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1.「死ね」と言われて 3
その日、僕は彼氏に捨てられた。
たかが半年の付き合いでも、手を差し伸べてくれた亮の存在はとても大きかった。
誰かに見捨てられるのは、これで三回目。僕はいつも、似たような理由で家を追い出される。
僕の言動は、いつもいつも、相手にとっては鬱陶しくて重たい好意だったんだろう。
とりあえず住まわせてるだけで、何度も僕を裏切った亮は最後までヒドかった。
捨て台詞に、「俺の事が好きなら死ね」と言われた。死ぬと言ったのは僕だけど、気持ちは半々だったのにとどめを刺された。
亮の良心や愛を試すような真似をした僕は、決定的な言葉を聞いて何かが弾けた。
そろそろ、〝みんな〟の言うことを聞かなきゃと思った。
ついでに「俺に迷惑かけねぇようにな」とも言われた。〝迷惑〟だから、目の前で死ぬなって事なんだろう。
「溺れるのは苦しいかなぁ……」
大きな吊り橋の欄干に手を掛け、数十メートル下の水面を見ようと身を乗り出す。けれど、夜の闇が深くてよく見えなかった。
恐怖心が薄らいでいいと思う反面、投げやりな気持ちが勝っている今なら躊躇なく身を投げられる気がする。
手切れ金なのか何なのか、五千円札一枚を持たされてそのまま追い出された僕の所持品は、カッターのみ。
「死ね」と言われたのに、死にきれなかった罰。その程度の覚悟でうそぶいたせいで、僕はまた宿無しになった。
帰る家は無い。
着の身着のまま追い出されたから、少ない荷物も依存気味のスマホも亮の家に置きっぱなしだ。
取りに帰ったら、今度こそうんざりした目で見下ろされて、叩かれるかもしれない。
暴力はさすがに嫌だ。ゴツゴツした男の拳は、ママの平手打ちとは違う。貧弱な僕が浴びたら、きっとたった一発で気を失うくらいの威力だと思う。
それよりさらに嫌なのは、胸にグサッと突き刺さる冷たい言葉。心の傷は誰にも見えない。だからって、多少の免疫はあってもダメージを負わないわけじゃない。
元々グチャグチャだった僕の心は、亮の決定的な二文字でついに真っ二つに割れてしまった。
いつも、いつも、望みを砕かれる僕の人生。
生きてるのが馬鹿らしくなった。
五千円札一枚で電車とバスを乗り継ぎ、出来るだけ殺風景な田舎を目指して来た。無人駅で降り立ち辺りを見回すも、外灯がほとんど無いそこはコンビニどころか民家も数軒しか見当たらない。
真っ暗で視界は最悪だったけれど、鬱蒼とした林を見つけた僕は迷わず闇を進んだ。
水流の音を頼りにようやくここまでやって来るも、道中、怖いとか不気味だとかいう普通の感想は抱かなかった。
死に場所を探していた僕は、まさしくその時も正常な状態ではなかったから。
「……苦しい、よなぁ……」
トゲトゲの葉っぱや凶器じみた枝をかき分けて、足場の悪い道無き道を進んでやっと見つけたうってつけの場所なのに、この期に及んで〝苦しいのは嫌だ〟と思い始めている。
少しでも楽に逝きたい──なんて甘えは、もう通用しない。欄干に足をかけて弾みを付けたら……誰からも愛されなかった僕のみじめな十九年はいとも簡単に終わる。
──それでもいいか。この先も同じ事の繰り返しなら、生きていても仕方がないし。
「死ね」と言われたから死ぬ。
僕の人生はずっとそうだったんだから、なんの違和感もない。むしろ決断が遅かったくらいだ。
「綺麗だな……」
ささくれだらけの古びた欄干に背中を預け、光の無い場所で一際存在感を放つ美しい上弦の月を見上げる。
一度だって、それを穏やかに見たことはなかった。
それなのに今は、綺麗だと思えた。
「綺麗……」
十月半ばの深夜、山に吹き荒ぶ風は冷えている。コートを羽織らせてもらえなかったおかげで、ずいぶん前から指先の感覚は無くなっていた。
飛び込む予定の水温なんか想像もしたくないのに、こんなにも温かな月明かりを見上げて思うのは、……。
「幸せって……何だったんだろう……」
思い返すと、僕の十九年は滑稽なほど散々だった。
誰にも何も望んじゃいけないなんて、知りたくなかった。
痣と傷ばかりで汚い身体が、冷水に覆われもがき苦しむ己を想像する。最期までひとりぼっちなのかと思うと、月を見上げて冷静になった脳がきちんと恐怖心を湧かせた。
そこへ冷風まで追い打ちをかけてくる。
揺れる葉っぱがカサカサと音を立て、寒さと不気味さで背中がゾクッと戦慄いた。
──ギギッ。
「…………っ!?」
その時、数メートル向こうで橋が軋む音がした。
一度こわいと感じると、些細なことでも敏感になる。
古びてはいるけれど頑丈そのものな橋だ。僕の髪や葉っぱを揺らす程度の風で、まるで何かがこの橋に足を踏み入れたかのような音がするなんて考えにくい。
最期だからと黄昏れていた僕は、得体の知れない気配を感じて恐怖に支配された。
「だ、誰か居るの……っ?」
耳を澄ますと、ギシ、ギシ、と橋を揺らす音は確実に近付いてきている。それが人だとは限らないのに、尋ねた僕は馬鹿だ。
真っ暗闇で深い森の中、ポツンとそこに佇んでいたのは僕一人だけのはず。
〝何か〟は人間なのか、はたまたここに住んでる動物なのか、どっちにしても出くわすのは怖い。
……マジで怖い。
スマホがあればライトで音の正体を照らしてみるんだけど、あいにくそれは今手元に無くて。
ただの思い過ごしならそれでいい。
けれど無意識に、僕はここだと決めた場所からじわじわと後ずさっていた。
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