゃったよね」 「大丈夫だよ。ちょうど休憩しようと思っていたから。どこが分からないの?」 「数学のね、ここ」 ここ、とプリントの問題を指差すと直くんが覗き込むように顔を近付けてきた。 その際、僕の左肩に直くんの体が触れてドキリとする。直くんから爽やかな香りがして、じわじわと頬が熱くなるのが分かった。 「これはね……」 耳元で囁く声がくすぐったくて小さく身を捩る。 「うん……」 なるべく平静を装って相槌を打つけれど、心臓はバクバクだ。 そんな僕の様子には気付かず、直くんは顔を上げて微笑んだ。 「じゃあ、次のもこの公式を使ってみて」 「えっと、こうかな?」 「正解。よくできました」 「っぁ……えへへ」 不意に頭を撫でられて思わず変な声が出てしまった。 恥ずかしいと思いつつも、直くんに頭を撫でられたのが嬉しくてつい口元が緩んでしまう。 そんな僕に「どうしたの?」と優しい声で直くんが聞いてくる。 「うぅん、なんでもない……。ありがとう」 すでに手は離れているはずなのに、触れられていた部分が熱い気がする。 誤魔化して何とかお礼を言うものの、もう少しだけ撫でてほしかったな、なんて思ってしまった。 「どういたしまして。後は大丈夫?」 「うん! 直くん教え方上手だから、凄く分かりやすかった」 「そう? なら良かった」 小さく笑った直くんにつられるようにして笑みを浮かべると、徐に手を伸ばしてきて今度は僕の髪に触れた。そのまま優しく髪をすくような仕草をするものだから、僕の顔は更に赤くなった事だろう。 心臓の音がうるさいくらいに鳴り、直くんに聞こえてしまうんじゃないかと心配になる程だった。 「あの……直く、」 「おい直己、入るぞ」 呼びかけようとした所で直くんの部屋のドアが突然開き、僕もよく知る人物が現れた。 「あ? ……何やってんだよお前ら」 「安兄!」 部屋に入ってきたのは兄の安吾だった。不機嫌そうな表情でこちらを見つめている。 「お疲れ」 バイト帰りに直接来たのか、上着を着て鞄も持ったままだった。 そんな安兄に直くんが労うように声をかけるが、安兄は眉間にシワを寄せたまま、何かを考えるように僕達を見ていた。 「安兄、どうしたの?」 「お前、何でこんな時間にここに来てんだよ」 黙ったままの安兄に呼びかけると、いつもより低い声音と険しい顔つきで聞いてきた。 「何でって……宿題で分からない所があったから、教えて貰いに」 「んなもん俺が帰ってくるまで待ってろよ」 「な、何で怒ってるの?」 苛立たしげに吐き捨てた兄の言葉に戸惑いながら問いかけると、安兄は舌打ちをして顔を背けた。 「……別に怒ってねぇよ」 絶対ウソだ。その声は怒ってる時の声だよ。 何かしてしまったのかと考えていると、直くんがぽんっと肩を叩いた。 「安吾は怒ってるんじゃなくて、鏡花を心配しているんだよ」 「心配? 何の?」 「可愛い弟が、夜遅くに男の部屋で男と二人きりでいるのを」 「……それの何が心配なの?」 僕男だよ? 女の子じゃないんだから別に心配する事なんてないじゃん。 意味が分からず首を傾げた僕を、安兄は呆れたような顔をして見てきた。 「コイツ、バカかよ」そんな副音声が聞こえてきそうだ。 「それで、安吾は何か用があって来たんじゃないの?」 「あぁ、お前に借りたCD返しに来たんだよ」 「もう聴いたんだ。早かったね」 安兄は直くんに近付くと、持っていた鞄の中から一枚のCDを取り出して渡していた。 「サンキューな。んじゃ、コイツ連れて帰るわ」 「えっ!?︎ 僕まだ直くんと話したい……」 「黙れ。じゃあな、直己。邪魔したな」 「ちょっ引っ張らないでよ! な、直くんありがとう!」 「どういたしまして。またね」 強引に部屋から出された僕は慌てて振り返り、直くんに向かって手を振りながら叫んだ。 すると、直くんも笑顔で手を振り返してくれた。 そのまま安兄に腕を掴まれたまま玄関に向かい、おばさんに一声かけてから外へ出た。 家に着いても安兄は手を離さず、「ただいま」と言い僕の腕を引き二階へ上がると僕の部屋へと入っていく。 「どうしたの?」 さっきから様子がおかしい兄に声をかけると、振り返るなりギロッと睨んできた。 「お前なぁ、こんな時間にアイツの部屋行くんじゃねぇよ」 「もー、またそれ? 安兄ってば僕は男なんだよ?」 「関係ねぇよ。男だろうが何だろうが、危機感持てって言ってんだ」 「持ってるよ。でも直くんだよ? 直くんが変な事するわけないじゃん」 そう言うと、安兄は大きくため息をついた。 「能天気が。アイツの事も信じんな」 「何でそんな事言うの。大体、直くんにはか、彼女がいるでしょ……」 『彼女』の所でつい声が小さくなってしまった。自分で言ってて悲しくなる。 「……ねぇ、安兄。直くんの今の彼女ってどんな人?」 「はぁ? 何でそんな事聞くんだよ」 「何でって……ちょっと気になって」 直くんと彼女が一緒にいる所は見たくなかったから、会わないように、見ないようにしてきた。 だけど、どんな人なのかなっていつも気になっていた。だって直くんの好きな人だもん。 安兄は少し考える素振りを見せてから、口を開いた。 「アイツが付き合う女、全員見た目も中身も似たようなのばっかりなんだよ。背が低くて、ふわふわした髪の目がパッチリした女」 「……可愛い人がタイプなんだね」 安兄の言った特徴からそう言った僕を、何故か苦虫を噛み潰したような顔をして見てくる。 「何、その顔」 「別に。てか、アイツ今女いねぇから」 肩を竦める動作をしながら言った安兄の言葉に、思わず目を丸くした。 「えっ嘘!?」 「この間別れたんだよ。つーかフラれた?」 「直くんが!? 何で……」 更に衝撃的な事をサラリと言われ、頭が混乱する。 直くんを振るなんて信じられない。 「ハッ、そりゃそうだろ。あんな奴と付き合ってらんねぇだろ。いつも大体フラれてんぞ。ま、フラれて当然だな」 あんなに優しくてカッコイイ人を振るなんて……その人は見る目がない。僕は直くんと付き合う事さえ出来ないのに……! そんな事を思って唇を噛んでいると、不意に安兄の手が僕の頭に伸びてきた。そして乱暴に頭を撫でられる。 「ちょ、何っ」 「何でフラれたか分かるか?」 「そんなの、分かんないよ」 突然の事に文句を言うと、安兄は僕を見下ろしながら聞いてきた。 僕が首を横に振ると、安兄はそのまま話し始める。 「直己とお前が一緒にいる所を見たからだよ」 「えっ、それって、もしかして僕の事女の子と勘違いして? そんなっ、僕のせいで……」 直くんが振られた原因が自分にあったのかと申し訳なくて泣きそうになる。 俯く僕の頭を安兄がまた大きな手で掴んだ。 「ちげぇよ、お前のせいじゃねぇ。まぁ最初はそう勘違いされっけど、フラれる理由はソレじゃねぇよ。アイツが悪ぃんだよ」 安兄はそう言うが、直くんに悪い所があるわけない。振られる理由なんて全く思い付かない。 「何で……?」 小さく僕が呟くと安兄はチラリと後ろ、ドアの方に一瞬視線を遣ってから口を開いた。 「今までアイツが付き合ってきた女、全員お前に似てんだよ」 「……え」 予想外過ぎる言葉に固まる。 僕に似るってどういう事? 意味が分からず、僕はただ安兄の顔を見るしか出来なかった。 安兄は安兄で何やら複雑そうな顔をしていた。 「後は本人に聞け」 そう言って、安兄がわずかに開いていたドアを勢いよく開けるとそこには、今話していた張本人が立っていた。 「バラしてんじゃねぇよ」 だけど、なんだか変だ。 いつもはもっと穏やかに話すのに、さっきだってそうだった。なのに、今は安兄みたいな言葉遣いをしている。それに表情も……。 状況が飲み込めず固まったままの僕に構わず、安兄が眉間にシワを寄せて直くんを見ながら言った。 「うるせぇ。コイツが、お前みたいなろくでなしのせいで沈んでっから鬱陶しいんだよ。後はお前が何とかしろよ」 「勝手だな」 一言、二言話すと安兄はそのまま、僕の部屋を出ていってしまった。 「あ……あの、直くん」 それを見てハッと我に返り、とりあえず何か言わないとと思って声をかけると、直くんは僕に向かって歩いてくる。 「鏡花、これ忘れてっただろ」 目の前まで来た直くんの手には、さっきやっていたプリントがあった。 「あっ……ありがとう」 すっかり忘れていたそれを受け取ってお礼を言い、一先ず机の上に置く。 「あの、直くん。さっき安兄が言ってた事なんだけど……ほんっ」 「本当だよ」 僕が言い終える前に、直くんが言葉を被せるように言ってきた。その目は真っ直ぐ僕に向けられている。 「え……?」 「今までみんな、鏡花にそっくりな子を選んで付き合ってた」 「ど、どうして?」 そんな筈はないと思いつつも聞かずにはいられなかった。 「……分からない?」 直くんの言葉に反応が出来なかった。 頭の片隅に、一つの可能性がちらついていたからだ。もしかしたらって思っている自分がいる。 「鏡花の事が好きだからだよ」 優しい言葉で言われたそれを聞いた瞬間、心臓が大きく跳ね、ぶわっと一気に顔に熱が集まった。きっと真っ赤になっているだろう。 「好きって、直くんが、僕の事……?」 「そうだよ。小さい頃から、直くん直くんって懐いてくる鏡花が可愛くて仕方がないんだ」 信じられない。まさか直くんも僕の事を好きでいてくれたなんて、凄く嬉しい。 「僕もっ僕も直くんの事、ずっと好きだった!」 思わず叫ぶ様に言うと、直くんは優しく微笑みながら僕の頭を撫でる。 「知ってるよ」 「え!? なんで……」 自分の気持ちを知られていたなんて思わなかった。そんなに分かりやすかったのかと恥ずかしくなる。 「だったら、どうして言ってくれなかったの? 両思いだって分かってたのに」 「それは、まぁ色々と、ね」 何も言わない直くんを見て、つい拗ねたような声色で言ってしまい、それを聞いた直くんは苦笑いを浮かべてはぐらかした。 じっと見つめるが教えてくれる気はないらしい。 「鏡花、好きだよ。俺の恋人になってくれる?」 「なる! なりたい!」 改めて直くんに告げられ、僕は迷う事なく笑顔で返事した。 付き合う事なんて出来ないと諦めていた僕の初恋は、今日突然実り、念願だった直くんの恋人になる事が出来たのだった。

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