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愛の果たし状
期末考査の追試は土曜日にあり、俊くんの愛のスパルタによってなんとかテストを無事に終えた僕は、現在非常に困っていた。
「ええっと、」
「だから、傷。もういいのか。」
下駄箱でバッタリ会った崎田くんは、心底嫌そうな顔をしたあと、くるりと踵を返して背を向けて昇降口にむかう。が、その出口付近で何故か固まると、再び僕の方を見て今度はいかり肩で近づいてきたのだ。
「き、傷ね…うん、ほら…」
火傷の痕のように茶色く薄い被膜に覆われたそこを見せると、顔をしかめたまま口元をもぞもぞと動かした。え、なんすかその反応!ちょっと想像つきづらい様子に引きつり笑みを浮かべていると、ガシりと強い力で手首を掴まれた。
「ひぇっ」
「片平きいち!!!」
「は、はい!」
崎田くんが大きな声で僕の名前を呼ぶ。顔を真っ赤にして、眉間にシワを寄せた明らかにキレている顔でだ。
悪いけど何もしてない僕は珍紛漢紛で、カバンを胸に抱きしめたまま、この謎の状況に思考が処理落ちしてしまいフリーズしてしまった。
ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえる。こんな出入り口付近で男子高校生二人が突っ立っているのは邪魔でしかない。だけど、悲しいことにこの場所にいるのは僕らだけだった。
崎田くんが空いている手で制服のポッケを弄る。もしやメリケンでも出てくるのかと目が離せないでいると、勢いよく振り上げられた拳が僕の目の前に迫った。
「っ、!…、」
「やる。」
「ひぇ、は、…はい?」
殴られるとばかり思って目をつむった僕は、一向に顔面に来ない衝撃を疑問に思い薄めを開けると、まるで催促するように目の前で握りしめた拳を揺らされる。
「ん!!!!!」
「は、はい…え?」
痺れを切らした崎田くんがもう一度大きな声で強調すると、慌てて両手でお椀を作って手の下に添えた。パッと男らしい手からコロンと落とされたのは、可愛らしいフィルムをまとった僕の好きなキャンディーだった。
「え、ちょ、」
「帰る!!!じゃあな!!!」
「う、ウィッス…」
クラスメイトが怒りで顔を赤らめながら差し出してきた僕の好きなキャンディーという情報量が多い状況に、僕が呆気にとられるのは許してほしい。
崎田くんは何故かケッ!!と威嚇してからしっかり挨拶して帰っていった。
何が何だか分からない。一先ず貰ったキャンディーを制服のポッケに入れると、外履きを取り出す為にパコンと音を立てて扉を開いた。
「え。」
僕の靴の上に、ご祝儀袋が乗っていた。
「は!?!?なんで!?ええ、もう、なんなんだよ今日はぁあもおお!!おぇっ、きもちわるっ」
全く分けがわからない。僕の情緒を試す日なのだろうか。もはや、謎のご祝儀袋も恐怖でしかない。放置するのも嫌なのでとりあえず鞄に突っ込んだが、動揺しすぎてえづく位には僕の心の中はざわめいていた。
なんだこれ、果たし状か?それにしてもご祝儀袋とはアバンギャルドが過ぎる。
それともまさかの僕の隠れファンがいたとして、番おめでとう的なやつなのか?
謎の胃のむかつきは思考を纏まりなく散らかす。僕はご祝儀袋が入った鞄を抱き締めるようにして歩きだすと、俊くんに電話をかけた。
「あ、うん。今終わった。帰り忽那さんとこいこっかなって。迎えに行く?いいよ別に。」
終わったら連絡しろと言われた通りにする僕偉くない?どうやら会社の近くにいるらしく、電車で一駅だから落ち合おうとか言う。番になってからは過保護になった気がしてならない。嬉しいけど、歩いて帰る位一人でできるもんー!!
「んじゃ、忽那さんとこまできて。帰りに牛乳買っとくから俊くんは買わなくていいよ、はいはい、はーい。」
妥協に妥協をかさねて写真館まで迎えに来てもらうことにした。冷蔵庫で切らしていた牛乳の銘柄を思い出しながら、忽那さんに連絡を入れた。
今から遊びに行っていいですか、と送ると、おじさんがわくわくしながら尻を降っているスタンプが送られてきた。センスぇ…
「そしてこれが問題のブツです。」
「うわぁ、本当にご祝儀袋だねぇ。」
忽那さんのところに行くと、益子はいなかった。珍しいこともあるもんだと聞くと、どうやら就職予定のスタジオにアルバイトに行っているらしい。
「んで、これ俺が開けていいやつ?」
「僕は怖くて開けられないんですよねぇ…」
「きいちくんがいいならいいけど…」
忽那さんと例のご祝儀袋を挟んで、事の顛末を話すと盛大に笑ってくれた。親の敵のように鋭い目で睨みつけていた袋だ。忽那さんの細い指がその袋を手にとったとき、自分の手の甲の傷が目に入った。
「あああああ!!!!」
「ひゃ、っ…な、なに、どうしたっ…」
「あ、あ、あは、や、やっぱ自分で開けようかなぁ~?」
「え、あ、ど、どうぞ…」
もし前みたいにカッターとかが仕込まれていたら、益子に顔向けできない。忽那さんに怪我をさせるよりは自分で開けたほうがいいに決まっているのだ。
危ない危ない。経験が功を奏す場合もあるので、僕は慎重にそのご祝儀袋を開封した。
「刃物はない…?」
「見た感じは…、んん?」
「ええ、読むのは怖い…忽那さぁん!」
「だめ、ここまできたら自分で読んで!」
忽那さんがにこっと笑って応援してくれる。その顔がめちゃめちゃ可愛いけど、僕は自分の手に握られたその二つ折りの便箋を開く勇気がなかなか出ない。そんなことしていても始まらないので、結局恐る恐る、まるで覗き込むかのようにしながらその手紙をそっと開いた。
便箋だと思っていたそれは、ルーズリーフの端を丁寧に切られたもので、几帳面そうな文字が記されていたのは僕が今まで貰ったことのないものだった。
「……………。」
「ど、どう?何が書かれてた?」
「………ら、」
「なにそれめちゃくちゃ顔赤い!ええ!?」
ぶるぶると便箋を持つ手を震えさせる僕の顔を見つめて、はっとする。
忽那さんは目をキラキラさせながら、今にもはしゃぎだしそうなくらいだった。
「らぶれたー‥でした。」
「うわぁあー!!!なにぃ!?やばいねそれ!!はぁあ、青春だぁーっ!」
「どどど、どうしよう!?もも、もらったこと言ったほうがいいのかな!?!?」
「何を。」
「何をってだか、ら…」
あわあわしながら忽那さんに慌てて聞こうとしたら、聞き慣れた声が上から降ってきた。
さっきまではしゃいで拍手までしていた忽那さんが、にこにこしながら背筋をのばしている。
後からの圧に、まるで油の切れたロボットのような動きでぎこちなく振り向くと、満面の笑みで腕を組む私服姿の俊くんが立っていた。
「何を、もらったのかな。」
「ひぇっ…」
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