1 / 1

第1話

「田舎の空気は上手いっていうけど、逆だな。都会が不味すぎる」 「確かにな」 「逆に言うと、今しかこの不純な空気は味わえない。味わっておこう」 「へへへ。なんそれ」 「橋岡はいずれ上京しそうだな」 「かなあ。馴染めるとは思えんけど。この…シャレオツな空気に」 「橋岡なら数日で、祖父の代からここにいました、みたいな顔が出来る。…僕たちはどう合流しよう」 「せっかくはぐれたんだし、ちょっと二人で見とかね?はぐれた時は17時に東京駅の南八重洲口、って決めてるし」 「せっかくはぐれてた、とはまたポジティブだな」 「あは」 初めて東京にきた。なぜなら修学旅行だからだ。 でも来たくなかった。なぜなら修学旅行だからだ。 僕には友達がいない。休み時間はいつも本を読むか、つっぷして寝ているかの二択だ。 寝ている、というのは形だけで、本当は起きている。でも、友達がいないなんて、どうでもいいですよ、という感じを出す為に僕は目を閉じて世界を拒絶する。40名のクラスメイトに拒絶されているのは僕の方だったが。それを理解したくない為にも目を閉じる。 うちはあまり裕福ではなかった。それに前述のように陽の当たらない学生生活を送っていた僕だったから、修学旅行も行きたくなかった。 それとなく母に伝える。もちろん友達がいないということは省く。 けど母は、そこまで貧乏じゃないから大丈夫!と笑った。僕が気を遣っていると思ったのだろう。こうして、毎月毎月これ以上ないくらい無為なお金が積み立てられていった。 横領も考えたが、別のクラスの僕みたいなやつが同じ事をして親を呼び出されていたのを見た時は心底やらなくて良かったと思った。 毎週毎週、修学旅行の予定が組まれる時間が設けられる。 まずはグループわけ。 ひとグループ5人と決められている。 ぼっちの僕をどこの班が引き取るかが6時間目に話される。僕は朝からずっと消えてしまいたい気持ちでいっぱいだった。 そしてその時間になる。 「高田、俺たちのグループ入んない?」 そう話しかけてきたのは、クラスの1軍で生徒会にも属し、見た目も中身も共に良く、誰からも慕われている、サッカー部の橋岡だった。 ひぃ、と恐怖で叫びそうなのを僕は堪えた。 「橋岡たちが良いなら」 「うん。俺、高田に入ってほしい」 ひぃ、と恐怖で叫びそうなのを僕はまた堪えた。なんでだよと言いたい。理解に苦しむ。 そうか、昼休みとかに、ある程度の男子が集まって事前に「ぼっち高田」をどうするか話し合いが行われたんだろう。そこで自ら貧乏くじを引く男前。それが橋岡だ。かわいそうに。ごめんなさい。僕という存在がこのクラスにいてごめんなさい。そう謝りたくなったが、プライドが許さなかった。情けない。自己嫌悪ゲージが溜まる。溜まった先には何があるんだろう。 「ありがとう。橋岡」 プライドの高いクソ僕にはそれしか感謝は述べられなかった。 「や、でも、まじに、高田は嫌じゃない?」 えっ。急になんだ。心理戦か?嫌と言った方がいいのか? 橋岡の顔をじっと見つめる。橋岡から目を逸らした。 「誘ってもらって嬉しいと思ってる」 対人経験値の少ない僕は、そう素直に答えざるを得なかった。 「ほんとに!?」 急に声を荒げる橋岡におどろきつつも頷く。 「よかったあ〜」 橋岡は確かに、良かった、と言った。さすがは社交的な彼だ。身の振る舞い方を分かっている。一方で僕は本当に先ほどの答えが適切だったかどうか考えていた。しかし答えは出そうにないので、寝る前に思い出して泣こう。 「光栄だよ。橋岡に誘われるなんて」 気取った語彙が出てきてしまった。消えたい。 「本当に!?修学旅行の計画立てようぜ!」 無邪気に見える橋岡。橋岡他3人もいいやつだった。人望とはこういうことを言うんだろう。 それから、橋岡はよく体育の授業にも僕を仲間に入れるようになっていった。足手まといになりたくなくて、不審者がよく出る薄暗い公園でひとりで練習した。フォームを携帯で撮り、どこがダメなのかプロのと比較する作業は、勉強でどこがわからないのか探していくのと似ていて楽しかった。結果、バレーでもバスケでも僕は役立った。橋岡に誘われた以上、僕は今までの僕以上になれるように頑張った。 そして修学旅行初日の自由時間、僕と橋岡はグループの他3名とはぐれた。 自分が情けなくなる。自分が加わったせいで、輪の規律を見出したんだろう。橋岡に申し訳なくなるが、橋岡の顔は爛々と輝き、少し不気味だった。 「悪い橋岡。はぐれるなんて」 「いやいや、しょうがない。人の数が違いすぎるから!どこもかしこも祭りみたいだ」 「それは…たしかに」 そして冒頭の会話になる。僕は焦っていたが、橋岡の話を聞いて落ち着く。予め集合場所は決まっているのだ。焦らなくてもいいかもしれない。 「橋岡、あそこの…シェイク?飲みたいって行ってただろ。入るか」 「フラペチーノね」 「ふらぺちーの…イタリア語か?」 「わかんね!」 橋岡は満面の笑みだった。唐突な事態に、笑うしかないのかもしれない。まあ、それでもいいか。 「ここは、サイズがSMLじゃないんだ」 「なんかそれは聞いたことがある。ショート…グランデ?スモール?」 「それだと小さいのが二つあるね」 平日にも関わらず、たくさんの人が並んでいた。しかし橋岡と喋っているとあっという間だった。 「わからん。なにもわからん。どうしよう」 「俺、頼みたいのが二つあってなやんでるんだけど」 「じゃあその片方にする」 砕いた氷のようなものが入っていて、味はなんか…東京という感じだった。そう伝えると、橋岡はむせながら笑った。 「橋岡、俺の方の味も気になってただろ。飲んだら?」 「…じゃあ高田も俺の飲んでよ」 緑色のプラスチックのストローを引き抜き、お互いのに刺して飲む。俺のは抹茶あじだったが、橋岡のは…コーヒー牛乳のようだった。 「美味しい」 「良かったな」 あどけなく笑う橋岡。なんとなく皆んなの前での頼れる橋岡ともちょっと違う雰囲気を持っているように思える。 「高田は行きたい所ほんとにないの?」 これは修学旅行の計画を立てるときによく聞かれたことだった。 「うーん。高層ビルとか見れたらそれで良いな」 「俺さ、ゲーセン行きたい」 「初耳だな」 「プリクラ撮りたい。都会のプリクラはすごいらしいよ。目がでっかくなったり、脚が伸びたり」 気になってしまった。乗せられて、高岡とプリクラを撮る。不自然なほど目は大きくなり、脚は長くなり、プリクラと一緒に何故かつけまつげまで出てきた。一瞬虫かと思って固まった。 「おもれーー!」 やはり子供っぽく橋岡は笑う。 「こんなふうに撮らなくても、いつもの橋岡の方がずっといいな」 不気味の谷の中にいるプリクラ橋岡にそう言う。 「そう?」 「どう見ても。誰が見ても」 「サンキュー!!!」 背中をバシバシ叩かれる。 小さなカウンターで、プリクラを切る。その場で橋岡は携帯のバッテリーカバーの裏にプリクラを貼った。 「なにしてんの」 「へへへへ」 橋岡は笑う。今日の橋岡は、なんていうか、様子が変だ。 「これじゃあまるでデートだな」 苦々しくそう言ってみる。 「僕はおこぼれで橋岡のグループに入れたのに。僕だけはぐれればよかった」 小さくため息をつく。本当なら橋岡はもっと楽しい時間を過ごせていたはずだった。 「なんそれ」 「橋岡は優しいな」 「それは!ムカつく!プリクラ、もう一回撮ろ!!」 橋岡の情緒が乱れている。なんというか、珍しい。 「カップルモード!!!ラブラブ姿を思い出に残そう!!!」 プリクラの半個室の中で甲高い声が響いた。 「え?」 「押し間違えた」 橋岡は苦笑いしている。 「まずは!ハグ!」 バグの間違いだろ。 「いっくよ〜〜!抱きしめあって!ラブラブぅ!!!3、2、1」 立ち竦んでいる俺を、橋岡は突然抱きしめた。フラッシュが焚かれて、視界中が突然白くなる。 「なん!?」 「せっかくなら、のらないと!」 「そうか!?」 「次は〜!手を繋いでえ!恋人繋ぎだよお!3、2、」 橋岡がヤケクソなら僕もヤケクソだ。橋岡の手をとって、空いてる手でピースした。 「さいごはぁ〜〜〜KISS!!キスプリ!!できるかなあ〜〜!?」 できるわけないだろうが。 短いカウント中に起きたのは、橋岡が僕の後頭部を引き寄せて、キスをしたことだった。一瞬のことだった。唇同士が触れたか触れてないのかもよくわからない。 「あははははは」 何がおかしいのか、爽やかに橋岡は笑った。 その反応で僕もようやく理解した。 「罰ゲームか。そうか。うん。全部合点がいった」 何かしらの罰ゲームで橋岡は僕を修学旅行のメンツに入れて、わざと二人きりで恋人ごっこのようなことをやったんだろう。 「僕は…ショックだけど、それより自分の体を大事にした方がいいよ」 じゃないと全ての出来事に説明がつかない。 「橋岡みたいな人気者が、僕を誘うって時点でその可能性は考慮してたけど、その通りでしたとなると、さすがに堪えるな」 「高田」 「証拠も撮れたし、もういいよね?僕はずっと東京駅にいるから。友達と合流しなよ」 橋岡を置いて駅へ向かった。僕はどうやら傷ついているらしい。駅に行っても、改札にどうしても入れない。僕が困惑しているのか、駅の作りが意味不明か。どちらかといえば前者だろう。多くの人が使う公共交通機関で、入り口が分かりづらいというのはありえないはずだからだ。 こうして、僕の修学旅行は、やっぱりくるんじゃなかったという感想に納められた。怒られても良いから積立金を着服すべきだったと思った。 それから受験シーズンに入り、僕は勉強に勤しんだ。 計画はこうだ。仲のいい3人には予め、高田と東京を回りたいという話を周知させておく。なかなか納得しなかったが、一人に千円払ったら納得した。金はいつでも役に立つ。 そして肝心なのは、修学旅行のグループ分けで誰よりも先に高田に話しかけること。あとは押せばいけると思う。 その通りになった。嬉しい誤算として、高田は他の時間にも俺とつるんでくれるようになった。しかも運動神経まで良い。 高田は覚えていないだろうけど、3年前、チャリのチェーンが外れたときに、たまたまその場にいた高田は何もできないながらに、一緒に悩み、油まみれになりながら、試行錯誤してくれた。2年前には、家を飛び出す衝動のある弟を見つけて、うちまで連れてきてくれた。弟は気難しく、嫌なことがあると、誰彼構わず引っ掻く。実際、高田の腕にも引っ掻き傷があった。母が謝ると、 「いえ。息子さんを送り届けられて僕も安心しました」 それだけ言って帰った。 学校には友達がいない高田は、それも含めてカッコよかった。作文コンクールに毎年推薦される彼の文は、彼の清らかで素直な性格を反映しているように美しかった。 それでも俺と高田に接点はなかった。いや、俺に意気地がなかっただけど。 だから修学旅行は最後のタイミングだと思った。以降は受験ムードに入るだろうし。 そうして俺は調子に乗ってしまった。プリクラでの出来事はわざとじゃない。それにしても、高田の自己評価があんなに低いのだとは知らなかった。 いや、俺がキスとかしなければ良かったんだけど。 プリクラの機械がキスと言ったとき、俺は高揚した。 そこでようやく自分の気持ちに気がつき暴走した。高層ビルの隙間に挟まれて、自己嫌悪に陥る。積み上げてきたものを、一瞬の判断で全て崩してしまった。自分が嫌になる。 それでも印刷されたプリクラは持ってきた。 高田と俺のキス写真。馬鹿げているが、捨てるのも忍びなくて、今いる隙間に貼り付けた。 高田とは受験がうまくいけば、同じ進学先のはずだ。 そこで俺たちは友達に戻れるのだろうか。無理だろうか。それとも。 貼ったプリクラに指紋をつけながらなぞる。 頭の中は高田のことでいっぱいだった。

ともだちにシェアしよう!