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弾けたのは
きいちから誘われてきた体育祭は、近隣住民やら学校関係者で大いに賑わっていた。事前に当日は益子の番の忽那さんも合流するから宜しくときいちから聞いていたので、俺のいるブースはきいちの両親と忽那さんを入れた四人で保護者観覧席を陣取っていた。
益子の番の忽那さんは、最初は人見知りをしていたけど、同じオメガの晃さんが早速絡んで打ち解けていたので安心した。にしてもオメガ二人が絡んでいるのは非常に華やかだ。晃さんも忽那さんも顔がめちゃくちゃ良いので、番なしのアルファや一部生徒からの熱い視線が時折こちらに向くのを。吉信さんと二人で牽制しておいた。ただ途中で抜け出した益子が忽那さんに自分のジャージを肩にはおらせてマウントをとった途端、あんなに多かった視線は少しだけ減った。
なんだかそのやり取りが少しだけ羨ましく感じてたら、バタバタと足音がして走ってきたきいちに抱きつかれた。
「おわ…っ、きいちこのあとでるのか?」
「んーん、僕が出るの部活動対抗の障害物借り物競技だから終わりまでないよ。」
ギュッと抱きついて甘えるきいちが可愛い。さっきの益子と忽那さんのやり取りへの羨望は霧散し、わしわしと柔らかい猫毛を撫でた。
「学と入場門並んでなかったか?」
「種目でないならせめて当たり前の顔であそこに待機してろ、って言われたから。」
なるほど。そういえばコスプレありきの障害物競争だったか、本人はかなり出たくないようで駄々をこねていたけれど、個人的には興味しかないので頑張れと応援しておいた。
首にネクタイのように巻かれたハチマキがなんとなく気になって、きいちが忽那さんと話てる間に首の後でリボンにして置いた。
項を守るように巻かれたそれに感づいた晃さんがにやにやとからかい混じりの眼差しを向けてくるが、気恥ずかしいので無視を決め込む。
そろそろ行くと言うので、名残惜しく感じながらも見送ろうとすると、俺の手を握りしめて背を伸ばしたきいちのしたい事に気づき、目を積むって鼻先を擦り合わせた。
キスをしたいときや、俺の微かな感情の揺れを感じ取ると、安心させるかのように行なわれるそれは俺の気に入っているやり取りの一つだ。ここでキスしてもいいのだが、あとから怒られたくないので堪える。
走り去ったきいちを見送ると、忽那さんが楽しそうに笑っていた。
「君たちお似合いだね。項、まだ噛まないんだ。」
「噛みたいですよ。高校卒業したら、噛むつもりですけど。」
「別に俺は今からでもいいと思うけどな。」
「晃さん…からかわないでくれますか。」
「んふふふ。」
両脇を見目のいいオメガからからかう様に小突き回される。いっちゃえいっちゃえ、と男子高校生のようなのりで遊ばれているが、これはこのイベントの空気に酔ってるのか?
「俊くん。孕ませなきゃ先にやっても俺はいいと思うぞ。」
「吉信さんまで…孕ませない自信がないから我慢してるんすけど…」
「あっ、なるほど。まあそうか…大学卒業して収入得るまではけじめとしてってこと?」
「大学卒業させてやりたいじゃないですか、せめて。在学中に妊娠させたら通わせたくなくなるし。」
なるほどなぁ、という顔で吉信さんが感心したように見てくれるが、こうでも言っておかないと俺自身の自制が効かないからあえて口に出しているのだ。ただ正直な話迷ってはいる。高校卒業して番になって、孕ませないでいる自信がないのと、孕ませて囲ってしまいたいと言う、暗い欲。
「俺は、正直な話産んでも育てられる貯蓄はあるから、年齢的にも早く産みたい。だけど俊くんみたいに大学卒業までは我慢しなくちゃとは思ってる。」
「益子は、どうなんすか?」
「産ませたがってる。嬉しいけど、少しだけ照れくさいね…大学卒業までだめだって言ったら、実績作ってすぐ娶るって意気込んでさ。やっとこの間コンテストで賞をとったつって喜んでた。」
今は卒業まで名のあるコンテストで実績残して、卒業したら売り込んで働くつもりらしい。益子らしいが、それを実行する行動の速さはさすがだ。保身に走っていた訳ではないが、それを聞くと決意が少しだけ揺らいだ。
収入がないわけじゃないし、働く宛もある。親父の下で臑齧りみたいに働くのが少し恥ずかしかっただけだ。だけど、きいちはどうだろうか。大学卒業したいなら、俺はそっちを優先するだろう。
「俊くんが一人我慢するだけなら、きいちは嫌がると思うぞ」
「あー、たしかに。きいちくんは一緒に頑張りたいタイプだもんね、」
「………そうっすね。」
多分、こうして悩んでいるのもバレたら怒られるのだろう。そんなことが簡単に思いつく位、ずっときいちのことばかり考えている。本能で動いていいのだろうか。
「案外、どうにでもなる。きちんと契約を結んだら、それが活力にもなる。俺がそうだった。」
「一人で悩むより、きいちにいってみ?多分あいつなーーーーーんも考えてないとおもうけど、俊くんのことはしっかり考えるぜ。俺の息子だし。」
「そうか、晃も俺のことを常にかんが」
「自分で悩むよりメリットでかいしな。」
「晃さん…、」
なにもアルファだから全部一人で頭を抱えなくてもいいのだ。晃さんはそれを俺に気づかせてくれた。忽那さんの指に光る指輪も益子からの約束なのだろう。なら俺は、この噛み跡に誓えばいいのだ。
きいちと同様、左手首に刻まれた歯型。俺がきいちにつけたものと同じものが、俺にもついている。
少しだけつかえていたものが取れて、そして吐き出すことができた。あとはこの歪な執着をきいちと一緒に磨いて形にしていけばいい。これがきれいな証になったとき、俺はもう悩まずにきいちの人生を貰う。
「話てみます。そんで、ちゃんと全部くれっていいます。」
「いいじゃん?じゃあまずは嫁の勇姿をしっかり目に焼き付けねぇと。」
「ですね、」
なんだかんだ話し込んでしまい、気付けばもうきいちがスタート位置についていた。準備運動の後、ちらりと俺の方に目線が来たような気がして見つめ返すと、小さく手を振って答えてきた。
遠く離れてもすぐ見つけるんだな、なんて少しだけ嬉しくなりながら頷いた。
空砲が空を弾く。破裂したような音とともに、俺の決意はしっかりと靄を消し去った。
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