84 / 116

第84話

 ぽつんと取り残されると、家庭科室が巨大化したように感じられる。秀帆といわば蜜月時代にあったころは、雑巾早縫い競争で火花を散らしてみたり、トランプ占いがふたりの間でブームになったこともあった。  想い人と親しく語らったあの時間は、かけがえのない宝物だ。  それも今は昔の物語だ。なのに季節が移ろうても会話の断片が、地縛霊さながら教卓の脚にも収納棚の裏にもへばりついているようで、未だに恋情が胸底にくすぶっているのだと思い知らされる。  ゆがんだ編み目をほどいた。雨垂れが物憂い旋律を奏でるなか、熱っぽい声が耳に甦る。  ──さっきは言いそびったけど、おまえに惚れてるし……。  青天の霹靂以外のなにものでもない求愛のひと幕から、およそ一ヶ月。誘い合わせて一緒に下校する回数が増えた程度で、三神との関係に目立った変化はない。回答期限を区切っておきながら返答を迫ってこないあたり、やはりからかわれた気がするし、拒否られるのを恐れて急かすに急かせないでいる証拠にも思える。  ジェンカの最初の段を雑に積むと、次の段以降はいびつに傾いていって、下手をするとブロックを抜き取る前に崩れてしまう。それを反面教師に、土台をしっかり固めをおく意味合いで、敢えて放置する作戦をとっているのかもしれない。  悪辣ぶってもそれはポーズにすぎなくて、三神は根は優しい。好きか嫌いかの二択でいけば、好きだ。だが現時点で友情の亜種に留まっているものに恋情の種子が含まれていて、すんなり芽ぐむかといえば微妙だ。  思い悩んだすえ昨日の朝、 〝いい子ちゃんぶる自分は哺乳類と鳥類どっちつかずのコウモリっぽい〟。  メンフェラ丸出しの文章を伝言板に綴ると、仮称Xは見慣れた癖字でこう書いてよこした。 〝コウモリは世渡り上手ともいえる。生存競争を勝ち抜くための立派な能力だ〟。  編み棒を動かすうちに夕闇が迫り、シャツとベストのスタイルでは薄ら寒い。肉まん食うぞ、と三神にコンビニへと急き立てられる場面を思い浮かべると、独りでに笑みがこぼれた。あと十段編んだらLINEしてみよう、寄り道気分だよね──と。  アーガイルの中心の、斜め十字に交叉する部分は〇・五ミリの誤差すら許されない。ゆえに教室後方の引き戸が開いても手許に集中して、ちらとも振り返らなかった。没頭しきっていたものだから、 「だ~れだ」  誰かの掌で背後から目隠しされた瞬間、ぎょっとして編み棒を取り落とした。編みかけのマフラーを巻き添えにして毛糸玉が床に転がり落ちる。トリコロールカラーのガーター編がぴぴぴとほどけていき、ちぢれ麺を思わせて毛糸が波打つ。パニクり、椅子を蹴倒しながら立ちあがった拍子に肘が硬質なものを薙いだ。

ともだちにシェアしよう!