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side馨

日中、ミーティングを行った相手のネクタイピンにアメジストが付いていた。その紫に輝く石を見て思い出したのは、似た色のチュールワンピース。そういえば、あれはまだ葵に着せていない。アメリカにいるときに発注したものの、引っ越しの慌ただしさですっかりその存在を忘れていた。 「……社長、どうかされましたか?」 「ううん、なんでもないよ。続けて」 自分の胸元を凝視されれば当然落ち着かないだろう。遠慮がちに問われ、馨は機嫌良く笑顔を返した。 また早く帰宅したいと秘書にねだったが、そう都合よく行く訳もなく、結局馨が帰宅できた時には葵はすでにパジャマに着替えてしまっていた。眠そうに目を擦りながらもリビングで馨の帰りを待っていたのは、昨日行った氷遊びの際、“明日抱く”と宣言していたからだろう。 葵を衣装部屋に連れて行けば、馨が何をしたがってるかはすぐに察したらしい。 「これ、まだ着たことなかったよね。急に思い出して」 ラックにかかったワンピースを見せても、葵はさして驚きもせず受け入れる。幼い頃から可愛い衣装を葵に着せて楽しんでいたのだ。馨の手でパジャマからワンピースに着せ替えられることにも抵抗は見せない。 上半身はシンプルな花柄の刺繍が浮かぶレース素材。胸下の位置に切り返しがあり、膝丈のチュールスカートがふんわりと繋がっているデザインだ。 背中のファスナーを留め、腰のリボンも結んでやる。葵自身に着替えさせることはしない。あくまで人形らしく、馨の手で可愛く変身させるのがいい。 派手すぎないフリルのついた靴下と、ワンピースに合うエナメルのバレエシューズを履かせれば完成だ。 「よかった、サイズは変わってないね。よく似合ってる。可愛いよ、葵」 オフホワイトで統一された空間で、淡い紫色のチュールを纏う葵は何より目立つ。鏡に向き合わせればようやく葵は少しはにかんだ様子を見せた。 こうした格好をさせられることが、外の世界では普通ではないと知ってから、直視することを恥ずかしがるようになった。それでも抵抗はしない。 幼い頃から葵に可愛い服ばかりを着せていたから、父や周囲の人間には勘違いされがちだが、馨は別に幼い少女が好きなわけではない。ただ可愛い葵に似合うものを選んでいたらそうなっただけだ。 だから先日柾との食事会で着せたような品の良い少年の服装をした葵も気に入っている。葵だからいいのであって、他に興味が湧くわけでもない。 柾は金にモノを言わせ、どこから連れてきたのか分からぬ少女や少年を与えてなんとか息子から手を引かせようとしたことがあった。でも当然、馨にそんな趣味はないから何の意味もなさなかった。 「バカだよね、全く。私が欲しいのは葵なのに」 馨が昔のことを思い出して愚痴を零すと、鏡越しに葵の視線が向けられる。自分が呆れの対象だと恐れたようだ。蜂蜜色の瞳が不安に揺れている。 「大丈夫、葵のことじゃないよ」 詳しく説明するつもりもない。馨はそうとだけ言うと、衣装部屋に置いたアンティークチェアを鏡の前に移動させ、そこに腰を下ろす。

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