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きみはかわいいおとなりさん。

 ――拝啓、お母さん。俺は今、大ピンチです。 「……」 「…………」  学内でも有名な、カースト上位イケメンモテ男こと市ケ瀬(いちがせ)蓮弥(れんや)と何故か睨み合いになること暫し。ほんの数分しか経過していないのかもしれないが、俺にとっては途方も無い時間に感じられた。  一体、どうしてこうなった。    ***** 「お帰りなさいませぇ、ご主人さまぁ!」  粉砂糖をふんだんにまぶしたみたいな声がフロアに弾ける。乙女の夢をありったけ詰め込んだような、きらきらでふわふわでパステルカラーな可愛さいっぱいの内装。  ここは女装メイドカフェ『グラミス・キャッスル』。俺のバイト先だ。  ごくごく平凡な大学生である俺こと日奈木(ひなき)郁人(いくと)が、何故この店で働いているかと言うと、シンプルに時給が良かったから。  けして裕福とは言えない経済状況の我が実家。そんな中でもこうして大学へと進学させてくれ、あまつさえ仕送りまでしてくれている母の負担を少しでも減らしたい。せめて自分の生活費くらい多少なりともなんとかならないか――。  そう思っていた俺の目にある日飛び込んできたのが、『グラミス・キャッスル』のオープニングスタッフ募集の貼り紙だった。  とは言え、女装に興味がある訳でも、かわいいものが特別好きな訳でもない自分に応募資格があるのだろうか。不安に思いながらベビーピンクのガーリーなドアを開いた俺を待っていたのは、漆黒のメイド服を身に纏った巨漢――店長だった。  鍛え抜かれた上腕二頭筋の周りを、フリルが彩るパフスリーブ。ミモレ丈のスカートの裾から覗くふくらはぎも大変逞しい。本人は趣味のお菓子作り(結構な重労働らしい)に興じた結果、筋肉がついてしまったと言っていたが、それだけでこんな事にはなるまい。  話を戻そう。面接の結果、即日採用が決まった俺はめでたく店で働ける事となった。慣れない仕事と学業との両立は大変だったが、個性豊かだが優しい同僚達にも恵まれ、案外楽しくやっていた。  事件は、その矢先に起こったのだった。  その日は、混雑する時間帯を抜けて、店内にも心なしかのんびりしたムードが流れていた。俺達キャストもタイミングを見計らい、交替で休憩を取ることにしていた。  店内に残っていた最後のお客を送り出した後、フロアに俺ともう一人のキャストだけになって間もなく、そいつらはやって来た。 「ここだろ? 男が女装して働いてる店!」 「ギャハハ! どんなゲテモノが出て来んだろな? 動画撮ってSNSに上げね?」  どう見ても店のターゲット層とは違う若者のグループ。端からこちらを馬鹿にする目的で来店している。……たまに来るんだよな、ああいうの。 「……お、お帰りなさいませ、ご主人さま!」  俺がグループの態度に引いている間に、もう一人のキャスト・ことりちゃんが果敢にもお出迎えに向かう。しかし。 「お〜! マジで言うんだこういうの!」 「てか結構かわいくね? マジで男? ついてんの?」 「お前、いきなりシモの話すんなよな〜!」  ことりちゃんは、耳障りな笑い声と共にあっという間に男どもに取り囲まれてしまった。「あうあう」と小さな悲鳴が聞こえてくる。背中に「SOS」の字が書いてあるようだ。……仕方ない。 「こちらのお席へどうぞっ、ご主人さま!」  俺はことりちゃんと男どもの間に割って入る。彼と入れ替わり様に「店長呼んで」と耳打ちすることも忘れない。  連中をボックス席に押し込み、さてどう時間を稼ぐかと彼等の顔を見渡したところで、ひとり見覚えのある顔が混ざっている事に気がついた。  大学の、同じ学部に通う男。必然的に講義がかぶる事も多く、その度に女子が色めき立っているから嫌でも名前を覚えてしまった。  市ケ瀬蓮弥。一見してカースト上位の人間ばかりのグループ内で比較しても、この男だけ二段階くらい顔面偏差値が上である。……ついでに、家が俺と同じアパートの隣の部屋だ。 「(嘘だろ……まあ、バレはしないだろうけど……)」  そもそもこいつは、俺がアパートの隣人だと気づいていない可能性大だ。とは言え、学内で顔を合わせる確率は高い。メイクやウィッグで原型がわかりにくくなっているものの、あまり姿を印象付けない方が良いだろう。そう思っていたのに。 「…………」  ……何故だ。めちゃめちゃ見られている。イケメンの視線が痛い。 「えーっと……お飲み物は何になさいますか? ご主人さま……」  とりあえずメニュー表で顔を半分隠しつつ、どうにか場を繋ごうとする。店長はまだか。  すると、今まで微動だにしなかった市ケ瀬がいきなり立ち上がり、俺の手を掴んだ。 「なあ、お前って――」 「ハァ〜〜イご主人さまァ! ウチのカワイ子ちゃん達はお触り禁止よォ〜!」  市ケ瀬が何か言いかけたところで、俺の背後から伸びてきた逞しい腕が、彼の手を引き剥がした。そのままの勢いで、一人、また一人と、素晴らしき上腕に担がれ店外へと運び出されていく。ドップラー効果を起こす陽キャの悲鳴。 「っま、待って!」  とうとう市ケ瀬が運び出される番になった時、店長の腕を掻い潜り俺の前へと戻って来た彼が、俺の手に紙切れを一枚握らせてきた。 「それっ……オレのアカウント! 連絡待ってる!」  その言葉を最後に、奴は他のお仲間同様に店の外へと放り出された。かくして嵐は去ったのであった。 「ひ〜な〜ちゃんっ!」 「おわっ!」 「聞いたよ〜! イケメンに連絡先渡されたんだって?」  閉店後のロッカールーム。俺の背中に飛びつきながら、先輩キャストのりらさんが言う。女性ファッション誌の表紙でも飾っていそうな、キラキラ女子そのものといった出で立ちだが、当然男である。ちなみに「ひな」とは俺の源氏名だ。日奈木だから「ひな」。我ながら安直だとは思う。 「からかわないで下さいよ、りらさん……。どうせ罰ゲームかなんかでしょ」  陽キャはそういう趣味の悪い遊びが好きだ。まさか大学生になってまでやってるとは思わなかったが。 「え〜、連絡してみないの? つまんなぁい」 「勘弁して下さい……同じ大学なんですよ? あいつ」 「へぇ〜、そうなんだぁ。案外、運命の恋のハジマリ♡ とかかもよ?」  ますます勘弁してほしい。そんな可能性はあり得ないけど。    *****  ……というのが、先週の話。  俺は目下、(くだん)のイケメン・市ケ瀬蓮弥から壁ドンを食らっていた。 「……あの、俺に何か?」 「…………連絡、」 「え?」 「……だからっ、連絡! メモ渡しただろ! オレずっと待ってるんだけど!」  嘘だろう。俺は血の気が引いていくのを感じた。  市ケ瀬の言うメモとは、あの日店で渡されたあれの事。座席に設置されたアンケート用紙の裏面に走り書きされた、メッセージアプリのID。捨ててこそいなかったが、本気にだってしていなかった、あれ。  俺にこんな話をするということは、俺が『グラミス・キャッスル』のキャストだと気づいている、という事になる。 「……何の話だか、俺にはさっぱり……。あの、もう行っていいですかね? 俺用事が――」 「しらばっくれんなよ……「ひな」ちゃん」 「!!」  俺より十センチほど身長が高い市ケ瀬が、真剣な眼差しで見下ろしてくる。うわイケメンの圧つよい。 「ひ……人違いです! 気のせいです! 俺は女装メイドカフェで働いてなどいません!!」  このまま睨み合っていては、カースト上位者の圧力に負けて余計な事を口走ってしまいそうだったので、俺は市ケ瀬を思いきり突き飛ばしてその場から逃げ出したのだった。 「なんか……今日はどっと疲れた気がする……」  バイトを終えて帰宅し、アパートの階段を上りながら呟く。鞄から部屋の鍵を取り出したところで、自室の前に誰かが座り込んでいるのに気づき、身構える。 「……市ケ瀬……?」  切れかかった蛍光灯の明かりしかないアパートの廊下。薄暗がりの中にそいつは居た。 「……あの、俺の部屋の前で何を……?」  もしかして鍵を失くして自分の部屋に入れないとか? だとしたら大家さんに連絡すればいいのに。……まさかとは思うが、いつ帰るとも知れない俺を待っていた……なんて事はなかろう。 「……おかえり。待ってたんだ、お前のこと」  そのまさかだった。何なんだ一体。 「謝りたくて、待ってた。……ごめん、色々と」 「色々って……」 「色々は、色々だよ。店での事も、その後しつこくしちまった事も……全部、ごめん」  立ち上がった市ケ瀬の頬はうっすら赤らんでいた。今はかなり春めいてきたとは言え、夜はまだ冷える時季だ。その言葉を言うために、一体どれだけの間、俺を待っていたのだろう。 「言い訳になっちまうけど……仲間内のノリで断りきれなくて……すげえ失礼な事、いっぱいしたよな。本当に悪かったと思ってるよ。店長さんにも、今度改めて謝りに行く。あいつらにも……ちゃんと言うから」  ひどく反省した様子の市ケ瀬を見て、俺は何も言えなくなる。陽キャとまともに話なんか出来るはずがないと決めつけて、一線を引いていた自分が恥ずかしかった。 「……いいよ、俺は。別に実害は無かったし……店長と、あの時いたもう一人の子にも謝ってくれるなら、それで」  それを聞いてほっと息を吐いた市ケ瀬に、俺は一歩歩み寄る。 「……俺も、市ケ瀬に謝んなきゃならないこと、ある。……ごめん。あんたの話、全然まともに聞こうとしなくて。……メモも、単なるイタズラだって、決めつけてた」 「そっ、か。……なあ、あのメモってもう捨てちゃった?」  俺はふるふると首を横に振った。それに対し、寂しげだった顔が急に綻ぶ。不意に食らうイケメンの微笑みは目に痛い。 「じゃあさ、今からでも登録してくれない? オレ、お前のこと、もっと知りたいから」 「何だよそれ……。なんだってそんなに俺に構うの……」  俺が問うと、市ケ瀬の頬が赤みを増した。暫し視線を迷わせ、もごもごと口を動かしていた彼は、急に昼間の壁ドンの時みたいな真剣な眼差しで俺を刺してきた。 「日奈木はさ……一目惚れって、信じる?」 「は、……」  想像もしなかった言葉に、思わず息をするのも忘れた俺の手に、市ケ瀬の指が触れる。いつの間に、こんな近くに。 「店に行った時に、日奈木を見た瞬間さ、今まで感じたことないくらいにドキドキしたんだよ。しかも、よく見たらお隣さんじゃん? って思ったらさ……もうこれはアピールするしかなくね?」 「陽キャ、フットワーク軽すぎだろ……」  俺は、呆けている内に抱きしめられていた。市ケ瀬の冷えたジャケットの感触に、胸の奥がざわざわする。そして、この状況に嫌悪感を抱けないことが腹立たしい。  最後の意地みたいなもので腕を突っ張り体を放す。それから、市ケ瀬を睨み上げた。耳が熱い。きっとひどく情けない顔をしている。 「……俺、まだなんの返事もしてないけど」  ついでに言えば、好きだとも言われていないな、と内心で思う。  市ケ瀬は一瞬目を丸くした後、大学の女子達が見たらその場で卒倒しそうなくらいの、人懐こく眩しい笑みを浮かべた。 「オレ、郁人のことが好き。だから……オレのことも好きになって?」  そう言って、俺の左手を掬い上げた市ケ瀬は、薬指の背に唇を寄せながらこちらを見上げた。実に完璧な上目遣い。 「か……勝手に名前で呼ぶな!」  そのくらいしか言い返せない時点で、既に勝敗は決しているのかもしれなかった。 「ふえっくし!」  言いたいことを言って気が緩んだのか、市ケ瀬がくしゃみと共に体を震わせる。俺を待っていたせいでこうなっていると思うと、良心の呵責のようなものがなくもない。 「……なあ、俺の部屋、上がるか? 寒いんだろ。お茶くらいなら出せるし……」  言ってから、そもそも隣なのだから、自分の部屋に帰せばいい話だったと気がつく。ダメだ、合理的な思考能力を失っている気がする! 「マジで? 郁人の部屋入れんの、めっちゃ嬉しい」  寒さのせいかそれ以外の理由か、もう判然としない頬の赤み。子供みたいに笑う市ケ瀬の顔を見て、心臓がきゅっと苦しくなった気がした。……絆されてなんか、いないったら。  この後、市ケ瀬がうちの店の常連になったり、それをりらさんや店長に揶揄(からか)われたりする事になるのは、また別の話、というやつだ。 【了】

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