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Q

Q:なにか“初恋”にまつわるエピソードはお持ちですか?  えー、僕の初恋についてですかー? えーなんだろう、なにかあったかな。思い出してみます。初恋というとあれですよね、恋心を最初に自覚した出来事ってことですよね。えー、昔のことあまり覚えてないかも。どうだったっけ。  えーっと、どんな内容でもいいですか? あ、そのエピソード自体は実はあるんですけど、これは個人的に印象深かったなというだけでして、聞いてる側からしてみれば『なんのこっちゃ』とか『こんなので初恋と呼べるの?』とか納得いかないかもしれないんです。そんなのでもよければ……いいですか。  あれはですね、確か中学一年……のときかな。まだ部活やってたので一年で間違いないです。あ、そうなんです、一年も経たずに辞めちゃいました。バド部でした。いやぁひどいんですよこれが。先輩からめちゃくちゃいじめられたんですよ。なんか新入生でしかも初心者なのに高価なラケット持ってきたのが気に食わなかったのか、ちょっと貸した隙にガット折られてましたから。悔しいけれども怖さが勝つもので、両方の感情から全身ガクブルだったのが情けなかったです。それで思わず体育館から逃げ出しちゃいました。同じ一年生でも経験者っぽい人たちは笑って僕を見ていました。自分含めあの場にいた誰もが馬鹿でしたね。  ごめんなさい、脱線しました。中一の……寒かったのであれは冬ですね。中一の冬でした。部活はサボっていたのですが、退部届は出していなかったので、扱いとしては幽霊部員だったんです。運動部という肩書を捨てたくなくて、ラケットが入ってない空のラケバを毎日背負って登下校してました。これほんと馬鹿ですよね。思い出すたび恥ずかしいです。当時の感情は羞恥心以外ちゃんとは思い出せないんですけど、それでもそうしないと、なにかにカテゴライズされてないと不安だった、ような気がしてました。  学校の近くにナントカホールとかいう公民館みたいな建物がありました。僕は毎日放課後になるとそこへ向かい学校の宿題をしていました。なにせ暇だったもので。みんながラリーをしている間、僕は勉強をしていました。同じ中学に通う兄には口止めしたうえで、両親には僕が普通に部活に励んでいることにしていました。だって、いじめられてるのばれたら嫌じゃないですか。大事にもなるでしょうし、なによりみっともないですし。でもこれが功を奏して、高校は偏差値が高いところに行けたんですよ。  それでいつもどおり勉強してたのですが、屋外からがやがやと騒がしい声が聞こえてきたんです。窓からちらっと覗いたら、なんとバド部の連中が中に入ってこようとしていたんです。立地として近くにコンビニがあって部活帰りの生徒はみんなそこに寄るのですが、万引きとかたむろが問題になって、買った商品はコンビニの周辺では食べないという決まりがありました。その日は部活が早く終わったあいつらがコンビニの商品片手にそこに寄ったみたいなんです。鉢合わせしたら、なにされるか分かりません。僕はもう大慌てで荷物引っ掴んで奥に逃げました。といってもそんな奥行きのない建物なので、どこかの部屋に入らない限り見つかってしまいます。咄嗟に多目的室みたいな所に飛び込みました。  そしたらですね、なんとそこにも人がいました。10人くらいいたと思います。コの字に並んだ長テーブルと正面にはホワイトボードで、なにかの講座を開いていたみたいです。講師らしき中年女性が「え? なになに」と驚いていました。周りの大人たちも、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚いていました。 「今は講義中なので、関係者でない方はご退室ください」  そう言った講師は悪魔だと思いました。さしずめ前門の虎後門の狼、といったところでしょうか。僕はプライドなんかかなぐり捨てて頼み込みました。 「あの、あの、ほんとにすみませんが、ちょっとだけでいいですから、ここにいさせてください」  真似するとこんな感じです。はたから見ればすごい状況ですよ。両手にラケバと勉強道具握りしめながら泣きべそかいてる男子が乱入してきたんですから。  そしたらですね、なにかを察したのか講座の生徒のうちの一人――歳は僕と同い年くらいでしょうか、同じく学生服を着た人が助け舟を出してくれたんです。 「先生。ちょっとくらい、いいんじゃないですか」  余裕なさすぎて、学生さんがいることにも気づけなかったのでびっくりしました。それを聞いた先生も、その他の大人たちも“察して”くれて、僕は留まらせてもらいました。ええ、その“察し”が辛かったですよ。パイプ椅子に座ってるのに針のむしろです。  それでも講座終了までそこに居座らせてもらえました。そっと部屋の外を見ると部活のやつらはいませんでした。そこでさっき助けてくれた学生さんに声をかけられたのです。 「さっきのすごかったね。なんだったの」  立ち上がったその人は思っていた以上に背が高く、僕の顎が上がりました。 「同じ部活の人たちと会いそうになって」 「同じ部活の人と会ったらなにかだめなの?」 「だって」  緊張が解けたからか、僕は堰を切ったように自分のことを話しました。内容はさっきお伝えしたようなことです。相手は見たことのない制服だったので、他校の生徒のようでした。普段会わないような間柄だからこそ、包み隠さず言えたんだと思います。  ぼろっぼろ泣きましたね。  その人はうんうんと相槌をうちながら聞いていました。でもきっと分かってはもらえないと思っていました。いじめられたことが無さそうでしたし、それどころかいじめる側の外見だったんですから。  その人はただひと言 「腹立つわぁー、ぶん殴れぶん殴れ。ちょうど、いいもん持ってるよ」  と言い、木の棒みたいな物で素振りをしました。当時の僕はその棒がなんなのか分かりませんでした。 「これ? これ尺八」  この人はどうやら尺八の講座を受けに来ていたようです。講座の内容すら右から左になるほど、僕は呆けていたようです。 「尺八って笛の? おじいちゃんが吹いてそうな」 「今馬鹿にしたっしょ」 「ふふふふ、ふふふ」と僕は笑って涙を拭きました。  変わった人だと思いました。普段僕をいじめてそうな見た目なのに、放課後の時間を使って尺八習ってたんですよ? なんか笑っちゃいません? 「あ、ノートちょっと見せて。……えー、すげえ字きれい。あ、教科書全然違うの使ってる。でも同い年なんだね。あ、お名前“ゆうや”くんって言うんだ」  違うんです。 「これね、裕也(ひろや)って読むの」 「裕也くん。ヒロ」  僕はうわっと思いました。家族以外でその名前を呼ばれたのは久々だったからです。先生は苗字呼びでしたし、大抵は嫌なあだ名で呼ばれてました。 「じゃあねヒロ」  正直、帰ってほしくありませんでした。  その一週間後、同じ場所で再会できるとは夢にも思いませんでした。 「あー! 一週間ぶり!」  向こうから話しかけてきてくれました。僕はもう嬉しくて嬉しくて、きっとだらしない顔をしていたに違いありません。 「会えて嬉しかったんでしょ」 「嬉しくないです」 「嘘つけ。口調変になったし」 「嬉しくないです」 「えー、せっかくヒロに会えたのに」 「えっ」 「えっ、名前違った? 裕也(ひろや)でしょ」 「    」  その時。その時なんです。  もうその時の気持ちをなんと表現したらいいのか。密閉された屋内なのに、僕の周囲を風が旋回しました。反射で口を押さえて壁を見ました。  初恋でした。  たったこれだけのことなんです。たったこれだけ。それなのに僕はどうしようもなく――ああああ。理解してもらえないでしょうね。  でも、そこで空気の読めない出来事が起きたんです。  なぜか見計らったかのようにバド部の連中が来たんです。僕は今度は別の意味合いで心拍数上昇しました。物陰に隠れるその俊敏さはサバンナの中の草食動物そのものです。その人も一緒に隠れました。 「なに、あれが部活のやつら?」 「うん」 「全員に文句言ってやろっか。肩パンしながら」 「絶対だめ」 「……腹パンがいい?」 「そういう問題じゃなくって。そんなことしたら、学校でまたなんかされる。早く帰りたい」 「じゃあ見つからないようにここから出られればいいってこと」 「うん」  じゃあ、とその人は着ていた黒い上着を僕に着せてきました。大きくて、暖かかったです。 「フードも被って。じゃ、行くよ」 「えっほ、ほんとに? ちょちょちょ」  僕が躊躇するのもお構いなしに、手を引っ張られました。大きくて、暖かかったです。  やや強引でしたが、なにも絡まれることなくコンビニまでたどり着けました。 「緊張した緊張した!」 「そう? 余裕でファッキューしたけど」  中指を突き立てる余裕っぷりを披露してきます。アホっぽくて好きでした。 「あ、あのさ、ここ入ろ。なにか買うよ。好きなものなに?」 「え。いいっていいって。じゃあね」  走って行っちゃいました。  それ以来、会っていません。  毎週木曜日、どきどきしながら足を運びました。会うことは叶いませんでしたが。  聞いたところによると、コンビニで別れたあの日、尺八教室の最終講義だったとのことです。  淡い後悔の思い出です。その人の名前を聞けていないのですから。あの時借りたままの上着、どうやって返したらいいと思います?  こんなもんでしょうか。  そりゃ、あれから何年も経ったので、大なり小なりいろんな恋をしました。でも原点を辿るとなると……その辺が真っ先に思い浮かぶんです。とてもかっこよかったんです。彼―― Q:あの、もしかしてですが、初恋の人は男子生徒ではないですか?  いいえ。違います。 Q:最後に“かっこいい彼”とおっしゃいませんでした?  言ってないです。聞き間違いです。 Q:もしかして同性がお好きですか?  なに言ってるんですか。見てのとおり、私は男です。男同士が好きだなんて、そんなキモいことありえません。私はそんなんじゃありません。  ほんとだってば。  全くもって違います。私は男なので女が好きです。  私は普通です。

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