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5.運命のいたずらで4

 一度独りになったのがいけなかった。  鬱々と風呂から上がった俺に、ソファでまどろむ冬季くんが「ビール? 酎ハイ?」と首を傾げた姿を見た瞬間、なぜかいたたまれない気持ちになった。  これからしょうもないところを見せてしまうというのに、お酌でもしてくれそうな勢いで面食らったとも言う。  酒の力を借りることを容認してくれた冬季くんを前に、俺は届いた料理のほとんどを彼に任せ、タガが外れたようにアルコールを食らった。 「……すみません、冬季くんの前でこんな醜態をさらしてしまって」  三本目の缶ビールを手に項垂れる。  ようやく今週末に届くイタリア製の長丸いテーブルの代わりが、ベッドルームにあった小さなサイドテーブルなのは申し訳ない。  だが冬季くんはそんなこと意に介さず、飲んだくれの俺に可愛らしい笑顔を終始向けてくれていた。 「何言ってるの。三週間もお酒飲まずにいられたんでしょ? 毎晩飲んでたって言ってたのに」 「まぁ……」 「逆に我慢させちゃってたんじゃないかな。僕がいるせいで」 「そんなことありません! そんなこと絶対に……っ」  勢い余って、缶をクシャッと凹ませた。  感情が昂ると大きな声を出すのは冬季くんが怖がるからやめなくてはと思っているのに、彼の殊勝な言い草が気に食わなかったのだ。 「わぁ、ビックリ。りっくん落ち着いて」 「……すみません……」  たった缶ビール三本でへべれけ寸前の俺の肩を、冬季くんがトントンと叩いて落ち着かせてくれる。  けれど俺は、……俺はもっと、冬季くんには毅然としていてほしいのだ。  彼は、母親から受けた虐待のせいで必要以上に周囲に気を使い過ぎているように思う。  明確な話は聞いていないが、交際していたという相手に俺と似た感覚で接していたとするなら、それはおそらく〝本当に自分を好きでいてくれているのか〟確認をしていたのではないだろうか。  自傷行為もそうだ。  冬季くんは、不安な気持ちを抱くと自分を抑えられなくなると言っていた。〝つい〟やってしまう、と。  一番愛してほしかったはずの母親から心身に痛々しい傷痕を負わされた冬季くんは、成長してもその呪縛から逃れられず、ずっと孤独なのだ。  凄惨さや境遇は違えど、俺はひとりぼっちが無であることも、身体に痣は無くとも心が空っぽになる感覚も知っている。  人生に悲観し死にたくなる気持ちも、他の誰にも共感されないとしても俺なら理解出来る。  冬季くんは、施設を出て一年と少し。  あまり社会に馴染めないと苦笑していたが、俺と出会うまでどうやって生きてきたのかとても興味がある。  小さな口で食事を咀嚼する姿さえ健気に映るこの子に、彼女が居たという想像もまったく浮かばないのだが……年頃の子なのだし交際相手の一人や二人いたっておかしくない。  冬季くんという人間は、一家に一人は欲しい存在だ。  少なくとも「行ってらっしゃい」「おかえり」に励まされている俺は、早々とそう感じている。 「──冬季くんって、いい子ですよね」 「んっ……?」  ごちそうさまでした、と手を合わせたのを見計らい、冬季くんの頬をツンと押す。  頬に触れたのは初めてだが、思わず「おぉ」と声を上げてしまうほどもちっとしていた。  その大福のようなもちもちの感触が気持ちよくて、今度は親指も追加し頬をぷにぷに摘んでみる。  この三週間で、冬季くんは少しだけ肉付きがよくなった。初日に掴んだ骨ばった手首が印象的で、連れ帰ると決めた時からしっかり食べさせなくてはという使命感に駆られたものだが、それが功を奏した。  順調に健康体になりつつあり、自傷行為も今のところしていないとなると、現在の冬季くんにその衝動を起こさせる事柄が無いということだ。  俺への遠慮は相変わらずだが、彼なりに出来ることをしようとする前向きさが目に見えると、連れ帰った甲斐があるというもの。 「俺はね、冬季くんの無欲で無邪気なところ、少し悲しいけれど……好きですよ」 「う、うん? りっくん酔っ払ってる?」 「酔ってませんよ、全然」 「絶対ウソじゃん」  ほんとにお酒弱いんだ、と笑われ意地になった俺は、反発するように三本目の缶ビールを空にした。  何とも子どもっぽいことをしてしまったが、その時の俺は冬季くんの言うように酔っ払っていて、冷静な判断が出来ていなかったのだ。 「りっくん、その辺でやめといたら? 顔真っ赤だよ?」 「……もう一本飲みたいです」 「やめときなって」 「飲みたいです」 「そんなに目がトロンってなってるのに? ダメ、なんて言う権利無いけど、僕はやめといた方がいいと思うけどなぁ」 「…………」  新しい缶ビールを取りに行こうと立ち上がる俺を、冬季くんはめげずに止めた。説教じみた言葉でないのが、冬季くんらしい。  指摘された通り、俺は〝たった〟三本で顔に出るほどの下戸である。  俺自身、やめた方がいいことも重々承知なのだが、冬季くんの物言いがちょっとだけ嬉しかった俺は彼の肩に気安く腕を回した。  さながらナンパ師のように。 「冬季くん、俺に意見する気ですか」 「えっ? い、いや意見っていうか……」 「俺にはその調子でどんどん言ってください。何でも、思ったことすべてです。俺が冬季くんを嫌うことは百%ありませんので」  ペラペラと口をついて出たのは、俺がいつも冬季くんに言わんとすることだった。冬季くんより俺の方が、酔いに任せて好き勝手言っている。  やりたい放題の俺に肩を抱かれたまま動かない冬季くんが、ふと唇を尖らせた。 「なんでそんなこと言い切れるのさ」 「……知りませんよ。そういう自信があるってだけの話です。そんなことより膝枕してください。だって俺今日……」 「膝枕って、ちょっ……りっくん!? えっ?」  下戸な俺は、空きっ腹に少ないアルコールで酔えてしまう。  暖房の効いた暖かな空間に、いい感じに酔いの回った体で、大福のような頬を持つ可愛い冬季くんがそこに居たら、拒まれない限りは甘えてしまうのが男の常ではないだろうか。  それにもう、──。 「今日、俺、飲んでるので……向こうに帰れませんから……」  他でもない冬季くんが、これ以上飲むなとストップをかけた。肩を抱いても嫌がらなかった。勝手に膝を借りても俺を払い除けなかった。  その時の俺には、これが切り札だった。

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