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1話完結

「おーっす、どう優李(ゆうり)」 「あ、健斗(けんと)」  大学病院の入院棟。健斗は通い慣れた廊下をたどり迷うことなく病室へ入る。真っ白なベッドに座る優李は読んでいた本を傍らに置いた。 「最近調子いいんだ」 「だよな。顔色いいもんな珍しく」 「珍しく、って」  優李はコロコロと笑った。色が白く細身で、触れたら消えてしまいそうな儚さをもつ彼は健斗の幼なじみである。ここ最近は色白のなかにほのかな血色を灯していた。同時に話す口調にも明るさが出ている。 「今日テスト最終日だったんだよね、どうだった?」 「あー聞かないでくれ」  そっぽを向きながら顔をしかめる健斗に優李はまた笑いだす。 「あれだけ教えたのに」 「逆に学校行かずになんであんなにわかるんだよ」  優李とは正反対、褐色の肌に黒髪短髪、まさに健康優良児な健斗はぶうたれる。 「別の意味で留年しない? 大丈夫?」  心配すると同時にからかうような声の優李は、小学生の頃からずっと病院暮らしだった。  保育園児の頃は、ずっと一緒に遊んでいた。春には泥だんご、夏にはプール、秋には松ぼっくりを拾い、冬はお互いに鼻を真っ赤にしながら雪だるまをつくった。そんな生活がこれからも続くと思っていた。  小学校に入学して間もなく、優李が入院した。すぐに退院してまた遊べると健斗は思っていた。しかしそれは高校生になった今でも叶っていない。  あの時から、二人の人生は分岐した。  生活の場が離れても、健斗は毎日のように見舞いへ行った。ある時は土まみれのサッカーボールを持ちこんで看護師さんに叱られ、ある時は面会時間を過ぎてどこまで隠れていられるか試して叱られ、ある時は体調の悪い優李にプレゼントと思い大量の駄菓子を持ちこんでは叱られた。今では笑い話である。  健斗のカバンから着信音が鳴る。取り出すと、佐々木と表示されていた。クラスメイトの女子だ。 「……出たら?」 「ん? ああ、ちょっと待ってて」  優李にうながされた健斗は急ぎ足で病室を出ると、通話ができる場所へ向かった。 「……それ、終わった話だよな」 「ちょっと! それひどくない!?」  電話越しに出たのは佐々木ではなかった。佐々木と仲が良いという他クラスの女子だった。誰もいない通話エリア、スマホ越しでもキンキン声が響く。 「あの時、俺はちゃんと断った」 「なんでよ」 「なんでって」 「彼女いないんでしょ?」 「いねーけど」 「じゃー試しに付き合ってくれてもよくない? そこから好きになるかもーとか考えないの?」  名乗らない女子の後ろに佐々木がいるようだ。「いいから!」と佐々木に話しかける声が聞こえる。 「悪いけど、付き合えない」 「だからなんで」  とっさに言葉が出てこず押し黙る健斗。ウソをつくのは幼い頃から大の苦手だった。すぐにバレてしまうから。 「好きな奴が、いるんだ」 「え……?」 「そういうことだから。じゃ」 「あ、ちょっ!」  ウソをつくつもりはなかった。いや、ウソではない。どういうことだ。健斗は自分の口から発したはずの言葉の意味が自分でもよくわからなかった。  名前もわからない女子の制止の声を無視して電話を切る。混乱する頭を落ち着けるように大きくため息をついた。  その時、後ろから音がした。カラ、と何かを転がすような、聞き慣れた音だった。振り返ると廊下の角を逃げるように去っていく人物の姿。青のチェック柄のパジャマに柔らかい髪、点滴を引く白い腕。見間違えるはずがない。 「優李!」  健斗は急いで後を追う。角を曲がった先、やはり優李が歩いている。名前を呼んでも振り返らない。おかしい、とすぐに気づいた。優李が健斗を無視した試しなんて一度もないのだから。 「優李!」  すぐに追いつき腕をつかんだ。あまりにもか細い腕に健斗は驚く。少しでも力を入れたら壊してしまいそうだった。 「どうしたんだよ」  健斗が顔をのぞきこんでも逸らされるばかりで表情はうかがえない。 「なあ」 「……子は……ない……て」  聞き取れなかった言葉、もう一度と健斗は顔ごと近づけた。 「なん……」 「好きな子はいないって! 言ったじゃん!」  泣き叫ぶような声だった。いや、まさに、泣いていた。顔をあげて睨む一瞬でわかる。 ──好きな子できた? あ、もしかしてもう彼女とかっ! ──ないない ──なーんだ、つまんないの  高校に入学してしばらく経った頃の何気ない会話。二人のたった一度きりの恋バナ。  シン、と静まりかえる誰もいない病院の廊下。優李は掴まれている腕を力まかせに振りほどく。想像よりもずっと強い力に健斗の手はあっけなく解かれる。 「……ごめん、体調悪いから、帰って」  その言葉を言われれば、反論できる余地はなかった。  優李の顔がずっと頭から離れなかった。怒って責め立てているのに、とても傷ついている顔。  好きな人がいると聞いてあれほど怒る理由がわからない。ウソをついたことが許せないのか、高校生活が妬ましいのか、いや、優李はそんな心の狭い奴じゃない。  健斗はわからなかった。優李のことも、自分自身の感情も。    あれから電話してもメールしても連絡はこない。スマホを見て連絡が来ていないか確認するたびに、健斗の胸は押し潰される感覚におそわれる。まるで自分の方が病気になったのではないかと疑うほどに。  数日たったある日、スマホにメールの通知。その言葉に、健斗の身体は石のように固くなるのを感じた。 「もう無理して来なくていいよ」  気づいたら、家を飛び出し病院の前に来ていた。メール画面を開いたままのスマホを握りしめて。  重い足を叱咤しながら、入院棟へ進む。病室へ着くまえに、目的の人物を見つけた。 「優李」  健斗に気づいた優李が立ち止まる。その表情から怒りは消えていた。ただ悲痛さだけが濃く立ちこめている。廊下で数メートルの距離をあけたまま健斗は話した。 「俺が、無理して来てると思ったのか?」  優李の肩がわずかに動く。 「俺が、お前のことを哀れんでるように見えたのか?」  お互い、だんだんと呼吸が荒くなっていく。 「お前には俺が、そんなふうに写ってたのかよ!」  違う。こんなことが言いたいんじゃない。口から零れる言葉が己の言うことを聞かない。  二人の目に膜が張る。なぜこんなに傷つけあうことになっているのかわからない。相手を傷つけると同時に自分自身も同じくらい、いやそれ以上に傷つくというのに。  視界がにじむなか、ガタンと音が聞こえた。優李が息を切らして床にしゃがみ込んでいる。 「優李くん! 大丈夫!?」  いつのまにか看護師さんが来て優李の処置をしている。その様子を呆然と見ているしかなかった。 「健斗くん大丈夫よ。少し疲れただけ」  そう言うと看護師さんは優李を病室へ連れていった。優李の唇が「健斗」と動いたように見えたのはきっと気のせいだ。  健斗は弱々しい足取りで帰ろうとした。そこにナースステーションから声がかかる。 「健斗ー大丈夫かー」  その看護師は昔、小学生だった健斗をよく叱っていた人物だ。 「おば──」 「お姉さんね?」  おっかない笑顔を浮かべるその人に健斗はタジタジだ。今や看護師長にまでなったらしいその人は大げさな動きでPCを閉じる。 「よっし、コーヒー飲もうか」 「え、いや、帰りま」 「お姉さんの、お・ご・り」  大股でナースステーションから出てきた看護師は健斗の肩を力強くたたく。 「まー休憩に付き合いなさいって。悩める子羊達よ」 「……達?」  看護師は含みのある笑顔をうかべた。 「なにやら悩んでいるようだね? 君の声が私のところにまで聞こえたよ」 「……すみません」  うんうん、病院では静かにね、と頷く。怒るつもりはないようだ。 「どうだい、話してみないかい? 健斗の悩みは優李の悩み、患者の悩みは看護師の悩みだ」 「はぁ……」  そう言いながらも看護師は「個人的に心配になったんだけどね」と小さくこぼして微笑んだ。  健斗はここ数日の経緯を話した。経緯と言っても「好きな人がいることに優李が怒っているようだ」としか言えることはないのだけれど。 「ふむ。優李が怒るのはわかるとして、健斗の好きな人って誰だい?」 「え? わかるんですか?」  看護師はキョトンとした後、大口をあけて笑いだした。病院では静かにねと言っていた本人が。 「全く君たちはホントに」 「こっちのセリフですよ」  ため息をつく健斗を看護師が「まあまあ」とたしなめる。 「で、好きな人って?」  言葉に詰まる。わからない、だなんて言えば笑われるだけ。 「同じクラスの子かい?」 「違います」 「じゃあ他のクラス」 「違います」 「その頭で塾に行ってるわけないしなぁ」 「失礼ですね」  健斗の返事に短く笑った。そして「じゃあ」と続ける。 「この病院にいる人」  また言葉に詰まった。……言葉に詰まる? さっきの質問まではすんなり否定できていたのに。 「健斗、今まで誰かを好きになったことは?」 「……いや」  なるほどねぇと納得したような顔をする。何がなるほどなのか健斗にはさっぱりだ。 「そりゃあ初めてのことは誰だってわかんないもんだよ。看護師になったばかりの人間が右も左もわからないように」  わかるような、わからないような。不安をうかべる健斗に看護師は話を続ける。 「恋愛だってそうさ」  看護師はからかうこともなく、真剣に話す。 「でもな健斗、君はちゃーんとわかってる。だから大丈夫。あとは自分の感情に向き合うだけ」  直接的な答えをくれないもどかしさ。 「自分? 優李じゃなくて、自分と向き合う?」 「そうさ」  看護師はコーヒーをぐいっと飲み干す。「休憩終わり!」と去る間際 「あー面会時間なー何時までだったかなー今日は30分くらい間違えちゃいそうだなー」  まるで健斗に聞かせるように棒読みのセリフを呟いた。  病室の扉をノックすると「はい」と小さい声がかえってきた。ゆっくりと扉をあける。お互いにうつむいたまま、健斗はベッド傍の椅子に座った。 「さっきは、大声だしてごめん」 「僕も、ひとりで怒ったりして」  お互いに謝ると、気まずい沈黙がながれる。健斗が口をひらいた。 「俺の、俺の好きな人って」 「……うん」 「誰なんだろう」 「えっ?」  身を固くしていた優李が一転、目を丸くした。さっきからずっと、何日も前からずっと考えているが、やはりわからないのだ。頭の中がグルグルしている健斗を見て優李が呟く。 「……じゃあ僕から言おうかな」 「え?」 「僕ね、健斗が好きだよ。しかも初恋」  なんなら保育園の時からずっと、とはにかんだ。好き、という単語だけなら友情だろうと反論できた。けれど、確かに、優李は初恋と言った。優李が驚いたように健斗の顔をまじまじと見る。 「──なんで、泣いてるの?」  言われて気がついた。何かの栓が抜けたように目からとめどなく雫がこぼれる。 「俺、俺はっ、俺の好きな人は?って自問自答するたび頭にうかぶのが、優李なんだ」  息をのむ音が聞こえる。 「でもおかしいだろ? 俺は男で優李も男、なのに、だから、俺、違うんだって自分に」  己の震える手を見つめていたら、身体が暖かかさに包まれる。優李の細くて強い腕のなかにいることに気づく。 「おかしいかな、俺」  しゃくりあげる健斗に、優李の腕に力がこもる。 「誰かがおかしいと思っても、僕は思わない。少しも思わないよ」  涙が落ち着くまでそばにいた。ちょうど面会時間を30分過ぎて。 「僕、強くなるから。これからは僕が、健斗を守るから」  去り際に、力強くそう言った優李の姿はとても頼もしかった。  桜吹雪が舞うなか、制服に身を包んだ後ろ姿を見つける。 「優李ー!」  自転車でかけつけた健斗に、優李が振り返る。晴れやかな笑顔で。 「入学おめでとう!」 「卒業おめでとう」  健斗が高校を卒業すると同時に、優李は高校一年生からの再スタートとなった。  優李はあの日からめざましい回復を遂げ、無事退院となった。退院の日に健斗の方が大はしゃぎしてしまい、看護師さんにたしなめられたのが記憶に新しい。 「健斗は卒業もだけど、入学もおめでとうだね」 「おう!」 「大学で浮気したら──」 「しないわ!!」  からかいを本気で否定する健斗に優李はけらけらと笑う。 「信じてるから大丈夫だよ」  少し顔を赤らめた健斗は、優李に見られていることに気づき、なんてことない表情を装う。 「大学の勉強、優李に教えてもらお」 「いやおかしいでしょ」 「えーいいじゃーん」  桜並木を歩く二人に、太陽の光がさんさんと降りそそいでいた。 了

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