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七
目が覚めると病院のベッドの上だった。
空き教室に放置されるという事態にはならなかったことをまず安堵した。
クズで無神経だとはいえ友達甲斐のない男ではない瑠璃川水鷹。
もうすこし先が見通せる人間ならもっとよかった。
医師からいろいろと説明を受けたが頭の中にまるで入ってこない。
気のせいか不能とかEDそういった単語が聞こえた気がする。
十代だからとか詳しい検査とか経過を見てとかフォローにもならないことを言われるが死にたい。
頭の片隅ではきちんと自分の行動の結果が返ってきたのだと理解している。
当然のようにこの結末になると水鷹の挿入前に想像できていた。
俺の冷静な部分は好き勝手していればしっぺ返しがくると今回のことをすでに受け入れ始めている。
怒ったことは仕方がない。取り返しがつかないから開き直るしかない。
一瞬で奪われた男の尊厳は取り戻すことが出来たとしても消えない傷を俺に残している。
機能のあるなしじゃない。
生理的にいろんなことがダメになってしまった気がする。
損失感と先の見えない不安感と何も考えたくなくて神経が無闇に尖って世界を拒絶する感覚。
ひとことでは言い表せない、まとめきれない気持ちがある。
この先ずっとつきまとい続ける心の傷なのか事件後すぐの今だから一時的なショック状態になっているのかは判断できない。
医師に相談しようとも思わなかった。
人から恨みは買わないようにしているものの人から憎まれない生き方はしていない。
巡り巡って踏みにじった人の悲しみや不満は戻ってくる。そういうものだ。
自業自得だ。自分が悪い。
水鷹を好きな俺が悪い。
病室のベッドの傍らで俺よりも悲しんで泣きじゃくっている水鷹を未だに嫌いになれない俺が悪い。
俺の目覚めを看護師に知らせて医師を呼んだり、状況説明でいちいち嗚咽を漏らしている水鷹をここにきてもまだ憎みきれない。
だって、俺は分かっている。
瑠璃川水鷹が大馬鹿野郎だと知っている。
生徒会長にふさわしいと中学の入学初日から打診を受けて瑠璃川であるというだけで自分よりも水鷹がいいと放り投げた。
単純に自分が会長をやりたくなかったのを理由をつけて水鷹になすりつけた。
瑠璃川の人間だということや水鷹の成長に期待するようなもっともらしいことを口にした。
本心からじゃない言葉でも俺はべつに罪悪感を持たずに吐き出せる。
自分の利益を守るためというこれ以上にない大義名分があるからだ。
けれども他人に危害を加えたかったわけじゃない。
自分が損をしないように立ちまわり人の利益をかすめ取りはするが貶める考えなど持ってはいない。
水鷹を傷つけようと思って会長職を押しつけたわけじゃなかった。
それを全部分かっていて水鷹は俺を責めなかった。
俺さえ会長になると頷いておけば何もかもが丸く収まった。
それを知りながらも俺は会長にならなかった。
なりたくないという理由だけでならなかった。
どれだけ言葉を重ねたところでわがままな子供と同じでやりたくないものはやりたくない。
高校に上がる前に仕方がないから引き受けてやると笑ったように水鷹は俺の本当にやりたくないことはちゃんと見抜いて引き受けてくれる。それで自分がくるしくなっても弱音は吐かない。自分の状況への不満は俺を責めることになってしまうと知っているから口をつぐんだ。
一方的に責任を押しつけてそのまま放置するのは気が咎めて中学の時に水鷹の様子をうかがったことがある。
睡眠不足になり風邪気味だと顔色の悪い水鷹はそれでも俺のせいでこうなったんだとは一度として言わなかった。
ただ俺は察してしまって水鷹が損をした分を埋めてやりたいと思った。
結果が俺たちの友情の始まりだ。
そのはずなのに最低最悪だとか無神経だとかバカだと思った上でも水鷹が俺を思って泣いていることが嬉しいと思えるほどに好きでたまらない。
恋なんかするものじゃなかったと後悔する一方で泣きながら水鷹が俺の手を握っていることに誰にともない優越感を持ってしまう。
自分の状況は分かっている。愛想つかしたいとも思ってる。
殴りつけてやりたいし罵倒してやりたいし絶対に許したくないのに俺の名前を涙声で口にする水鷹に溜め息を吐く。
他の誰かにされたのなら徹底的に復讐を誓ったかもしれないが相手が水鷹であるというだけで気持ちがフラットだ。
実感が湧いたり将来的に激しく落ち込む日もあるかもしれないが目覚めてすぐに号泣している水鷹を見たせいで感情の大部分が水鷹に持って行かれた。無意識に泣きやませるために頭を撫でて涙をぬぐってやっている。笑いながら「泣き顔ぶさいくすぎ」と茶化すぐらいの空元気だってある。
医師の言葉はショックだし何も聞きたくないのに俺よりも傷ついた様子で反応する水鷹に呆れかえった。
俺の頭はどうかしている。
瑠璃川水鷹なんて人間をここまで好きであるのは自分だけだと断言できるほどに頭がおかしい。
これがお前の顔なんか見たくないと水鷹と決別する最後のチャンスなのに俺は心のどこかで打算が働いている。
ここまでの被害を受けたんだから自分にもっと得があってもいいはずだと思ってる。
水鷹を手に入れることができる絶好の機会なんじゃないのかと脳内で計算が働く。
自分の身に起きた被害を直視したくないからこその悪知恵かもしれない。
ピンチをチャンスに変えるなんてどこかで聞いた珍しくもない言葉だ。
水鷹が泣くたびに思う。
そんなに泣いて悔むなら誠意を見せろと告げたくなる。
あふれでる仄暗い感情で水鷹を縛りつけて俺だけのものにしたい。
本当は水鷹が他人を抱くのを見るのはイヤだし、他人を用意するのだってうんざりしていた。
誰かを傷つけるかもしれないという人を思いやる気持ちは水鷹のために俺こそが傷ついているという勝手な考えを免罪符にして受け流していた。
純粋な気持ちで俺だけを求める相手はいくらでもいたし、水鷹よりも性格も立ち振る舞いもいい人間なんか数え切れないほど出会っている。
それでも俺は瑠璃川水鷹じゃないとダメなんだ。
人の気も知らず簡単に好きだと口に出して永遠に親友だと胸を張る自分以外の気持ちなんか見ちゃいない傲慢な男を愛している。この恋は救いようがない。
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