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三十九
俺の通っていた幼稚園には砂場があった。
衛生的で子供が遊びやすい砂場を幼稚園は売りにしていた。
その幼稚園がテレビで特集されて以降、各地で増えたと保育士が誰かの親に語っていた。
外ではなく室内にある砂場を不思議に思ったことはない。
子供たちが遊び終わったら保育士が異物が入っていないのか確認するために砂をふるいにかけている。
たまたま見たその後始末のような場面が心に引っかかりながら年長になるまで遊んでいた。
卒園も間近になると砂場で遊ぶこと自体も減り、砂を綺麗にしている保育士の苦労も忘れた。
ふと、通りかかった公園で服を泥だらけにして遊んでいる同年代の子供を見て疑問が浮かぶ。
無邪気に笑いながら砂遊びをする姿にどこか憧れた。
なりふり構わず自分の好きに動いている人間の方が得であり楽しいんじゃないだろうか。
泥団子を作っては叩きつけて壊したかと思えば砂の山を作っては踏みつける。
破壊衝動をおさえきれない幼い子というよりは、作るまでが楽しくてあとはどうでもいいんだろう。
上手くできたからこそスパッと壊して次に進む。
潔いと思ったけれど、真似できない。
幼稚園でそんな振る舞いをしたら人格に問題があるのではないのかと、保育士が親に相談するのが目に見える。
堅苦しくて面白味のない子供のためというよりも親のためのような場所だと思った。
神経質な親が保育士を攻撃するようにクレームを入れているのを何度も見た。
新しい規則が増えて息苦しくなっていく。
閉塞感は昔からずっと感じていた。
幼稚園の砂場より公園の砂場が自由に感じた。
けれど、自由がいいものでないということも俺は知っている。
比べるものではないと思っても自分の感じたまま縛られずに行動する人はまぶしい。
自分が面白味がなく小さく感じてしまう。
この幼いころの感覚は今の俺にとっても馴染んだものだ。
親が作る安全な檻の中にいる感覚とそれをわずらわしく思う気持ち。
俺を好きだという生徒たちの期待に進むべき道を固定化されているような不自由感。
自由に選んでいいと言われて決定権をもらっても二の足を踏んでいるのに決めつけられることに苛立つ勝手さ。
自分という像がブレると不安感ばかりが胸を満たす。
その全部を考えなくさせてくれたのは瑠璃川水鷹だけだった。
後にも先にも水鷹しか居ない気がする。
俺のプライドとか自意識とかこだわりとか常識とか習慣とか考えとか価値観、そういうものは砂みたいに数えきれないほどにある。
自分でも嫌になるほどに傷つくことがないように生きてきた。
俺は俺自身の形が見えなくなるほど作り上げた無数の自分という定義の砂の中に埋まっていた。
好意にまみれた親切の押し売り人間たちは砂を取り除くとした。
厚意だとしても余計なお世話だ。
本当の俺の姿とやらを白日にさらそうと彼らは躍起になっていた。
好きで自分から砂まみれになっているのに無理をしているかわいそうな人に見えるらしい。
水鷹は別の場所から砂を大量に持ってきては俺に振りかけた。
泥やガラスが入って混沌として危ない場所に変わったけれど、不思議と嫌いになれなかった。
保育士が砂から異物を取り除いていた懸命な姿とは逆。
むしろ、冒涜している。
反逆的で背徳にあふれた所業。
綺麗でも汚くてもどんな状態になっても水鷹は気にしない。
結局、どんなたとえ話で頭の中を整理してみても水鷹を嫌う言葉が出てこない。
否定してみたところで、ある意味では正しいと認めている。
水鷹と関わっていれば汚れて、怪我して、得がないような気がしてくる。
それでも、離れられない。
恋愛感情は厄介だ。友人であった時でさえ、何だかんだでそばにいた。
恋人になったらなおさら離れられなくなるに決まっている。
この先もずっと人も物も時間も自分の中にある愛情を理由にして踏みにじったり犠牲にする。
誰も傷つけずに波風を立てずに生きていくことなんか出来ない。
それは当たり前のことかもしれない。
ありふれていて誰だってしていることかもしれない。
犠牲になったもの、あるいはこれから犠牲にしていくもの、それを見ないでいるよりは自覚していた方が生きていくのは楽かもしれない。
水鷹のように自覚的に誰かを傷つけていないから大丈夫だなんてことはない。
悔しかったり悲しかったりする感情は合理的じゃない。
押しつけられたポジションに不満であっても大きな変更なんかできるわけがない。
愛想を振りまいて人を意図的に操ろうとしていたのは他の誰でもない俺だ。
怪我をしないように砂からゴミを取り除いていたのは彼らの勝手だと思っていたが、無意識に俺の中にある潔癖さを読みとって彼らは行動を起こしていた。
何も知らないでは済まされない。
それを理解して納得するまで時間がかかった。
堂々巡りで五里霧中。
必死の声も耳から素通りするような最悪さ。
それでも俺に愛想を尽かさない彼らはまともじゃないが尊敬できる。
本人たちが納得しているにしても損な役割だ。
股間を踏まれて悦んでいる転入生なんかは自分が損をしているとは少しも思っていないかもしれない。
いつか本気で潰してやろうかと残酷なことを思い描いたりもするけれど、それはそれで喜びそうだ。
きっと俺に必要なのは状況への適応力や楽しみ方だ。
水鷹と転入生は考えようによってはその点が飛びぬけている。
ふたりは手段を選ばずより多くの快楽を得ようとする。
水鷹の場合は自分自身よりも俺を優先するが、転入生な何よりも一番自分自身を優先する。
だから、水鷹には憧れと敬意を持ち、転入生には尊敬と不快感や侮蔑を向けてしまう。
俺に股間を踏まれるためなら靴にキスすることも簡単にやってのける転入生は加速度的に道を踏み外している。
大声で騒いだり俺を押し倒そうとしてくるよりも俺の足の下で悶えられる方が静かなのでいくらかマシ。
そうは思っても気持ちはそこまで切り替えられない。
嫌悪感が表情に出ても気にしないどころか悦ばれる。どうかしている。
俺もまたどうかしているので、おかしいのが世界中にあふれているのかもしれない。
水鷹と一緒にいるための苦労に幸せを感じる。
以前は苦痛だった。
早く離れたいとそればかりを考えていた。
終わりばかりを考えて精神的につかれていた。
素直に自分の気持ちを認めて、自分に都合のいい世界を思い描ける努力をしたい。
両思いだと分かっただけで、驚くほど前向きになる現金さは俺らしいかもしれない。
俺の心に生まれた感情は踏みにじられて壊されてしまうとずっと警戒していた。
内心はどうであっても周囲はそこまで俺に攻撃的じゃない。
俺が水鷹のことを好きだとアピールしても俺に対しての反発はあまりない。
水鷹への恨み言は以前と同じようにまだまだある。
それでも今は俺に聞こえないように気を遣われている。
彼らはずっと砂の中のゴミの除去なんていうボランティアをしていた辛抱強い人たちだ。
俺が気に病む可能性があることをするわけがない。
以前は俺の態度があいまいだった。
友人である以上として水鷹を見ている雰囲気を出さなかった。
目の前で繰り広げられる水鷹への暴言を放置していた。
それが友人としての距離感だと思っていたからだ。
今はやめるように言っている。
恋人の悪口を他人から聞きたいものじゃない。
そのせいで俺の前でだけは行儀がいい。それが彼らの俺への愛情の示し方だ。
指輪があった時よりもキッチリと恋人同士に見えるとレイが言っていた。
俺の心情の変化は意外に言動にしっかりと反映されているらしい。
彼らは俺の決定したことにケチをつける気はないという。
今までを考えると胡散臭いがそういうものが俺に向けられている愛なんだろう。
割り切っていくしかない。
誰かに理解されないことも、誰かを理解しないこともよくある。
けれど、他人もそんなに悪いものじゃない。
心に余裕が生まれたからか、そう思える。
名前を弄られてイラっとしても、これから先は自分を見失うほど不安定になることも不快感も覚えないだろう。
水鷹がいつでも騒がしいから俺に考え込む時間はない。
弱い自分を隠す時間、見たくないと思っていた自分と向き合う時間。
そういうものは水鷹によって消費されて消費されたかと思うと別のモノに書き換えられ、消された。
ある意味で、愛を育み恋心を加速させる捧げもの、犠牲といえるのかもしれない。
愛情を保ち続けることによって変化する自分。
けれど、変化はそう悪いものじゃない、
だとすれば、愛を押し通すのに犠牲がつきものだなんていう固定観念こそが間違っていた。
犠牲がなければ愛を保てないという思い込みがどこかにあった。
幸せだけ、満足感だけの感情が長続きするわけがないと思っていた。
でもきっとそういうことじゃない。
愛の性質はそれぞれいろいろあって、どう感じるのかは自分に任されている。
この先もずっとまとわりつく自分の名前も血もそれに関係する全てのことも犠牲であって犠牲じゃない。
ただの思い出であり、俺という人間を形作る過去だ。
一番欲しかったものを手に入れるための必要な過程だったと思えれば、昔の時間は特別であって特別じゃなくなる。
俺の家庭環境に特異さがなければ水鷹のような破天荒な人間ではなく、言動も人格も安定した平凡な相手を好きにはなったはずだ。それが一番損をしない。
一般的な損得勘定で相手を選ぶなら誰だって瑠璃川水鷹は選ばない。
でも、俺が水鷹を求めないなんていうのは俺自身の否定だ。
俺が俺ではないなんていう仮定は意味がない。
「藤高、今度アニマルプレイしよ~」
「獣姦か? 病気には注意しろよ」
「猫耳とかうさ耳とかつけるの。藤高のいとこが持ってた犬耳グッズ借りてもいいけどさ」
「高利くんは心が広いけど食べ物と犬グッズに関しては触れちゃダメだ」
「あの長身で体格良い人が着れる犬パジャマ、藤高が着たらぶかぶかでかわいーんじゃない」
「普及活動してるって言ってたから頼めば新品をくれるだろ」
「でも藤高は犬っていうよりも気位が高い猫様? 気安く触るニャーのオーラがあるにゃん」
「そうかにゃー?」
「エサ時だけでもいいからオレに甘えに来てほしいっ。爪で引っかかれてもいい!!」
「マゾ野郎ですにゃ」
「しもべになりたいっ」
「猫を犯すならやっぱ獣姦じゃねえか」
「病気はないので安心して身を任せてくださいっ」
「希望の格好は?」
「黒いぴっちりした全身タイツに猫の耳と尻尾か身体の線が出る服で猫耳と尻尾バイブ」
「バイブはリモコン操作できるやつにしておいてやる」
「通販で!? ぽちってくれたの、藤高っ」
万歳をしながらその場でくるくると回る水鷹。
ここまで喜ばれると悪い気はしない。
いささか変態的で頭がおかしいと思うが絶対にいやだと言うほどでもないリクエストなので構わない。
俺の心の中にあり続けた拗ねて世界を恨んだ子供の輪郭がぼやいていく。
飲み下せない違和感の中で腹を立てていた宙づりの気持ちが昇華される。
選択を迫る過去の声も聞こえなくなる。
急に劇的に何かが変わることがないと俺は知っている。
水鷹がいつだって教えてくれる。
不安に思うことはないと能天気に笑っている。
道化を演じているにしても本当のバカでも瑠璃川水鷹という人間がいるだけで安心できる。
俺が何を思ったところで結局、水鷹の望みどおりにふんどしでも猫耳でもつけてしまう。
好きな相手の望みは叶えたくなるのだ。
自分を犠牲にしているとは思わない。
この行動は犠牲じゃなく水鷹の喜んだ姿を見たい俺の自己満足だ。
やめようと思ってもやめられないので深く考えるだけ無駄。
きっと俺はこの屁理屈と一生付き合っていく。
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以上で本編完結になります。
お読みくださってありがとうございます。
○○が如何に△△であるのか、だいぶ長々と書きました。
不穏な始まりや途中を裏切って(?)ふたりはビターエンドとか距離を置きつつとかではなく普通に恋人になるという着地。
(最初は短編予定で藤高が不能になって終わる悲しい話にしようと思いましたが、紆余曲折を経て無事にハッピーエンド)
ふたりは破れ鍋に綴じ蓋だと思っていただけると幸いです。
本編は完結しましたが番外編小ネタとして以下を予定していましたが現在は未定状態。
・藤高メガネっ子疑惑、M生産工場の秘密
・舌ピはゆるされるのかゆるされないのか
・転入生、君の名は……(作中ですでに呼ばれていますが)
・親衛隊プレゼンツ(プロデュース?)藤高えろえろデー
・藤高の両親に水鷹が挨拶に行くと卒業後の同棲に条件を付けられた
一番下の両親に挨拶以外はなくてもいい気がします。
番外編とは別で後日談として卒業後の話を1話ぐらい入れたいと思っています。
(それが対両親の話になるかもしれません)
大変長い話でしたが書き足りない部分や明かしきっていない部分もあるので、
書きたいものがいろいろあります。
いずれ手が空いたらファンボックス( https://ha3.fanbox.cc/ )に書くだろうとは思います。
チェックがマメで返信が早いのはマシュマロ( https://marshmallow-qa.com/hadumi2020 )になります。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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