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7.真実と共に4
戸惑う冬季くんをよそに、意思を持った手のひらは俺の言うことをまったく聞かない。
俺の手、もうやめろ。頭を撫でる度に冬季くんがビクついている。そろそろ本気で「気持ち悪いよ」と悪態を吐かれてしまいそうだ。
嫌われたくない俺は、何度も勝手に動く左腕を叱咤した。
だがこいつがまた反抗的なのだ。
一切言うことを聞かないばかりか、大福ほっぺを手の甲で撫でるというとんでもなく大胆な行動をしでかした。
冬季くんは「わっ」と小さな声で驚いたものの、シートベルトで拘束された体は簡単には逃れられない。
それをいいことに、やや長めの信号では好きなだけモチモチと触れてしまい、黄色いリュックサックを抱いた冬季くんを盛大に焦らせた。
俺の左腕、左の手のひらは終始主人の命を無視し、やりたい放題である。
「え、あっ、あ、……あのっ、そうだ! りっくん、これ落ちてたよ!」
ひどく困惑した様子の冬季くんから、ホチキスで綴じられた見覚えのある書類を手渡された。
「え? ……あ」
しまった……これはアレじゃないか。
あまり冬季くんには見られたくないものだ。
どうしてこれが……。と逡巡の間も無く、ダッシュボードを開けた際にひらりと落ちてしまったのだと悟り、俺は眉を顰めた。
あの場に駐車禁止の道路標識は見当たらず、車を停める際も出来るだけ端に寄せたものの、だ。
路上駐車は体裁が悪いと、月に二度行く往診用のプレートを職権濫用だと知りながら使わせてもらった。それには〝成宮歯科クリニック、往診中〟の文字と医院の電話番号が記されている。
往診はどんなに遅くとも三十分以内で立ち退くため、それさえあれば何かあった時の免罪符になるのだ。何とかならない場合もあるだろうが、まだその経験は無い。
冬季くんと〝元カレ〟との対面で頭がいっぱいだった俺は、職を隠している冬季くんの前で堂々とそのプレートを置き、さらには見られたくないあれこれが小さな文字で目一杯記載された書類まで落っことしている。
迂闊としか言いようがない。
本当にしまったな……。
冬季くんは……これに目を通してしまっただろうか……。
プレートは外から見えるよう置いていたから、冬季くんの位置からは見えなかったはずだ。
だがこの書類は……どうだろう。
先に車に戻っていた冬季くんには、目を通す時間があった。一枚目の下段から目を引く数字が多数あるこれを、ぱっと見でやめてくれているといいのだけど……。
「…………」
「ん、あれ、りっくん? コンビニ入るの?」
俺は成宮家御用達の寿司屋目前で、コンビニの駐車場に寄り道をした。
書類に目を通されていようがいまいが、俺もそろそろ自身の身の上を語るべきかとふいに思い立ったからだ。
言い訳のようで格好悪いけれど、すべてを話してくれた冬季くんに俺は少しの負い目を感じていた。
たっぷり褒めちぎってくれた冬季くんに、俺が実は見た目だけ立派な虚仮威しに過ぎないのだということを白状するには、とても勇気が要る。
しかし悠長なことは言っていられなくなった。
出来るだけ長いスパンで自立をサポートする──これがどうも、〝出来るだけ〟という枕詞を省かなくてはならない事態になってしまったから。
「すみません、一つだけ確認を」
「確認……? なに?」
「あーっと……その……」
勇気が要る。これは本当に勇気が要るぞ。
弱味を見せるようで恥ずかしい気持ちにもなった。
冬季くんが首を傾げてきたが、格好悪い自分を曝け出すと幻滅されるのではないかと一際怖くなる。
何度も瞬きをして、何度も深呼吸をした。
せっかくコンビニに停まったのだからお水くらい買ってから切り出せばよかったと後悔しながら、恐る恐る口を開く。
「冬季くんは……俺のことについてを知りたいと思いますか?」
「りっくんのことについて? 例えば?」
「俺が今まで話せなかったこと。……すべてです」
「…………」
……ほら。考え込んでしまったじゃないか。
冬季くんはやはり、俺に対してそんなに興味が無いんだ。タイプではないのだから当たり前だ。
それなのに溜めて溜めて尋ねた俺は、なんと思い上がりの激しい男なんだ。
沈黙した冬季くんからジッと見つめられ、さっきまで好き放題していた俺の手のひらが湿っぽくなる。
水が欲しい。緊張と羞恥で喉がおかしくなった。
……そうだ、知りたくないなら言わずにいるだけだ。
冬季くんに、俺の情けないところを無理やり押し付けることもない。話さなければ俺はまだまだ褒めちぎってもらえるのだし、その方が俺の精神も安定する。
尋ねて一分、俺の羞恥が限界に達する間際、俺の目から少しも視線を逸らすことのなかった冬季くんが、ふとニッコリ笑った。
「それって、話したいと思えるようになったってこと?」
──え? あれ……? なんだ?
冬季くん、どことなく嬉しそうなんだけれど。
口角の上がった形の良い唇に目を奪われる。
わぁ……なんて愛らしい……。
素敵な笑顔だ。今はどうも寂しそうなそれには見えない。
モチモチほっぺに窪んだえくぼに触れたい衝動を堪えて、俺は素直に頷いた。
「……はい」
「なんで急にそう思ったの? 僕、りっくんのこと聞いてもいいの? 話していいと思ってくれたの?」
これは明らかに、俺が危惧していたような反応ではない。
嬉しそうだ。
冬季くんが、嬉しそう……。
「りっくんに近付けた」と、あの時の朗らかな笑顔とまったく同じ表情で冬季くんが俺を見ている。
勇気が湧いた。
俺の情けない生い立ちや気持ちを、もっとツラい経験を味わってきた彼に語るのは憚られるけれど……どうしても話したい。
冬季くんに俺を知ってもらいたい。そうしなくては前に進めない。
好みのタイプじゃなくても、冬季くんを長いスパンで見守っていきたいと思っている変わり者のお兄さんがここにいるんだということを、伝えてみたい。
「おーい、りっくーん? さっきからちょくちょく目開けたまま寝ちゃってるけど大丈夫?」
「あ、あぁ……っ、寝ていませんよ! まずは話してからでないと前に進んではいけない気がしまして。冬季くんのおかげで、その勇気が湧いてきました。メラメラと」
「前に進む……? メラメラ?」
「話は食事のあとにしましょう。美味しいデザートでも買って、香り立つコーヒーでも淹れ、……自宅でゆっくりと」
「うん……?」
はやる気持ちを抑え、俺は車を発進させた。
冬季くんなら、俺のことを笑わないでいてくれる。一生懸命耳を傾けてくれる。
きっと、理解してくれる。
ワクワク……というとおかしいのかもしれないが、誰にも話さなかった胸の内を曝け出すことにたくさんの躊躇があったことをコロッと忘れ、俺は年甲斐も無く冬季くんとの前進を前に心が高鳴った。
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