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運命の糸がきれた

 運命の糸が切れた。  俺は、ざまあないと思った。  そして自業自得とすら思った。  愛に満たされて、なんの努力もしてなかった愚かな自分にいまさらになって気づく。 「篠崎さん、あなたはベータになりました」  そろそろ桜前線がやってくるという朝のニュースを見た。そんな仕事帰りの夕方、伊藤 春太(いとう はるた)こと俺のバースはオメガからベータになったと知らされた。  忙しい仕事柄、段々となくなるヒートの回数に気づいた。吐き気などなかったが、もしかして……と胸に期待を膨らませて訪れたバース専門病院での診断がこれだ。 「えっと……」 「血液濃度を調べてみたところ、オメガ因子がまったくない。たしかに去年の数値は確認されているけど、それもその前より減少しています」  銀縁眼鏡の医者はすらすらと喋っている。窓からは一本の桜が咲き誇っているのが見えた。 「はあ……」 「オメガからベータになったということで診断書を出しておきます。会計のときに必要なものをお渡しいたします。ではまた」  白衣を着た医者は冷たい笑みを浮かべて、俺を追い払った。会計を済まし、大量の書類を貰って説明を受けた。なにも考えられずに、俺は呆然としたまま病院を出で電車に揺られて帰った。 「……た。はるたっ」  はっとして前を向いた。  目の前には夫である薫が心配そうにこちらを見ていた。ぽろりと箸から里芋の煮っ転がしがつるんと落ちたのに気づかず、俺は横に置かれたテレビを聞き流していた。 「へ……?」 「どうしたの? 病院から帰ってきてからずっとぼうっとしてるけど?」  アルファである夫はこの上なく優しい。癖のある黒髪を後ろに撫でつけて、端正な顔立ちを心配そうに近づけてきた。 「……ああ、うん。ちょっとね」 「なんかあった?」 「うん、ご飯食べたら言うよ」 「そう?」 「うん、ちょっと色々あったから。薫こそ、忙しいのに夕飯つくってくれてありがとう」 「俺は在宅だから気にしなくていんだよ。今日は俺の得意のカレーだし、たくさん食べて元気だして」  にっこりとほほ笑まれると、ちょっと困った。スプーンで一口食べると、甘いカレーの味が広がる。 「うん、おいしい」 「春太の苦手な人参も小さく刻んでいれたんだ」  薫は意地悪い笑みを見せて、カレーにぱくつく。  背が高く、性格もよくて、仕事もできる。アメリカの大学を卒業し、外資系投資銀行を経てベンチャー企業を起ち上げ、いまは家で大半を過ごしている。  薫とは国のお見合い事業で出会った。  薫には人がたくさん群がっていた。よくしゃべるオメガ女子たちに愛想よく頷き、アルファやベータの男どもには世間話もして名刺交換をして人脈をつくっていた。  さすがアルファって感じだなと思った。なんでもスマートにこなし、誰からも好かれる。そんな俺は隅っこでただ酒をあおるように()していた。高そうな上等のシャンパンをおかわりしながら、人間模様を観察してマッチングしている様をじっと眺めていた。  だから薫が話かけてきたことに、気付かなかった。  誰かと喋っているんだなあと思っていたら、俺のほうを向いて口をひらいている。 『もしかして僕は嫌われちゃった……?』とぼやくように言われて困っていた。やっとそれが自分に向けられていることに気づいた俺はごめんごめんと平謝りして、薫と笑い合った。  俺たちはこのお見合いにうんざりしていた。話すと、愚痴がボロボロ出てきた。  三十過ぎになると、アルファ、ベータ、オメガを交えて国から結婚を後押しされる。どのバースも男と女が両方参加していた。ベータは番いにはなれないが、平等という名の権利のために参加を余儀なくされている。  運命の番いじゃないけど、そろそろ結婚したいんだよねと疲れた様子で酒を飲む薫。俺もそそろそろ番いが欲しい……。アルファは男でも女でもこのさいどっちでもいいんだ。と呟いたらびっくりされた。同じアルファだと思っていたらしい。ワイシャツの襟に隠れていたチョーカーが見えなかったようだ。そんなんだからか、ふたりの意見が合致してとんとん拍子でマッチングしてしまい、結婚式をすっ飛ばして入籍した。 「お風呂どうする? 一緒に入ろうよ。春太の背中をこすってあげるよ。そのあとお菓子を取り寄せたから一緒に食べながら話しちゃだめ?」  にこっと少年のように笑みをみせる。わくわくとしたうれしい気持ちがなんとなくこっちにまで伝わる。  あ……やばい。なんか勘違いしているかもしれない。 「……えっと。うん、いいよ」 「やった。あ、春雨スープも飲んでみて」  言いかけようとして、言葉が浮かばない。薫に椀をぐいぐいと押しつけられ、そのまま飲んでしまう。スープはお酢が入っていたのかさっぱりとしたものだった。  風呂に入って、全身を隈なく洗ってもらった。柔らかなタオルに包まれて、薫が俺の身体を拭いてくる。 「なにもしなかったな……」 「春太、体調悪そうだし何もしないよ。さすがに病人に手は出さないよ」  バツが悪そうに頬を膨らませている。かわいい。ドライヤーを手にすると、薫は髪を乾かしはじめた。 「あ、また深刻そうな顔してる」 「へ?」 「春太、帰ってから元気ないよね。そうだ。甘いもの食べよう。チョコレートがあったんだ」 「……ありがとう」  どこまでもいいやつだ。これがイイコトとかだったらいいのに。楽しみに病院に行ったのに、そうじゃなかった。 「で、なにがあったの?」  薫は牛乳ベースのココアを二つ作ってくれた。いつもは脂質と糖質がこわい、なんて横で飲む俺に向かって言っていたくせにだ。俺たちはリビングテーブルに向かい合ってココアに口をつける。 「……こどもが」 「子ども?」  視線が下がる俺に、薫はじっと切れ長の瞳をまっすぐに向けてくるのがわかった。 「……薫さ、子どもが欲しい?」 「そりゃあ欲しいけど、でも僕は春太と一緒にいれればそれでいいよ。番いなんだから」  ツガイナンダカラ。  その言葉にキュッと心臓が掴まれた。もう番いではない。とも言われたようなそんな気分になった。うなじの噛み跡も消えていくかもしれないとも医者が言っていたことを今になって思い出した。  ココアをごくんと飲む。お揃いのブサイクな手作りマグをどんっと置く。 「……あのな、俺、バースがベータに戻ったんだ」 「……え」 「薫、離婚しよう」 「りこん?」 「うん。お見合いだったし、別れよう」 「え、まって。まって、春太。どうしてそうなるの?」 「薫にはもっといい人がいると思うんだ。運命の番いとかそういうのあるかもしれないじゃん。俺、ベータになったからその……」  そのあとで愛されなくなったらつらい。そう言いたかった。 「そのってなに?」 「薫に愛されなくなるのつらいんだ」 「春太、落ち着いて。愛されなくなるってなに?」  いまになって、こらえていた涙が溢れて流れだした。バカだ。  帰り道はずっと闇に沈んだ気分だった。  薫に愛されない。いつかそんなときがくる。そんなことばかり考えていた。  番いでなくなった自分が、そばにいていいのか。噓なんてつきたくない。 「……番いはすでに解消されてるって医者が話していた。薫、結婚して幸せな家族作りたかったんだろ?」 「春太、それはちがうよ」 「ちがう?」 「僕は君が好きだ。愛してる。お見合いだったとしても、たくさん出かけたし旅行も行ったよね?」 「うん」 「春太とたくさん写真撮ったよね?」 「うん」 「初めてこんなに好きだって思えるような人と出会えたって話したよね?」 「……うん」  薫は俺の初めての恋人だった。憧れであり、冗談を交わす親友であり、それ以上に好きという気持ちがまさった。いろんな話をして、いろんなところへ足を運んで写真をたくさん撮った。愛に満たされた時間はバースのおかげだと思っていた。でも、所詮はお見合いだ。薫はどういう気持ちで俺と結婚したのだろう。そろそろ歳だからと、手を打ったに過ぎない。 「はじめて、好きだって思えたんだよ」 「うん。……俺だって、勝手に薫を運命の番いだと思ってる。自意識過剰だけど、すぐに好きになっていってこれは運命かなって思っていた。でも俺たちはもう番いじゃない。子どももできない。運命もなくなった。おまえはモテるし、人当たりもいい。仕事もできるし、金もある。だからなんだか申し訳ない……」  しんと十畳の室内に沈黙がおりた。 「…………」 「……」  ココアの湯気だけがふわふわと上がり、蛇のように細くゆらめいて消えていく。そこらじゅうに飾ってある浮き足立った写真立てが噓のように、悲しく見えた。ひまわり畑も、秘湯ロマンも、自然豊かな山々もいまは冷たく映る。 「あのさ……」   と、言いかけたときだった。俺は判を押して下さいという言葉を用意していた。  薫が立ち上がった。それは怒ったように勢いよいものだった。 「春太は大切な恋人で家族なんだ。誰にも渡さない。それはいかなる理由があっても変わらない。気持ちだってずっと変わらない」 「かおる、ありがとう……」  ごつっと当たるような不器用な口づけをされた。  熱く流れる涙が俺の頬を濡らす。  口の中いっぱいに、少しだけ苦いココアの味が広がった。

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