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蝶、夢を見る

 花仙の統べる穏やか世界で過ごすこと七日あまり。てっきり他の神仙や、現地調査などに向かうものと思っていた蓮雨(リェンユー)は花仙から「待て」を喰らっていた。 「おかえり、一春(イーチュン)」  東屋の欄干に腰かけ、水面に浮かぶ花を眺めていた蓮雨(リェンユー)は白魚の指先を伸ばす。りぃん、と響き渡る鈴の音に湖面に波紋が広がった。  伸ばした指先には、透き通る美しい蒼の夢蝶(モンディエ)が止まっていた。 「母上の様子を見せておくれ」  蝶と同じ、蒼い瞳を目蓋の裏に隠してしまう。閉ざされる一瞬、蒼が鈍く輝いた。指先に止まった蝶の翅に、口付けを落とす。水華廊の東屋に光が差し込み、蓮雨(リェンユー)を照らす。美しい細面は珍しく笑みを描いており、まるで神聖な儀式のようだった。  目蓋の裏に、一春(イーチュン)が映してきた思念が流れ出す。  蓮雨(リェンユー)は、自身の夢蝶(モンディエ)に名前を付けている。一番から四番には季節の名をつけ、それ以降は番号で呼んでいた。  他のきょうだいたちは「見分けなどつくわけない」「アレは父上の気を引きたくて狂ってしまったんだ」と散々馬鹿にしてきた。  夢蝶(モンディエ)たちは、こんなにも違うのに。翅の形も、色の濃淡も。違いの分からない彼らこそ、風流の分からない無粋者だ。  短く息を吐いて、思い出したくもない記憶に蓋をする。今は、一春(イーチュン)が持ち帰ってくれた映像を見ないと。白黒の映像がぱちぱちと流れていく。声は聞こえない。あくまでも、様子だけだ。もっと蝶たちを操れるようになったなら念思や、口伝などもできるようになるのだろうか。花仙に乞えば、教えてくれるだろうか。 『――っ、――! ――!!』 「……母上」  映像の中の母は、いつも苦しそうだ。打ち拉がれている。愛する一人息子と引き離されて、身も世もなく泣き崩れる日々だ。  お可哀想な母上。来たくもなかった後宮へ大金と引き換えに無理やり召し上げられ、美しい花の宮に押し込まれ、挙句の果てには宝物(リェンユー)すら奪われてしまった。食事もまともに取らず、夜は眠れずに気絶をするように意識を失って、蓮雨(リェンユー)がいない朝が来ることに絶望する。このままでは、身体を壊して、蓮雨(リェンユー)が戻る間もなく儚くなってしまう。どうにか、手だてを考えないといけなかった。  柔い下唇を噛む。ぷつり、と肉を断つ感覚と、鉄臭さが口内に広がった。ぷくりと膨らんだ赤色を親指の腹で拭い、爪先を噛む。右手の親指の爪だけ、がちがちと噛み癖のせいでボロボロだった。閉月公子、と呼ばれた彼には不釣り合いな爪だった。  遠目に、その様子を眺める花仙は、小さく嘆息をした。 「ああしていれば美人なのになぁ。月も恥じらい、花も閉じてしまう美しさ、か。しかし、美しいだけでなく棘もある。ふむ、なんとも、気難しい皇子様だ」  華蝶国(かじょうこく)の第三皇子・蒼蓮雨(ツァンリェンユー)。  花神仙に捧げられた供物である。供物のわりには自由気ままで、屋敷内を好き勝手に歩き回っているが、咎めるつもりもないので花仙は好きにさせていた。  いつも眉間に皺が寄っていて、下唇を噛む癖がある。そして噛んだ下唇を親指で撫でる癖がある。柳眉を寄せ合わせると色を纏い、どこかそそられる表情(かお)をする。母が大好きで、蒸し菓子が好きで、花茶よりも甘露茶の方が好き。豆類が苦手で、食は細め、寝付きは悪いが、寝起きは良い。そして毎日、同じ時間に夢蝶(モンディエ)を操っている。 「……――勿体ないなぁ」  たった七日。されど七日。それで十分だった。観察眼には自信がある。  独学の付け焼き刃で身に着けた仙術。仙門を潜り、基礎からきちんと学ぶことができれば、きっと素晴らしい道士になれる。身に宿る仙気も、そこらへんの道士より洗練され、量も多く質も優れている。霊蝶の夢蝶(モンディエ)を自らの式として使役できているのも道士としての才能抜群だ。その上、もしている。 「さて、そろそろ見終わったかな」  丁度良い頃合いだろう。  廊をわざと足音を立てて歩く。  パチリ、と蒼が瞬いて、揺蕩っていた蒼は霧散する。 「やぁ。ご機嫌はいかがかな、――小花(シャオファ)」 「……その、変なあだ名はやめてくださいといったでしょう」 「いいじゃないか。俺とお前の仲だろう」 「どんな仲です」 「まったく、もう七日も共に生活をしているというのに……俺の小花(シャオファ)はつれないなぁ」 (だぁれが、小花(シャオファ)だ……!)  ギリギリと握りしめた拳に、元凶の掌が乗せられる。 「さぁ、小花(シャオファ)。お出かけの準備をしよう」 「……は?」

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