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ある日の昼下り
俊くんが何度も振り返るから、背中が見えなくなるまで見送った。ドアによりかかりながら教室に帰るのを見届けると、そのまま扉を締めて振り向く。
「帰ろぉ、なんかほんと、体調とか悪くないはずなんだけどな。」
「妊娠中は体温が高くなるのよ。でも平熱がもともと低いなら、安心はしないでね。」
「んー、風邪薬飲めるんでしたっけ?」
「それもおすすめ出来ないわ。大人しく下がるまで寝てなさいね、お母さん呼ぶ?」
感覚的に火照りくらいなのだ。風邪特有の関節のだるさとかもない。受話器片手に振り向く先生に首を振って申し出を辞退すると、ベッドにおいてたシャツを羽織った。
「え?一人で帰るの?俊くんが駄目って言ってたわよね?」
「でも、おかん今日予定あるし。大丈夫ですよー、慣れた道なんで!あ、俊くんには黙っててくださいね。」
以外に元気そうな僕を見て戸惑いながらも、仕方ないといった感じでため息をついた先生に笑い返す。
体調悪くなったら休み休み帰ることを約束すると、よいせとリュックを背負って保健室を後にした。
直感的に校門から帰ると窓越しに俊くんにバレるような気がしたので、そのまま職員の車が出入りする裏門から帰ることにする。
「ふわぁ、…ばれませんように。」
欠伸を漏らすと、少しだけ身を屈めて校門に続く塀を抜け、高い木の陰に隠れながらそっとクラスがある階を見上げた。幸い誰も見下ろしていないということを確認すると、一番危険地帯は抜けたことに安心した。
緩やかな坂をゆっくりと降りながら、膨らんだ腹を撫でる。そういえばもうすぐ俊くんの誕生日だったなと思いだした。
あくまでも体調不良での早退なので買ってかえることはできないけど、少しくらい見てもいいかなぁと考える。
「うーん…」
学のように、誕生日は僕とか言えないのがなぁ。
結局悩みながら駅前まで歩いてきたときには、少しだけ熱が上がったかな?と自覚するくらいには体が少し疲れていた。
お茶を飲みながら駅前のベンチで休憩をしながら、ぽけっと座っていると、とんとん、と肩を叩かれた。
「ん?」
「あ、やっぱり片平か。」
「え、うわ!!びっくりした…」
そこにはラフな格好の高杉くんが僕のことを見下ろしていた。
あのときうちに来て以来だ。高杉くんはそわそわと僕のカバンについているキーホルダーをみると、もしかして…と口を開いた。
「あはは、俊くんベビーができたんだよねぇ、いま4ヶ月。」
「え、ま、まじ…か…、すげぇ…」
僕が隣の席を叩くと、戸惑いながらも腰を下ろす。高杉くんは在学中の刺々しさはもうなく、少し不器用ながら雰囲気も含めて優しくなったと思う。
僕がこんな時間にここにいるのが不思議だったのか、それを聞いてもいいのか悩んでいるのが見て取れたからだ。
「へへ、ちょっと熱出たから早退…、今は休憩してる。」
「一人で大丈夫なのか?俺送ろうか。」
「いーよぉ、ていうか高杉くんはなんでこんなとこにいんの?」
「ああ、学校夜だからさ。昼間はここらへん走ってるんだ。」
サッカー部だった高杉くんは今もランニングは欠かさず行っているとのことだ。だからそんなラフな格好してるのかと納得すると、はっとした顔で振り向いた。
「ごめん、俺汗臭いだろ。悪阻とかはいいのか?」
「悪阻収まったから平気、臭くないし大丈夫だよ。」
「そ、そうか…ていうか、きいち。その…」
「ん?」
なんだかもじもじしながら高杉くんが言い悩んでいる。この流れだと毎回お腹を触らせてくれと言われるので、無言で高杉くんの手を掴むと、驚いたのかびしりと硬直する彼を気にせずにその手を自分のお腹に当てた。
「う、うわぁ…すげぇ…ちょっと膨らんでる…」
「ぶふっ、そらそうですよ!触りたいなら触ればいいのに。」
「だ、だめだろ!だってやらかしてるしさ、」
「ええ、またその話蒸し返すの?いいって言ってんのにさぁ。しつこい男はモテないぞ。」
「しつこい!?」
恐る恐る僕の腹を撫でる姿は、ビビりながらも興味深そうである。一度やらかされているが、もうおわったことなのだ。勝手に自責の念にとらわれるのはいいが、僕の中で終わったことを蒸し返されるような悔いはいらない。
僕が言い含めるとそれ以上過去にあったことは口にしなかったが、そういえばと思い出したように続けた。
「そういえば、こないだ清水みたんだよな。」
「清水?」
「ほら、俺刺したやつ」
「あ、あー!え、そうなんだ。一人?」
「一人。だけど人と会う感じだったな。雰囲気的に…、治ったのかな。」
何が、とは言わないが。
木陰のベンチで二人して座りながら、そういえば青木くんっていうこと付き合ってるんだっけかと思いだす。いつから付き合ってるのかは分からないが、在学中なら彼も振り回されたことだろうに、黙り込んでしまった高杉くんをちらりと見る。
「青木くんかもね、」
「…青木?なんできいちがしってんだ?」
「崎田くんたちに聞いた。清水さんと付き合ってるんだって。」
「え…そ、…そうか。」
難しそうな顔をして黙り込んでしまった高杉くんの胸中は知らないが、少し変だなとも思った。
あんなに高杉くんのことが好きで壊れてしまっていたのに、今更別の男と付き合うのだろうかと。
「青木が…、」
「え?」
ポツリと呟いた高杉くんの声色が先程とは違い、なんだか浮かない顔だった。
同じサッカー部同士でなにかあったのかなとは思ったけど、あまり追求するのもよくなさそうだった。
ペットボトルのお茶を飲みきった所で休憩も終わりにするかと立ち上がると、高杉くんも一緒になってベンチから離れた。
「やっぱこっからきいちんちの近くまで送るよ、なんかあったらやだし。」
「ええ、どんどん過保護が増えていく…」
「というより桑原くんがきいちになんかあったら怖そうだしな。」
「本音そこだろ絶対!」
結局高杉くんが近くまで送ってくれることになり、道すがらポツリと話してくれたのは青木くんのことだった。
なんでも青木くんは酷く高杉くんのことを慕っていたという。なので退学になったことにひどくショックを受け、今の部活には残れませんというメッセージがきて、サッカー部に出ることをボイコットしていたのは知っていたという。なんでも、尊敬できる先輩がいなかったらしい。高杉君自身も、辞めたことでどれだけ自分が個人プレーをしていたのかという自覚も持てたらしい。
「結局後進を育てられない奴らにしたのは俺だから。」
そういうと苦笑いをして、退学したことで得るものもあったと大人びた顔で言う。
青木くんも高杉くんのカリスマ性に憧れて慕っていたんだろうけど、今は昔の高杉くんよりもずっと素敵だった。
「久しぶりに、青木に連絡してみようかな。」
「いいじゃん!てかむしろサッカー部顔出せば?」
「いや、流石にそんな勇気ねーって…」
そういうもんなんだろうか。そこまではいいという高杉くんに見送られてお家に帰ると、満面の笑みでオカンが仁王立ちしていた。
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