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晟一は高校を卒業すると大阪の私立大学で東洋史を専攻し、手話サークルに入り4回生の時に部長を務めた。就職先は補聴器メーカーに落ち着いた。大きな家電会社の系列で、業績が伸びている企業だ。両親も安心したようだから、第一希望ではなかったものの、晟一は満足していた。
新人研修が終わる頃、大阪支社の広報部長に、親会社の優秀な企画広報セクションの人が就いた。自分には関係のない人事だと晟一は思っていたが、その日はその人の初出勤だということで、いつもと違う空気が社内に流れていた。
「木下くん、ちょっと」
上司である営業課長が晟一を手招きした。
「確か手話できるんやったな? 悪いけど部長についたげてくれへんか」
「え?」
「部長は口が利けへん人なんや、筆談もしはるんやけど」
晟一は新入社員の自分が依頼されたことはもちろん、新部長が聾唖 であることにも驚く。早速挨拶に行こうと言われ、緊張しながら応接室に足を運んだ。ある程度の日常会話は学生時代にマスターしたが、手話通訳となるとちょっと自信が無い。
「部長、この子手話できます、各部署の挨拶に連れてったってください」
営業課長に言われて窓際で振り返ったその人を、晟一は良く知っていた。いや、よくは知らなかったけれど……とても好きだった。
何で。晟一はどきどきする心臓を必死で宥 めた。確かに……ここはこの人の会社の系列やけど。
『久しぶりですね、また会えて嬉しいです』
石野宏一新部長は晟一に向き直り、大きな手を軽やかに動かして、話す。晟一は動揺のあまり、彼の耳は聴こえているのに、ご無沙汰していますと手話で返事してしまう。
『大阪に戻るかどうかを迷っていたのですが、新入社員の名簿に貴方の名前を見つけたので、受けることにしました』
晟一の顔が熱くなった。石野は昔と変わらない柔らかな笑みを浮かべつつ、昔と違って雄弁に語る。
『あの頃は少し頼りない男の子だったのに、立派になりましたね』
晟一は周りの目が無ければ泣いてしまいそうだった。そして、あの時どうしても伝えられなかったことを、思いきって手で語った。
『電車で話せるようになって嬉しかったです、もっと貴方に話して貰いたくて、手話を学びました』
石野はふわりと笑った。眼鏡の奥の目が優しい。その時晟一はようやく悟った。1日たった15分のこの人との交流が、その後の自分の歩く道を決めてしまったということを。そして……たぶんこれからも。
静かな部屋の中で、晟一は大好きだった人との再会の喜びを噛みしめていた。それは、7年前の初夏に胸に落ち、静かにゆっくり育ってきた特別な種が咲かせた、小さいが美しい花だった。
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