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第1話

 初恋は実らないものらしい。俺の場合もそうだった。  保育園で結婚を誓った相手は親友の海斗。一番仲いい相手と一生そばにいることを夢見たのだが、「男の子同士は結婚できないんだよ」という先生の言葉で散った。大いに泣いた。迎えに来た母がぎょっとするぐらいに。それで海斗と結婚を誓ったことが母にばれ、父にもばれ、親戚にもばれた。年末年始に集まれば、しばらくそのことでからかわれた。「結婚といえば、浩は昔……」なんて。  まあ、黒歴史は更新しまくるので次第に言われなくなった。高校卒業したあとが、最後だったかな。俺が大学進学しないことで、「海斗くんは法学部だって。逃した魚は大きかったねえ」と母に嫌味っぽく言われたのが最後。  成人してからは俺だって忘れていた。  海斗に再会する一年前までは。 「結婚しよ」  ラストオーダーぎりぎりにやってきて、カウンター席に座った海斗が、俺の顔を見て熱っぽく言う。  出禁にしてえ。  心からそう思う。  行政書士となった海斗に同窓会で再会し、居酒屋の営業許可申請の手続きを頼んだのが運のつき。  お互い二十七になったが独身同士、恋人もいない。  タイミング悪く……と言ったら、待ち望んでいた人たちに失礼だが、パートナーシップ宣誓制度が三か月前に施行されてからというもの、海斗は仕事帰りにうちに寄って、遅めの夕飯を食いがてら俺にプロポーズする。  バイト連中にも俺の黒歴史が知れ渡ってしまった。海斗が「どうも、店長さんの初めての恋人で、元婚約者です」と自己紹介しやがったから。海斗は顔がいいし、ファッションセンスもよく、人当たりさえいいため、振りつづける俺が悪者だ。  ここ一週間ほど来なくなったから、あきらめたものだと思っていた。でも一週間ぶりに訪れた海斗は一言一句同じ言葉を言った。  本日のおすすめを書いたメニュー表を手渡しつつ、俺は尋ねる。 「いい加減、言いあきないか?」 「あきないよ。むしろやっと日常に戻れたあ、これでこそ僕って感じ」 「何度も言ったけど、結婚じゃないだろ、パートナーシップは」 「何度も言ったけど、必要としている人間がいると行政に知らしめれば、婚姻同等の権限を持てるようになるよ。そのための礎だと思って申請しよ。なんなら公正証書も作ろ」 「そらお前は同性パートナーがいることで、性的マイノリティー問題を扱う行政書士としての強みになるかもしれんけど、俺には利益がない」 「この僕を独り占めできるんだよ? それ以上の利益ある?」  海斗は胸を張ってそう主張する。この僕。どんだけ自信満々なんだと思ったが、学生バイトの佐伯さんはうんうんとうなずいている。韓流アイドルに似ているとかで、海斗の顔ファンなのだ。 「店長、この一週間ずっと元気なかったんですよ。林さんが来ないから。林さんの大切さがようやくわかったはずです。きっともうすぐオーケーがもらえますよ」 「ほんとに?」 「ほんとです! 応援してます」 「……本人がいる前でよくそんなやり取りできるね」  あきれて言えば、佐伯さんは「だからこそですよ」と言いかえす。 「わかってないのは店長だけです! いい加減、自分の気持ちに正直になってください」  好き勝手言って、逃げるようにほかのテーブルの片付けに行く。  苦虫をかみつぶしたみたいな俺の顔を見て、今日のプロポーズタイムは終了したらしく、海斗は「梅酒と出汁巻きとおにぎり、本日のおつくりでお願いしまーす」と注文した。  お通しの枝豆とロックの梅酒を出す。 「黒豆の枝豆で、京都の紫ずきんという品種です」 「へえ、珍しいね。つきだしで出してくれるなんていい店だねえ」  感心したように海斗が言うから、俺は少し誇らしくなる。プロポーズ癖さえなければ、俺のこだわりも理解してくれる、いいお客さんなのに。  出汁巻きを焼いている間、視線を感じた。ちらりと海斗を見やれば、あいつはにっこり笑って小さく手を振ってくる。  なんで俺なんだ? そりゃ、一度は結婚を誓い合った仲だが、今の海斗なら誰だって選び放題だろう。わざわざ十人並みの俺をなぜ選ぶ?  料理に惚れた? 家事を担ってほしい? 俺の知る限り、仕事で料理をする男は家でまでやりたくない亭主関白タイプがそれなりに多い。俺だって、研究のために凝った料理を作るけれど、雑な時は本当に雑だ。  巻きすで出汁巻きの形を整えるなんて、店でしかしない。  俺のどこが好きなの?  そう聞いてしまいたいが聞けない。俺を選んだ理由は、俺がいつか折れると思われているからだろう。保育園のときにプロポーズしてきたのは海斗だった。「浩と毎日遊びたいから結婚しよ」って。俺は深く考えずにうなずいた。  海斗と別れてからというもの、俺は誰とも付き合わなかった。周りの大人はみんな、「いつか好きな女の子ができるよ」と言うから、それを信じた時期もあったけれど、小学生になっても中学生になっても高生になっても専門学生になっても、飲食店に就職しても、女の子を好きにならなかった。  俺は男が好きだ。なんなら海斗が一番理想の男だ。  でも海斗の元カノを知ってるし、なんなら元カレっぽい男も知っている。地元が同じだから、そういう噂は耳に入ってくる。どっちも俺と全然違う派手なタイプ。そんなモテ男のプロポーズを本気にするほど、バカじゃない。 「はい、出汁巻き卵」 「ありがと。店に通うようになってから顔色いいねって言われるんだよねえ。浩のおかげ」  熱々の出汁巻きに海斗が箸を入れたら、ふわりと湯気があがる。気づいているのか知らないが、外食の多そうな海斗のために、塩分は控えめに作っている。  次は刺身を用意する。今日はかつおだ。 「ねえ、浩。さっきの話だけど、僕が来ない間元気なかった?」 「……んなわけない」 「今はもう持ち直したんだけど、ばあちゃんが危篤でね。親族から相続の相談までされちゃって。こういうとき、法律家って嫌だね。家族としての立場じゃなくて、業務としての立場を求められるのに、親族だから相談料の話もできない」  いつもはあいづちを打ちながら調理をするが、深刻な内容だけに、さすがに手をとめた。 「祖母の症状について病院で説明を受けたとき、思ったんだよね。法律で守られた存在ってやっぱ強いわ。だから、浩とパートナーになりたい」  死がふたりをわかつまで。  そのときのことまで考えて、プロポーズしてきたとなれば話は別だ。 「なんで、俺がいいの?」 「僕たちの障壁は男同士が結婚できない制度の問題であって、嫌いあって別れたわけじゃないだろ?」 「初恋は実らないんだ」 「大丈夫、僕の初恋は浩じゃない」  初耳ですが? 「好きだったいとこのお姉ちゃんが結婚しちゃってさあ。次に好きになる人は、絶対誰にも取られたくない。そう思って浩にプロポーズした」 「……女も好きになれるなら、そっちを口説けよ」 「バイだからって、結婚したい相手が女性とは限らないんだよ。いろんな人と付き合ってみたけど、やっぱり浩がいいなって思う。……それにプロポーズするたび、さみしそうな顔をすんの見たら、諦められないよ」 「さみしい?」 「本心で言ってるわけじゃないんだろ、って疑うみたいな顔」 「うさんくさいものを見る顔じゃなく?」 「どうだろ? そこは願望フィルターがかかっているところもあるよ。認める。……子どものときは、大人が決めたルールは絶対だと思ってたけど、大人になってみれば、法律なんて改正されるもんだってわかった。僕は浩と結婚する。今は無理でも、いつかきっと。絶対」  だからさ、と海斗が真剣な面持ちで俺を見つめる。こいつがその先、何を言おうとしているか、わかっている。何せ、三か月前から言われている言葉だ。  もういい加減聞きすぎて、聞きあきて、だから今日は俺が言った。 「海斗、結婚しよ」  初恋は実らないものらしい。俺もずっと信じこんでいたが、どうやら例外もあるようだ。

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