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第2話

 お久しぶりです。  随分とご無沙汰をしてしまいました。    初めて会ったとき、あなたはまだ本当に少年で、幼さの残る面差しにほんのり赤らんだ頬が可愛らしかった。  ツグミのような丸い眼は美しく澄んで、でもとても寂しそうだった。  教練の合間に遠く北の空を見つめる眼差しはとても哀しげで、でも俺たちの前ではいつも笑顔だった。  教官に理不尽に殴られても、涙ひとつ溢さなかった。    けれど営舎の粗末な寝台の上、あなたは独りで泣いていた。  皆が寝静まった頃、息を詰めるようにそっと身を起こして、胸元のポケットから出したそれをじっと見つめて。  声を圧し殺して泣くあなたの唇が震えていた。 ー兄さん......ー  俺は寝たふりをしながら、気取られないように、あなたの横顔を覗き込んでいた。背中を丸めて俯いたあなたはとても儚げで、月明かりの中に溶けていってしまいそうで、俺はすごく不安になった。  ある日、とうとう見つかってしまった俺は仕方なく ー眠れなくて......ー と言い訳をした。  あなたはほんの少し苦笑いしながら、大事そうに小さな手に握りしめたそれを見せてくれた。  何重にも油紙に包まれたそれは古い写真で、幼い子供ともう一人、優しげな男性が微笑んでいた。 ー兄さんと僕だ......ー  あなたはとてもとても愛おしげに哀しげにそれをじっと見つめて、指先で男性の輪郭をなぞって微笑む瞳が、うっすらと露を帯びていたことは、黙っていた。 ー赤紙が来たとき、誰も止める人はいなかったー と言っていたから、兄上さまはもういなかったのだろう。年老いた女中に泣かれて困ったと苦笑していたから、ご両親ももういなかったのだろう。  俺は百姓の倅で無学だったから、ろくに字も書けなかったけど、 ーご母堂さまが心配しておられるのではないかー と代わりに手紙を書いてくれた。後で母にー賢くなったーと誤解されたのには困ったけれど。  南方に派遣されて、暑さや病に耐えかねて沢山の新兵が逃げ出したけれど、あなたは一度も逃げようとはしなかった。 ー逃げても、行くあてなんぞありゃしない。待つ人なんていないからー  それは俺も同じだったけれど、自嘲気味に笑うあなたの笑顔がひどく切なくて、思わず俺はあなたを抱きしめそうになった。 ーじゃあ、戦争が終わったら、俺の故郷に一緒に帰りましょうー  あの時、俺の唇をついて出た言葉は本心だったのに。あなたはやはり苦笑いするばかりだった。  そしてあの日.......。  篠つく雨に視界を遮られた森で、マラリアの熱でふらついてまともに歩くことも出来ない俺を手近の洞窟に隠して、あなたは独りでいってしまった。 ー見つかったら、必ず降伏するんだ。投降は恥じゃないー  あなたは耳許でこっそり囁いて、鉄兜を深く被り直して、俺に背を向けた。 ーどうか、生きてくれー  激しい雨に掻き消されていくあなたの足音を聞きながら、俺は知らないうちに泣いていた。それは俺があなたに言いたかった言葉だったから。  あぁ、あの日あなたと別れてからどれ程の月日が流れたでしょう。  あなたが隠してくれた洞窟で俺は敵に確保されて捕虜となり、治療を受けて辛くも命を永らえました。  あなたと共にいたあの部隊がどうなったのか、尋ねる勇気も持てぬまま、恥ずかしげもなく、故郷の土を踏みました。  あなたの故郷にも行きました。出迎えてくれたあなたの甥ごさんはあなたに良く似た好青年。彼の母親ーあなたの義姉さんは、息子さんを親戚に預けて出ていった都会の街で空襲に遭って亡くなったそうです。遺体の在りかもわからないとか。  そして、俺は約束しました。  きっとあなたを連れて帰る、と。  本当に本当に長い時間が流れました。 私はすっかり老いて、あなたがー逞しいーと誉めてくれた手脚も干からびて、しなびた枯れ木のようです。それでもまだ、生きています。  ただただ、あなたに会いたくて......。  あぁ、今日、俺はやっと再びあなたに巡り逢えた。大事にあの油紙に包まれた写真を抱きしめて、あなたは静かに眠っていた。  知っていましたか?  俺はあなたが好きでした。   あなたは俺の初恋でした。  ......ああ、あなたをやっと抱きしめられる。七十年は本当に長かった。でも、それでもあなたに会いたくて......。  さぁ、俺と帰りましょう。  静かに風花の舞うあの北の街。  愛しい人達の待つ故郷へ。  みんな、あなたを待っているから......。            (了)

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