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第1話
「あー神様仏様ぁ、どうか俺のお願いを叶えてください」
俺は通学路にある小さな祠に向かって必死に手を合わせていた。
祠の前には俺がコンビニで買ってきた三色団子が一つ。
もう神頼みしかない。
俺の願いはきっと時間を戻さないと叶えられないだろうから。
「……マジか。ならば、そなたの願い聞かせてみよ」
俯いて手を合わせていると、耳元で聞き慣れない声がして、俺は思わず声の方を振り返った。
「え」
そこには小さな半透明の狐がちょこんと座っていた。
「ほれ、はよう願いを聞かせてみよ。神たる妾が願いを叶えてやる。無論、願いの対価は支払ってもらうがの。そなたの生が尽きるまで、ここに団子を持って来るのじゃ」
狐が目を細めて、楽しげにこちらを見上げる。
「ひぇ……怖っ」
「ほれ早よう。妾も暇ではないのじゃ、ほれほれ」
狐がその場でぴょんぴょんと飛び跳ね始める。
この上なく怪しい自称神様だが、もはや手段のない俺は意を決して願いを口にした。
「半年前に戻って、ハルと恋人になりたい!!」
事の発端は半年前。
親友のリツカがハルに告白し、ハルがそれに応じたことだった。
俺とリツカ、それにハルは幼馴染だ。
俺はずっとハルのことが好きだった。
だけど、リツカもハルのことが好きだったらしい。
「ユキト、俺さ……リツカに告白されて、付き合うことになったんだぁ」
そんな報告をハルから受けて。
俺の初恋は、その瞬間に音を立てて崩れ去った。
「そっか、良かったな」
祝福しながらも、内心悲しみと後悔でいっぱいだった。
俺だって、ハルのこと好きだったのに。
そして、つい今し方のこと。
ハルがついにリツカとキスをしたと話してきたのだ。
リツカはサッカー部の部活で不在、ハルはサボるからと帰宅部の俺と帰り道を共にしていた。
「俺とリツカさぁ……ついにちゅ、ちゅーしたんだ」
ハルは恥ずかしそうに俯きながら告げる。
ハルは俺達三人の中で一番身長が高い。髪は黒と黄色のプリン、耳はピアスの穴だらけだし、制服は着崩している。一見不良のようだが、すごく純粋で優しい奴だ。
「なんかふわふわしててさ、気持ち良かった」
「ん、そうなんだ」
俺は努めて冷静に返した。ハルが部活をサボったのも、リツカなしで、俺と二人きりになれる機会を作ろうとしたからに違いない。
「でさ、ユキトに聞きたいんだけど……ち、ちゅー以上のことって、いつからしていいの?」
俺は立ち止まって、空を見上げた。
ここで「知るか、そんなの」とか「なぜ俺に聞く」とか「調べれば」と答えることもできるだろう。
「……ユキト?」
急に立ち止まって、上を見た俺の行動にハルは怪訝な顔をする。
「……安心しろ、俺がリツカはどう考えてるかをこっそり聞いといてやるよ」
「マジで!? ありがと、ユキト!」
ハルは柔らかく微笑む。
俺はまだハルが好きだ。
ハルの為なら涙を忍んで恋の調停役をしたっていい。
リツカは俺が訊ねれば、ハルが悩んで俺に相談したことを察して、なんとかするだろう。
リツカはそういう奴だ。
「いつもありがとね、ユキト。俺達のことユキトが一番分かっているからさぁ、つい相談しちゃうんだよね」
「そりゃ幼稚園からの付き合いだからな。だいたい分かっちゃうんだよ」
「そうだね……あ、そーだ、コンビニ寄らね? 相談のお礼に、アイス奢ってあげる」
「じゃあ、お言葉に甘えて高いやつ食べよっかな」
「えっ!? もーしょうがないなぁ……」
俺はこの関係性を壊したくなかった。
だから、告白できなかった。
上手くいっても、失敗しても、この心地よい距離感が失われてしまいそうで、ずっと躊躇っていた。
でも、そうは言ってられない。
ハルと恋人になる為には、それ相当のリスクを覚悟しなければならないのだ。
「……なるほど、故に過去に戻りハルに告白したいと」
狐はうんうんと納得したように首を振る。
「話は分かった。じゃが半年前に戻ったとて、せいぜいそなたが先に告白するぐらいしか手立てはない。すでにその頃には、ハルはリツカを気にかけていたかもしれんぞ」
「それは……」
そうかも知れない。
告白されて了承するということは、すでにハルは以前からリツカが好きだった可能性がある。
「……ということで、特別サービスじゃ。対価をさらにくれるなら、ハルの心が定まらぬ時点まで時を戻して見せよう。少し記憶を覗くぞ」
そう言うと狐はトンと飛び上がり、コツンと額をぶつけてきた。いや、正確には触れた程度だったが。
「ふむ……一年ほど前か。どうやら帰路にて転倒したハルとリツカの唇が触れる事故があったようじゃ。そこから意識し始めたらしい」
「え? 何なのその恋愛ゲームみたいな展開は??」
「まぁ、つまりはそなたがリツカの代わりをすればいいのじゃ。一年前に戻ってぶちゅ〜っとして来い」
「言い方……。そうだ追加の対価って何なんだ?」
「うむ、追加分は祠の掃除じゃ。少し前まではやってくれる人間がいたが、突然来なくなってしまってな。埃っぽくて困っておる」
狐はがしがしと顔を前足で拭う。
ふと祠を見れば埃が積み、祠の左右の花は枯れて茶色になっている。
「月一でいいのじゃ。こちらもそなたの寿命が尽きるまで。どうかの?」
狐はコテンと首を傾げる。
「分かった。月一のお供えと掃除だな。お願いするよ」
「ほほ、よい子じゃ。ならば目を閉じよ」
狐は笑いながら、くるりとその場で一回転する。
「幸運を祈っておるぞ……ユキト」
そんな狐の声を最後に目の前が真っ暗になった。
「……ト、ユキト」
ゆさゆさと肩が揺れる。
「おい、大丈夫か?」
今度はペチペチと頬を叩かれる感触。
重い瞼を開けると、心配そうにこちらを覗き込む幼馴染二人。ハルとリツカだ。
「あー大丈夫? こんな暑い所で寝ちゃだめだよ」
「水分とった方がいいぞ」
パタパタと団扇であおいでくれるハルとペットボトルを差し出すリツカ。
「……あれ、ここは……?」
ぽつりと呟くと、二人は顔を見合わせて焦った顔をする。
「……え、キオクソーシツってやつ?大丈夫?」
「立てるか……? ほら、手」
ああ、少し意識がはっきりしてきた。
今は多分一年前の夏。
俺は本当に一年前に戻っていた。
「ねー、ユキト本当に大丈夫? 早退した方がいいんじゃないの」
ハルが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だよ、それより今日三人で帰るか?」
そう尋ねると、ハルは驚いた顔をする。
「え? ユキト、今日の朝は用事があるから一人で帰るって言ってたじゃん。用事はいいの?」
あ、何か用事があったのか。でも何の用事か思い出せない。
今重要なのは帰り道。
二人きりにせず、ハルの隣に居ればいなければならない。
「あー、うん。大丈夫。リツカとハルの部活が終わるまで待っとく」
「無理するなよ、体調が悪くなったら先に帰ってもいいからな」
ぽんとリツカは俺の肩を叩く。
リツカは無口で目つきが鋭く、あまり表情が変わらないので、いつも怒っていると思われがちだが、頭が良くて、穏やかな性格で気遣いもできる奴だ。
そうこうしているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「じゃ終わったら、いつもの自転車置き場で集合な」
そう言うと、ハルとリツカは頷いてそれぞれの教室に向かっていく。
よく考えると、あの無口なリツカが告白するなんて、すごく勇気を出したもんだ。
それぐらい、ハルのことが好きだったってことか。
「……でも俺だって、ハルが好きだ」
あっという間に放課後になり、部活を終えた二人と共に帰路に着く。
俺はハルがこける時を今か今かと待ち構えていた。
そして、運命の瞬間は唐突に訪れる。
「でさぁ、ヤマケンが『はい、えー』って言うのを数えてたら、三十回を越えてて、ヤベェなって思っ……うえっ!?」
話すのに夢中だったハルはアスファルトの窪みに足をとられた。
あらかじめハルが転倒することを知っていた俺は、驚きながらも、ハルと地面の間に体を滑り込ませる。
「……んんっ!?」
ぷにり。
後頭部の痛みとは別の柔らかい感触。
ハルの唇だ。
俺はハルを抱きしめて地面に転がっていた。
横でリツカが目を見開いて固まっているのが見えた。
「……ん!? ご、ごめんっ……ユキト!!」
ハルは慌てて俺から飛び退く。
ハルの頬は林檎のように赤く染まっていた。
「俺の方こそ……ごめん。大丈夫?」
「うん、ユキトのおかげで大丈夫……」
ハルはもじもじとしていて、俺と目を合わせようとしない。
その様子に俺は心の中でガッツポーズをする。
これで未来は変わった。
ハルはリツカではなく、俺に恋心を抱くはずだ。
気まずい雰囲気のまま、三人は歩き出す。
それぞれの家に着くまで誰も話すことはなかった。
それからしばらく。
ハルの様子は少しだけ変わったように思えた。
三人でいる時はそうでもないのに、俺と二人きりになると会話が続かない。
気まずい。そんな雰囲気をハルから感じる。
以前のように気軽に話せなくなったことを、俺は少し後悔した。
いつまでもこの状況というのは耐えられない。
俺はさっさとハルに告白してしまおうと考えた。
そんなある日。
「……ハル、変だな」
ぽつりとリツカがそう言った。
その日ハルは部活で、俺はリツカと二人きりで帰り道を歩いていた。
「……ん。まぁ、変っちゃ変かな」
俺は曖昧に返事を返した。
「……ハルはさ、お前のことが好きみたいだ」
リツカの呟きに、俺は心臓がドキリと跳ねた。
「え……急になんだよ」
思わずリツカの方を見ると、リツカは真剣な目で俺を見ていた。
「でも、俺もハルが好きなんだ。諦めきれない」
リツカは苦しそうな顔で、絞り出すように呟く。
その顔を見て、俺もこんな気持ちだったと苦い記憶を思い出す。
それでもリツカは前を見た。その瞳には強い決意を秘めている。
「俺はハルに告白する。俺の思いをちゃんと伝えて、ハルの気持ちを聞いてみたい」
リツカがこんなに話すのを初めて聞いた。
ハルとのことを真剣に考えているのが伝わってくる。
だけど俺だって譲れない。
ハルと恋人になりたくて、過去に戻ってきたのだから。
なのに、心のどこかで二人を応援したいと思っている自分がいる。
次の日の帰り道。
俺とリツカはハルに告白した。
道路で告白はムードも何もないが、どこか静かな所でなんて考える余裕もなかった。
「ハル……ずっと好きだった。付き合って欲しい」
「ハルのことが好きだ。俺と付き合って」
俺達の告白に、ハルはびっくりした顔をしている。
「二人とも……俺が、好き……なんだ」
ハルは考えるそぶりを見せる。先日のキスでハルは俺を意識しているのは行動からも明らかだ。
しばらくして、ハルは重い口を開いた。
「俺、二人とは友達でいたい……どちらか一人って言われても迷うよ」
あ、ヤバい。このままだとお友達で終わってしまう。
「……ハル、俺っ……」
動いたのは、リツカだった。
リツカはハルを抱きしめていた。
「……俺は、友達以上になりたい……ハルのこと、本当に好きなんだ」
リツカの、ハルへの気持ちが全部込められた言葉。
諦められなくて、未練たらたらで、ハルの情に訴えかけようと縋りついている。
いつもスマートなリツカらしくない。
だけど、これが心の奥底からの愛の言葉だって、俺には分かってしまった。
「リツカはこんなにお前のこと思ってんだぞ、ハル。付き合えよ」
俺は自分でも驚くぐらいに冷静にそう言った。
「リツカが……あのリツカがだぞ、こんなにがむしゃらなの、俺今まで見たことねぇもん。大事にしてもらえるぞ、ハル」
「……ユキト」
「二人が楽しそうなのを側から見るっていうポジションが俺は好きなんだよ。今の友達の距離感を壊したくない」
本当だ。嘘じゃない。
「てな訳で。二人で仲良く帰りなよ。また明日」
俺は二人を残して先に歩き出した。
これでいい。
俺はハルのことが好きだから。
ハルには幸せになって欲しいから。
リツカならきっとハルのことを大事にしてくれる。
少しだけ涙が出たけれど、心に刺さっていた杭みたいなものは無くなっていた。
晴れやかとはいえないけど、自分で決めた未来に納得できた。
「……今月分です、お納めください」
俺は小さな祠の掃除をし、団子と油揚げを供える。
「はい、これもどーぞ」
ハルが祠に菜の花を供える。黄色の花びらと緑色が祠に色を添える。
「これも」
リツカがコンビニで買ってきた日本酒を備える。
ハルとリツカが付き合い始めても、大人になっても、俺達三人はずっと友達のままいられた。
ありがとう、祠の神様。
俺、すごく幸せです。
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