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第1話

 最初の出会いは、小学校の入学式だった。  新入生として参加したブランは、上級生から出迎えられ、黄色の薔薇のブローチを贈られた。  上級生の包み込むような大人びた端正な顔を見た瞬間、灼けるような痛みを伴う高揚感に似たものを感じた。  幼いブランが思ったことは、純粋な欲望。 この人と一緒にいたい。ずっと、これからも…。  上級生がブローチを付ける為に近づき、身をかがめた。  上級生が薔薇のブローチに手を添えて、ブランの胸元に触れる。そして制服に針を刺した、その時だった。  ブローチがみるみる内に白く変色し、砂のようにボロボロと脆く砕け散った。  何が起きたのか理解出来ず、咄嗟に上級生を見上げた。  大きく見開いた眼には、戸惑いと疑念が。針を刺す姿勢のまま、固まった彼のその表情に、言いようのない恐怖と後悔で胸が詰まり、涙が溢れ始めた。  すると、上級生が困った表情を浮かべた。それでも彼は優しく話しかけた。 「ごめんね。すぐ新しいブローチを持ってくるから、待っててね」  そう言ってブランから離れ、しばらくしてもう一人生徒を連れて戻ってきた。彼らの表情からは、微妙な緊張感が読み取れ、身体が小さく震えた。  新しい黄色いブローチを手にしたその生徒の手によって、慎重にブランの胸に無事に飾られた。上級生の安堵した吐息が微かに聞こえた。  それから血相を変えた教師とブランの両親がやって来た。  上級生の名はルージュと言った。  一通り説明した後で、両親から知らされた内容は、ブランに驚きと絶望をもたらした。  この国には、特殊な異能を持った一族が存在する。その者達には、王から特別に色を表す家名が与えられた。  総称して、『カラーズ』と呼ばれている。                                 彼ら全員が従わなければならない共通の掟の中の一つに、ある奇妙な文言があった。 『カラーズは、一番初めに強く心を惹かれる他者と結ばれる事を堅く禁ずる。もし、不用意にこれに抗う未熟な者がいるとするならば、世の理から相応の報いを受けるであろう』  初恋と異能に、何の力が作用するのだろうか。  白家のブラン。『カラーズ』の子供の初めての恋が、周囲に想像以上の衝撃を与えた。 大人達からは、これがどれだけ危険な状態かを説明をされた。そしてくれぐれも無茶な接触を避けるようにと、懇懇と注意を受けたのだった。  あれから十年の月日が経ち、ブランは高校一年生になり、ルージュは高校生最後の年を迎えていた。  ブランは十年間ずっとルージュを一途に想い続けていた。だが、大人になるにつれ、その想いだけでなんとかなるものではない事も知ってしまった。  自分の異能の異質さ。ルージュと話す時に、彼の顔に畏れの感情が出てないかどうかつい探してしまう癖。そのせいで自信なさげな言動をしてしまう。  この現状を変えるならば、卒業式は格好の通過儀礼なのではないかとブランは思った。  十年間の片思い。初恋の相手にする、初めてで最後の告白。  待ち合わせ時間は16時。場所は、校舎の裏庭にある噴水広場。  ブランは、透明なセロファン、そして白と金色で縁を彩られた包装紙で包まれた、薔薇の花束を大事そうに抱えていた。                               足音が前方から聞こえてきて、ブランは静かに顔を上げた。 「待たせてごめん」  十年経っても相変わらず眩しくも優しげな笑みを浮かべ、ルージュが前に立った。  制服の上に漆黒の重厚な生地のマントを羽織り、頭には数粒の宝石が縫われた帽子を上品に被っている。胸元には、卒業生の印を表す金の薔薇のブローチが燦然と輝いていた。 「本当はもっと早く来たかったんだけど、なかなか先生方や同級生達の話が終わらなくて」 「き、気にしないで。時間通りに来てくれたんだし、そんな待ってないよ。それよりも、来てくれてありがとう」  高校でも生徒会長を務めていたルージュは、卒業式の主役であり、儀式の進行係でもあったため、特にここ一ヶ月間は多忙な日々を送っていた。  そんな忙しい中でも、ルージュは毎日メールや電話をしてきてくれる、後輩思いの人だった。週末には買い物に付き合ってくれたり、好きな本の感想をたどたどしく話す自分に、笑顔で静かに聞いてくれたりもした。それだけでも十分贅沢な日々を送れたと思う。 「それで、あの、僕も卒業のお祝いの言葉を伝えたくて。花束も、邪魔になるかなと思ったんだけど……」 「わざわざ花束まで用意してくれたんだね。邪魔なもんか。ありがとう。とても嬉しいよ」  ルージュの優しい言葉に、涙が出そうになる。 「小学校から今まで仲良くしてくれて、ありがとう。こんな僕でもルージュと友達になれて、本当に夢みたいな日々だった」 「ブラン?」 「い、いっぱい話かけてくれて、色んな場所に遊びに連れて行ってくれたり、美味しい料理を出してくれるお店に呼んでくれたり、すごく、楽しかった。でも、いつまで経っても、ほんの少ししかルージュに触れなくて、ごめんなさい」 「ブラン!それは……」  遮ろうとするルージュに、ブランは俯いていた顔を上げた。決意の眼差しで、ルージュを見つめる。 「今日は、自分の気持ちを正直に話したくて、考えてきました。ルージュの事も真剣に考えたし、自分がこれからどうしたいかも出来る限り考えてきたつもり、です。聞いてくれますか?」 「分かった……」 ルージュもブランを見つめて、静かに頷いた。  ブランは、小さくありがとう、と呟き、一度目を閉じると大きく息を吸った。そして、震える声で語り始めた。 「ぼ、僕は、小学校で一目見た時から、ずっと貴方のことが好きでした」  突然の告白に、ルージュの眼が驚きで開かれた。 「小学校の入学式で好きになって。貴方をどんどん好きになっていくのに、僕の意志は弱いままで。緊張で思った事もしゃべれないし、自分の思い通りに異能もコントロールできなくて。これじゃ、いつまで経ってもルージュにふさわしい自分になれない、からっ……。だからっ、い、一旦距離を、置きたいんだ」 「え?ブラン、それ本気で言ってるの……?」 「ほ、本気……。自分で考えて、ルージュの優しさに甘えてばかりだったのを変えたい。もっと経験を積んで将来何をしたいかも、自分で考えて決めたい」  ルージュは、一度目を閉じて暫く考え込んだ。 「じゃあ、ブランの言う事をきく代わりに、俺のお願いもきいて欲しいんだけど、どうかな?それが条件」  「条件?」 「そう。約束できる?」 「う、うん。約束する」 「よし。じゃあ、早速」 「え、もう?」 「うん。ハグして」 ルージュが大きく両腕を広げた。 「は?」 「は?じゃなくて、ハ・グ。しっかりギュッと抱きしめるするやつね」 「む、むりむりむりー!死んじゃう!ルージュ、死んじゃうよ!」 「死なないよ。大丈夫」 「う、嘘だ……!」 「死なない。絶対に。ねぇ、ブラン。今までの10年間は無駄じゃなかったって、証明しようよ」 「し、証明……?」 「そう。小学校から高校まで、俺はブランと一緒にいたけど、それは君の一番近くにいたいと思ったからだ」 「それは、僕も同じだよ。でも、ルージュが卒業したら、どうなるか分からないから……」 「そっか。今はブランのことが一番大切だって言葉を尽くしても信じてくれない?」 無言で頷くブラン。 「未来はどうなるか俺も分からない。でも、ブランがどう思っていても、俺はブランしか考えられないよ。今もこれからもね」 そう言って、ルージュは足を一歩前に出した。 「だから、ブランが俺のことをどれだけ信頼してくれているか、今はそれだけでも知りたいんだ」 「ハグで信頼を測れるの?」 「今までの試みから察するにだけどね」 「分かった……。ハグ、する。でももし命の危険を感じたら、すぐ離れるから」 「うん」  ついハグするのを了承してしまった。  でも、触れ合ってみて、少しでも危険だと感じたら、即座に身を引けばいい。 そう思った時だった。  ルージュが一秒先に前に出て、ブランの身体を抱きしめた。 「え?」  鼻先に花が当たり、薔薇の香りがいっぱいに広がって、ようやくルージュに抱き締められているのだと気がついた。 「ちょっ……。待って」 「だめ。待たない」  反射的に胸を押し返そうとするブランに、ルージュは力を込めてそれを防いでくる。  ルージュの体温と、耳元で囁くかすれた声に、ブランの身体がざわりと震えた。理解出来ない感情が溢れ出し、這い上がってくる。 『怖い』  そう思った時だった。ぶわりと怖気と共に、冷たい何かが身体から漏れ始めた。  腕の中にある薔薇の花束が、瞬く間に白く変化していく。次いでセロファンと包装紙が、砂糖のようにさらさらと崩れ去り、薔薇の花がパキパキと音を立てて割れていく。  そして、壊れ落ちていく花束の向こうにいるルージュの腕や肩も、白く浸食されているのを見て、ブランは発狂しそうになった。 「あ、あ、ああっ……!」  漆黒のマントが白に変化し、何かが軋む音が聞こえる。 愛する人の身体が白に感染し、破壊される。自分の力のせいで。 無惨に朽ちた石像の如く地面に崩れる様が、脳裏を駆け巡り、引き攣れる声が漏れる。 「ひっ、い、や、いっ、嫌だーっ……!」 「ブラン、大丈夫、大丈夫だっ……」              パニックに陥り、髪を振り乱し悲鳴を上げるブランに、ルージュが力強く何度も呼びかける。 「そんな簡単に人の心は壊せないよ。愛する人に触れたい、守りたいって想いがあれば尚更だ」  真剣な顔をして言うルージュに、涙で顔中を濡らしたブランが見上げる。 白に侵されながらも、ルージュは穏やかながらも力強い眼差しでブランを見つめている。 「ブランは俺のこと好き?」 「す、好き……」 「俺も。ブランのことが、世界で一番大好きだよ。可愛すぎて、誰にも見られないように閉じ込めてしまいたいくらいに。ブランは?」 「僕も、ルージュが、誰よりもたいせつ……。好き。大好きっ、だから……」 「死なないで」小さく呻き声を上げるブランに、ルージュは微笑んだ。 「死なないよ。死なないし、絶対に離れて行かないから。だから、ブランも俺を信じて。触れることを恐れないで欲しい」                                   ルージュの言葉がブランの耳に入る度に、恐怖で満ちていた心が少しずつ暖かくなっていくのを感じる。強張っていた口から、言葉がまろび出る。 「約束……」 「ん?」 「約束してくれたら、信じる」 「約束かぁ。それで信じてくれる?」 「うん。だってルージュは、僕に嘘なんてついたことないでしょ……」 「そうだった?」 「ルージュの言った言葉は忘れないように、覚えてるから。だから信じられると思う」 「そっか」  なぜか面はゆそうに微笑むと、一度天を見上げた。  そして、笑みを消した真剣な表情で、ブランを見つめた。 「天地万象に誓って、ルージュ・ソレイユは、白家四男ブランを生涯に渡って、愛することを宣言します」 『カラーズ』には、掟がある。  その中の一つに、成人になるまでは、家族以外に真名を言ってはならない。もし他人に言ってしまうと、家から除名されるという厳しい処置をとられる。  一つ例外があるとすれば、真名を教えた相手を家族、又は伴侶に迎えることのみ。 「ソレイユ……」  真名を教えられるということは、強制プロポーズと同義。  呆然とルージュの真名を繰り返すブランに、首まで白く覆われたルージュが、何かに気づいたように自分の身体を見渡した。 「これが、正解、だったみたいだ」 「え?」 「浸食が止まった」  見ると、確かに音を立てて浸食していたのが、ぴたりと止まっていた。浸食は顎の近くまで達していて、後もう少しで口が塞がるところだった。 「これでお互いの初恋も叶ったみたいだね」 「は、初恋……。そ、それよりっ!なんで真名なんか言うのっ!?い、いやっ、それで治まったから、良かったんだけどっ」  どこか清々しい表情のルージュとは対照的に、ブランは混乱し蒼白になって叫んだ。 「プロポーズ、嫌だった?」 「そ、それは、嫌じゃ、ないけど……」 「これで信じてもらえるのなら、真名でも何でも利用するよ」  余りの事に、何を言っていいのか分からないが、ブランも自分の為に誠意を尽くしてくれたルージュに応えなければいけないと思った。しかし……。 「あの、ごめんなさい……」 「え?」 「僕も本当は、真名を教えたいんだけど、まだ家族に教えてもらってなくて」 「分かってるよ。その時が来るまで、待ってるから」 「うん。ありがとう」  ブランの頭に、ルージュがキスをした。一瞬で真っ赤になったブランに、そっと愛を囁く。  ブランははにかみながら、小さく頷いた。

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