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第1話

そろそろ帰ってくる頃か、と圭一はパソコンをシャットダウンさせた。 肩を回せば、凝り固まった筋肉が解れていくのを感じる。 副業であるプログラミングの仕事は、夕方から作業を始めて大分目途が付いた。 棚の上に置かれたデジタル時計を見遣れば、間もなく午後十時になろうとしている。同棲相手である千紘が「今から帰る」とスマートフォンに連絡を寄越してきた時刻を考えると、間もなく帰宅してもおかしくなかった。 「同窓会、やるんだってさ」 実家から転送されてきた葉書を手に千紘が他人事のようにそう言ってきたのが、三か月程前だ。 「同窓会って、いつのだ?」 「中三のときのクラスの」 圭一は「へえ」と興味があるともないとも付かない反応をした。それ以外返しようがなかった。 圭一自身は、二十六年間、同窓会というものとは無縁に生きてきた。地元の級友とは成人式のとき以来顔を合わせていないし、恐らくこれから先もそういった類のものが開かれることもなければ参加することもないだろう。 千紘だって似たようなものだと思っていたが、何でまた急にそんな展開になったのか。 曰く、今年度で中三のときの担任が定年を迎えるとあって、先生を労う会と称して集まることになったらしい。逆を言えば、そういった口実でもなければ、卒業から十年以上が経過した今、同窓会を開こうとはならなかったということだ。 「行くのか」 「どうしよっかなー……面倒臭いし、別に会いたいやつもいないし」 口ではそう言いながらも、決めきれずに悩んでいるのが見て取れた。 「迷ってるなら、行けば。逃すと、もう機会はないかもしれないぞ」 「……じゃあ、考えとく」 結局、千紘が出欠連絡票のどちらに丸を付けて出したのかは分からなかった。けれども、開催日が近付いてくるといそいそと着ていく物の準備を始めたのを見て、行くことにしたのだと知れた。 製菓専門学校を出て洋菓子店で働いている千紘は、普段スーツなんて着ない。見慣れないフォーマルな恰好でマンションを出ていく姿を思い返していると、玄関のドアが開く気配がし、次いで「ただいまー」と千紘の声が聞こえてきた。 圭一は立ち上がり、廊下に顔を出した。 「おかえり」 「あぁ~、疲れた」 その言葉の通り、緩慢な動作で革靴を脱ぐ千紘からは疲労の色が見て取れた。 けれども、それはキツい仕事を終えた後というよりも、遊び疲れた子どもに近いものがあった。 「どうだった、同窓会」 聞いてみれば、やはり予想していた通りの答えが返ってくる。 「んー、まあ楽しかったよ」 「先生は?」 「元気だった。それに、思ってたよりハゲてなかった」 喉の奥で笑いながら、千紘はリビングに入ってくると、脱いだ上着を乱雑にソファの背に掛けてキッチンの方へ向かう。それから、冷蔵庫を開け、嬉しそうな声を上げた。 「お、限定あるじゃん! これ、飲んでいい?」 元々、甘い乳飲料水の季節限定商品は、それが好きな千紘のために買っておいたものだった。 圭一は「おう」と応じながら脱ぎ捨てられた上着を拾い上げて、皺が寄らないようにハンガーに掛けてやる。 「結局、人はどれくらい集まったんだ?」 「23人だから、クラスの半分以上は来てた」 乳飲料水のストローに口を付けながら、リビングに戻ってきた千紘はテレビの電源を入れた。何回かチャンネルを変え、映画をやっているのを見つけると、ソファへ腰を下ろす。圭一もその隣に座った。 映画は島で生まれた子どもたちが、卒業を前に自身の将来について考え葛藤していく内容のようだったが、すでに中盤が過ぎていた。 「……当たり前だけどさ、」と、さして面白くもなさそうにテレビに目を遣ったまま、千紘が口を開く。 「皆、中学のときとは変わってて、誰が誰だか全然分かんなかった。けど、先生ってすごいんだよなー。ちゃんと当時のことを覚えてて、話し掛けてんの。俺なんてクラスメイトの名前すらほとんど忘れてるっていうのに」 「けど、なかには覚えてるヤツもいて、話しだってしてきたんだろ」 「うん、何人かは」 当時はお互いに好きな素振りなんかなかったのにクラスメイト同士で結婚した者、家業を継いだ者、遠くの地で仕事を起こした者……千紘は、久しぶりに会ったクラスメイトについて、圭一に話して聞かせた。 それが一段落する頃には、いつの間にか映画は賑やかな教室のシーンが終わり、物悲しい挿入歌が流れる夜の浜辺へと変わっていた。 主人公とその幼馴染の女が、島を出ていくことへの不安を語り合いながら、並んで歩いていく。 「――……なあ、圭一が初めて好きになった人ってどんなだった?」 不意にそんな問いを投げ掛けられ、当然、圭一は面食らった。 「何だよ、急に」 「ほら、さっきクラスメイト同士で結婚した奴らがいるって話したじゃん。それで、ちょっと気になっただけ」 「……小学生のとき、近所に越してきた二学年上の女子」 「うわ、ベタ!」 「うるせーな。大体ベタなもんだろ、初恋なんて」 「それもそうか。けど、『二学年上の女子』ねー。圭一はバイだから、女もアリなんだもんな」 そんな風に改まって個人の性的指向の確認を行う千紘に対し、今度は圭一が反撃する番だった。 「……で、お前の初恋相手は? 今日の同窓会に来てたのか」 まさか尋ね返されるとは思ってなかったらしく、千紘は驚いた顔をした後で、照れ臭そうに笑った。 「ううん、今日の同窓会には来てなかった。同中だったけど、クラス違ったし」 「名前は?」 「それ言う必要ある?」 「いいから、教えろよ」 あっさり押し負け、千紘は小さな声でぼそっと告げた。 「……高見。あーくそ、恥ずい」 「先に仕掛けてきたのは千紘だろ。で、千紘は、そのタカミくんのどこが好きだったんだよ」 中身のなくなった乳飲料水の容器をテーブルに置くと、千紘は空いた手で抱きかかえた片膝に額を付けた。そうやって、赤くなっている顔を少しでも隠そうとしているようだった。 「どこが好きって……そりゃあ、顔や声は正直好みだったけど、最初に気になったのは『美味い』って笑った顔だったかな」 中学のとき、千紘は、一つ上の姉に無理矢理同じ家庭科部に所属させられていた。 男子生徒で家庭科部というのは相当に珍しかったが、元々入りたい部活もなかったので、部員数の確保のためと請われて籍を置いておくのに抵抗はなかった。 活動自体は緩かったし、何より実家がケーキ屋で小さい頃から手伝いをさせられていたから、お菓子作りに関してはそこら辺の女子生徒の何倍も上手かったのだ。 かと言って、千紘としてはそれを自慢にすることはなく、むしろ「勉強も運動も普通なのに、菓子だけ作れてもなあ……」と考えていた。 けれども、中学二年のある日、転機は起きた。 その日、家庭科部は体育館で活動している運動部に差し入れをする約束をしていて、大量に作る必要があるからと千紘も強制的にカップケーキ作りに参加させられていた。出来上がったものを体育館に持っていくと、運動部の生徒たちは喜んで群がってきて、トレーはたちまち空になった。それで部員としての最低限の義務を終えたと見なし、さっさと帰ろうとしていた千紘に、一人のバスケ部員が話し掛けてきたのだ。 「なあ。これ、作ったの誰?」 それは、顔だけは知っている同級生だった。 隣のクラスで、そのときまで一度も話したことはなかった。 小柄な自分と違ってバスケ部らしい長身と、精悍ではあるがあまり表情の変わらない顔付きに、何となく近寄り難い印象を抱いていた。 彼が一齧りしたカップケーキのデコレーションと包装を見て、千紘は若干身構えながら答えた。 「俺だけど……」 「へえ。今まで食べた差し入れのなかで一番美味い。お前ってすごいんだな」 千紘は目を見張った。 ニカッとした笑顔でそんな風に褒められるなんて、思ってもみないことだった。 以降、家庭科部が差し入れを持っていく度に「矢野が作ったのどれ?」と千紘が作ったものを求めるようになったその生徒こそが、高見である。 「そのときの思い出から今の仕事に就いたんだから、千紘はその初恋に感謝だな」 「ソウデスネー」 もう居た堪れないとばかりに耳まで赤く染めた千紘に、圭一は笑う。 けれども、一頻り笑い終えると、それまでの揶揄う口調から一転、真剣な顔つきで静かにこう尋ねた。 「……なあ、千紘は、在学中にタカミくんに好きって伝えようとは思わなかったのか」 思いがけない問いに、千紘は圭一を見つめると、当時を思い出して苦笑を浮かべた。 「思ったよ。……けど、言えなかったんだよな。そのときは『薄々気付いてたけど、俺ってやっぱり男が好きなんだな』っていう事実を受け入れるのに精一杯でさ。だから、ちょっと勿体なかったかも。あのとき、告ってたらどうだったのかなって偶に考える」 「今日……同窓会で中学のときの奴らに会って、やり直したくなった?」 それには、千紘はしっかりと首を横に振った。 「いーや、別にいい。結果として、俺は今の店で働き出してから、その初恋相手と再会して今こうしているわけだし」 言って、千紘は隣に座る男――高見圭一の首に腕を回す。 まだ顔立ちに幼さを残していた頃の目の前の恋人が、体育館にやって来た日の記憶を思い返しながら、圭一は強請った。 「久しぶりにお前のカップケーキが食いたいな」 「明日作ってやるよ」 どちらからともなく、二人は唇を重ね合わせる。 いつの日かの甘い砂糖の香りが、鼻腔を掠めた気がした。 END

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