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俊くんの地雷
くそ、痛い。
静かに座ったまま、きつく手の甲を握る。まさか俊くんが転校してきた初日からやるとは、と思ってふと気づいた。
昼休みにセットしてたとしたら誰かが気づくだろう。じゃあいつ?午前中の授業は教科書を使わなかった。ホームルームと始業式で潰れたためだ。
だとしたら、始業式が始まるもっと前。冬休み中でも学校に来なければいけなかった奴等だろうか。
じわじわと滲む血が、押さえた手の内側で広がる。
ホントは止血するのに手を上に上げたほうがいいのだろう、でもそれをすると俊くんにバレてしまう。
いつもどおりの授業風景、一人違うのが僕だけで、そこまで悪意をぶつけて来られるのが逆に面白い。
「ふ、…」
「片平?」
固まったまま、教科書も出せずにうつむく僕に不信感を抱いたのか、先生が声をかける。
やばい。どうしよう。一瞬だけ迷ったけど、これしかないと思って口元を覆って顔を上げた。
「先生…鼻血でたから保健室いきたい…」
手の甲を隠しながら口元を押さえて見上げた僕の顔色の信憑性がよっぽど高かったのか、クラスも少しだけざわついてしまったのはまずかった。
手の隙間から垂れた血に慌てた先生が、誰か付き添ってやれといった瞬間、後ろから俊くんに強く手首を掴まれた。
「俺が連れてきます。」
「桑原お前、転校生のくせにわかるのか!?」
「わかりますよ、行ったことあるんで。」
「ちょ、っとまっ…!」
俊くんに腕を引かれた瞬間、手に握っていたカミソリが澄んだ音を立てて床に落ちた。くるくると回って益子の足元に滑りつくと、それを手にした益子が声を上げた。
「なんだこれ、カミソリ…おまえ!」
眉間に皺を寄せた俊くんに無理やり手を持ち上げられると、抑えていた手の甲から流れた血が羽織っていた俊くんのカーディガンを汚した。
「これは、ちがっ」
「なにそれ、番にかまってもらおうって自作自演か?」
侮蔑を含んだ声が囁くのを、一番聞かれたくない俊くんの耳に入ってしまった。新学期早々問題は不味い、高杉君に怒りを向けたときは僕の家だったから良かったけど、ここには他の生徒もいる。こんなところでまともに威圧フェロモンなんか出してしまったら授業どころじゃなくなる。
頭の中を瞬時に巡った悪い予感に、俊くんがその声の主を睨もうと目線を巡らせた。僕はとにかく早くここから遠ざけたくて、俊くんの胸元を引っ張ると、無理矢理こちらに意識を持ってこさせた。
「俊、っ」
じわりと滲んだ血がシャツに染みを作る。真っ白で綺麗だった白いシャツに、僕のせいでついてしまった汚れが目立つ。僕のことで問題を起こしてほしくない。それでもし、俊くんの進路に影響が出てしまえば、それこそ足手まといになる。
頑張ろうと思ったのに、周りがその決意を揺らがせる。救いなのは、目の前に俊くんがいる。番が癒やしてくれるとわかっているから、僕は弱くても頑張れる。
シャツを引っ張ったまま、ぼすんと胸元に頭を寄せる。大きく深呼吸して大好きな香りを肺に巡らせた。情けなくぼたぼたと溢れる涙が、僕の限界を示していた。クラスのど真ん中の授業中、シチュエーションとしてはすごく最悪。ただ、無言で泣く僕の様子をどう受け止めたのかはわからない。俊くんが口を開こうとした瞬間を遮ったのは、三浦くんだった。
「あのさぁ、お互いが好きあって番っためでてーことを、なんでお前らは受け入れないわけ?」
まさか三浦くんが声を上げてくれるとは思わず、俊くんも益子も学も、呆気にとられた顔でみている。
「そりゃ、たしかに高杉がやめることになったのはきいちが絡んでっかもしんねえけどさ、かたっぽの肩持って一方的にきいちをおいたててなにがしてぇの?きいちの話とか聞かねぇで、上っ面だけで何が悪いとか判断してさ、視野が狭いからサッカー部だって廃部の危機なんだろうが。」
廃部の危機?なんのことかわならなくて、三浦くんの方を見る。ぼりぼりとさわり心地のいい頭をかきながら、真っ直ぐ添田たちを見据えていた。
「廃部の危機ならそのストレスをぶつける前に違うことがんばれよ。視野が狭いから後輩がついてこないんだろうが。」
「三浦になにがわかんだよ!高杉が辞めなけりゃ試合だって負けなかったし、後輩がやめることもなかったんだよ!」
「高杉がやめた後に、ついていける先輩が居なかったからやめたんだろうよ。お前ら先輩らしいことっつったらパシリしかさせてねーじゃねぇか。」
吹田くんが続けた言葉が余程図星だったのか、奈良が立ち上がった時だった。
「ストップ。」
低く耳通りの良い俊くんの声がそっと空間を支配するように馴染んだ。
「三浦も吹田も、構えてる木戸もありがとう。とりあえずきいち保健室つれてくから、後で収集ついたら話聞かせて。」
僕の手を押さえたまま、俊くんが反論してくれた三人組を労る。口元を少し緩めた微笑みなのに、気持ちを込めた言葉で相手をたてるその姿勢がやけに大人びていて、知らないところでどんどん大人になっていく俊くんに守られているという感覚が、さっきまで泣いていた心の内側にじんわりと染み込む。
「お、そ、そうだな!とりあえずきいちは悪くねえから早く保健室いけ、な!先生!」
「あ、ああ…もうこれ授業にならんな、時間取るから先に行きなさい。」
先生も我に返ったようで、若干興奮した三浦くんが推し進めるようにして話をまとめた。俊くんは学に目配せすると、任せろというように学も小さく頷く。
二人の間になんのやり取りをされたのかわからないけど、益子も落ちたカッターの刃をタオルに包んで俊くんに渡すと、そのまま腕を引かれるようにしてクラスから出ようとしたとき。
「許さねえから。」
情けなくて鼻を啜っている間、僕に聞こえないようにボソリと威圧するように呟かれた言葉は誰に向けられたのか。
酷く暗い瞳で怒りを顕にしていた顔は、僕からは見えなかった。
そして誰かか息を呑む音も、扉が閉められる音でかき消された。
手の甲がひどく鋭い痛みを訴えていて、力強く握られた腕がしびれる。
無言で進む俊くんの背中にほのかな怒りを感じて俯いた。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。僕も高杉くんも和解したのに、周りがそれを許さないみたいに傷をえぐる。
高杉くんに証言してもらうというのも難しい。彼はしっかり制裁を受けた。それを許したのだって僕だ。
「俊くん…、」
「いい。」
何がとはいわなかった。ただ端的に答えた俊くんの顔が、僕は怖くて見られなかった。
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