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7.真実と共に6
──違い……?
医者と歯科医の違い……それなら根本からして何もかもが違うが……。
だがおそらく、冬季くんが言いたいのは……そういうことではない。
俺はしばらくの間、言葉を失くした。
冬季くんが「また目開けたまま寝てる」と冗談を言う隣で、俺は……これまでの卑屈な考えを覆すとんでもない決定打を打たれ、頭の中が真っ白になっていた。
〝どっちも痛みを治してくれるお医者さん〟
それに違いなんか無いと、冬季くんは言った。
違いなんか……無い……。
そんなこと、俺は一度だって考えもしなかった。常にコンプレックスと隣り合わせで、ポジティブになど考えられなかったのだ。
自分がいかに不遇な扱いを受けて育ったか。医者だから何だ。医者はそんなに偉いのか。
反発心ばかりが培われた。
愛人の子だから出来が悪い、上の兄弟達の五倍は努力しろと言われ続けた俺は、環境によって人格が形成されてしまった。
けれど……。
冬季くんの言葉に心の底から、涙が滲むほど救われた。
そうだ。……俺だって。
命を預かる医師と同等に、俺だって人が健康的な人生を歩めるよう手助けをしている。もちろん痛ければ治し、治療後も末長く患者と向き合っていく。
出来るだけ長く人生を楽しみ、健康でいてほしいから。
人は自らの力で咀嚼し、嚥下することができなくなると、急速に衰弱し衰えてしまう。
そう考えると、父が見下す歯科医師だって人の命を預かっているようなものじゃないかと思い至った。
なぜ俺は、いつまでも劣等感を抱き続けていたのだろう。
くだらなかった。
くだらない時間を過ごした。
俺はすでに、天職だと思える仕事に就いているというのに。俺を卑下する言葉を振り払う用意は、とっくにあったのに。
まさか……冬季くんから気付かされるとは思わなかった。
何気ない一言で、俺の心が浄化された。
とにかくもう……いてもたっても居られなかった。
「冬季くん……っ!」
「うわっ、なにっ? どしたのりっくん」
感極まった俺はスクッと立ち上がり、驚く冬季くんの前で両腕を広げた。
「お、俺は今猛烈に君を抱きしめたいのですが……!」
「だ、抱きしめたいっ!?」
「はい!! いけませんか!」
「…………っ」
困惑する彼の表情にもめげず、「お願いします!」と言った俺はこの時、間違いなく興奮状態にあった。
普段なら絶対に口に出来ない大それたことも、酒の力を借りた時のように平気で言える。
抱きしめたい。
抱きしめたい。
抱きしめたい。
気持ち悪がってもいいから、どうか数秒だけでもその身を抱かせてくれ──!
「な、なんかよく分かんないけど……いいよ?」
大福ほっぺをほんのりと桃色に染めた冬季くんが、俺に抱きしめられるために立ち上がった。
一歩前に出ると、冬季くんが恥ずかしそうに視線を逸らす。
抱きしめるだけでこんなにも緊張し、感情が昂るものなのかと脳内が大パニックだったが、お言葉に甘えた。
「ありがとうございます!!」
「うぐっ!?」
そっと抱きしめるだけのつもりが、初っ端から力加減を間違えた。
ただ俺はそのまま、直立不動の冬季くんの体を背中を丸めて抱きしめた。
きっと痛いと思う。俺の胸辺りから「むぐっ」とうめき声がしたので、世間の抱擁とはかけ離れたものになっているだろうことは分かっていた。
しかしやめてやれない。
人生で味わった事のないこの高揚感は、酔っ払った時より遥かに心地良かった。
俺を酔わせたのは冬季くん、……君だ。
「なんてことだ……」
長年心の深いところに溜まっていた汚い水が、本当に一瞬にして浄化された……。
こんなことがあるなんて……。
俺は今まさに、天にものぼる気持ち。
偶然出会った少年にここまで感情移入し、助け、助けられ、この先もまだまだ繋がりを持ちたいと思わされるとは……。
「君は……とても清らかで良い子だ……本当に良い子だ……」
「りっくん……っ?」
抱きしめながら、後頭部を撫でる。
涙ぐむほどの愛おしさをいっぱい込め、狼狽えてもなお俺の腕に収まってくれている冬季くんにあの感情を匂わせた。
俺では役不足……そんなことは分かっている。
しかしもう離せないよ……たっぷり触れて、そのうえ想いを抱えて強く抱きしめてしまったから……。
「あ、ちょっ、りっくん! 何か落ちたよっ?」
「え? ……あぁ、……」
幸せな抱擁の時間を割いたのは、これについても話そうと思っていた例の郵便物。
サイドテーブルからひらりと床に落ちたそれを拾うと、芯から熱くなっていた体が急速に冷め始める。
「何? 写真?」
拾い上げた品が気になるのか、冬季くんが俺の手元を覗き込んできた。
たちまち心臓がドクドク鳴り始める。
間近に冬季くんの顔があるだけで、まるで大人の女性に恋をした中学生のような初々しい心境になった。
手にしたそれは冬季くんの言う通り、化粧の濃いとある女性が被写体の古い写真なのだが、これよりも俺は冬季くんの長いまつ毛に見とれている。
……冬季くんはどんな角度から見ても可愛らしいな。本当に男の子なんだろうか。まぁ、男の子だとしてもまったく問題無いが。──などと邪な考えを巡らせていた俺は、その時、冬季くんの様子が一変していたことにも気付けずにいた。
「写真、だね……?」
「そうなんです。昨日郵便が届いたでしょう? 父からなのですが、……この写真の女性が俺の母だそうです」
「…………っ!!」
「ですが、俺は少しも母のことを覚えていないので、見たところでどういう感情も湧きようがないんです。こんな俺は冷酷でしょうか……って、冬季くん? どうしました?」
どうしてだか、冬季くんが驚愕していることにようやく気付いた。
力なくフローリングの床にへたり込み、俺が彼から同性愛者だと聞かされた時のようにウロウロと視線を彷徨わせている。
「どうしたんですか」と問うた俺の声も聞こえていない風だ。
もしかして、俺からの抱擁が時間差で気持ち悪く感じてきたのだろうか。
やはり相手が痛がるほど強く抱きしめてはいけないのだ。
次はうまくやろう。
そんな見当違いを思っていた俺の右隣で、数分間驚愕と狼狽をし続けた冬季くんが突然覚醒した。
「あ、あぁ、いや、なんでもないよ! 大丈夫! ご、ごめんね! 僕ってば情緒不安定だよね!」
そんなことない、とフォローを入れるより早く、冬季くんは何者かに追われているのではと思わせるほどの俊敏さで、ベッドルームを飛び出して行った。
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