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煩わしくて仕方がない
「いい加減にしろよ。」
俊くんが目の前で崩れ落ちたときに、きいちの中のタガは糸も簡単に外れた。
「きいち…?」
握り返された掌に、麻痺がないことがわかると少しだけ安堵する。だけど、ゆっくりと俊くんを心配するには目の前の煩わしい存在が邪魔だてをするのだ。
キャイキャイと、支離滅裂なことを言いながらの男女のやり取りは男の方が劣勢で、見慣れない男子は女の勢いに圧倒されて顔を青ざめさせていた。
「あのさぁ、二度目だぞお前。」
周りのざわめきを、声一つで静かにさせる。その聞き慣れない声色の支配する色の強さと牽制に、その場にいた生徒は押し黙ったのだ。
俊くんの髪を撫でる手は優しい。まるで眠る子供をあやすような柔らかな手付きなのに、その表情からはいつもの快活さは抜け、その射抜くような目線が真っ直ぐに突き刺さっていたのは清水だった。
体が動くようになった俊くんをそっと壁際に持たれるようにして待つように言うと、尻の汚れを払うかのようにして立ち上がったきいちは、投げ出されたスタンガンをハンカチで掴んだ。
それのスイッチを入れるでもなく、遊ぶでもなく、ただハンカチに包まれたそれを持ちながら立ち尽くしているだけだと言うのに、息1つ飲み込むことも許さないような空気感があたりを支配する。
俯いたきいちの顔色は見えない、ただ青木も清水もわかりやすく顔色を青ざめさせていた。
俊くんは自由を取り戻した体をなんとか動かして立ち上がろうとすると、目があったきいちに視線だけで動くなと言われたような気がして固まった。
「…いいこだから、そこでおとなしくしててね。」
「わ、わん。」
思わず出てしまった。それくらい目が笑っていなかった。
そして静かに立ちすくむきいちの背をみて、俊くんは思い出した。
そういえば以前吉信さんが言っていた。温厚な人ほど怒らせてはいけないと。
晃さんと交際中、吉信さんも似たようなことがあったらしい。暴漢に晃さんが殴りかかられた際に庇った吉信さんが、全治一ヶ月の怪我を負った時だったという。
散々勇との口喧嘩で、晃さんが元ヤンだのなんだの言われてきたのを聞いていた吉信さんは、それはただの比喩だと思っていたらしい。が、しかし。
元ヤンなんかではなく、族のヘッドをブチのめした経験をおもちだったらしい。元ヤンよりも怖い。そして何を隠そう族のヘッドは晃さんにご執心だったせいか、ブチのめしてからは見事に舎弟へと収まった。ということは代替わりである。認めていなかったが、慥かに晃は族のヘッドに成り代わっていたのだった。
そんなことを思いだした俊くんは、ゴクリと喉をならした。妊娠してるから暴れないよねと、そういったところで心配したが、何よりも一番きがかりだったのは、晃の血を引くきいちもまた怒り方が似ていて怖いと吉信が漏らしていたのを聞いていたからだ。
「清水さぁ、」
声が低い。温度も全て。誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
「こんな公衆の目の前でよくやるよね。」
「な、っ…」
ミシリ、と音を立ててスタンガンから聞こえないはずの悲鳴が聞こえた気がした。
「人刺して、病院ぶち込まれて、逃げ出して、また同じようなことして。それなのに好きな男に一途な自分が大好きでさ。」
正論しかいっていないのに、最悪なところだけを抜き取ってきいちが続ける。何が怖いかって、抑揚も全く無い、ただの事実を淡々と語ったいることだ。
「なんだっけ?女の役割を奪ってんだっけ?俺らオメガって。」
「そうよ、なんなのよ番って。なんであんたたちばっかり特別な目で見られてるわけ!?」
「お前が言う特別な目ってなに?偏見のことなら当てはまってるかもな。」
現にお前だって俺のことをそういう特別な目で見てるだろうが。
真っ直ぐ射抜くように清水をみたきいちは、酷く落ち着いた声で言う。怒鳴っているわけでも、苛つきを露骨に出しているわけでもない。それなのにひどくその声は冷たい。
「なんであたしの幸せの邪魔をするの!?腹に子供こさえて、あんたばっかりちやほやされて!あたしは高杉くんとも離された!!今度は青木くん!?なんであんたがあたしの道を塞ぐのよ!!」
「うわうるさ、」
「な、なによおおお!」
金切り声のように錯乱したまま叫び散らかす清水に、青木も周りもさわらぬ神に祟りなしと言わんばかりに傍観に徹する。空気が変だと感じたのか、部活動をしていた奴らも気にし始めていた。人が群れるように注目する、劇場型な人間にとっては最高の舞台だった。
清水はまるで教祖になった気分だった。この場にいる全員が自分に注目しているという事実に。
自分を飾る、魅せる、惹きつける。このお気に入りの装束にはそんな意味合いがある。特別な目で見てくれるのは、私が他の女とは違うから。
純粋な恋心は、こうも人を変えるのだと。
愛に溺れたかった。だって、少女マンガではヒロインに素敵な男性はつきもの。
サッカー部の彼を見たときは、私のためのキャストだとさえ思った。それなのに、彼はオメガに惚れた。そしてそのオメガの呪いを解こうとしたのに、今度は違うオメガに邪魔された。しかも、あろうことか、清水の憧れるシチュエーションでだ。
校内でひっそりと睦み合う。その立ち位置はあたしだったはずなのに。
だから高杉くんには間違いを教えてあげたのに、何故か病院に打ち込まれたのは私の方だった。
それでもまだ、手はあった。自分の思い描くシチュエーションには続きがあったのだ。
高杉くんに心を打ち砕かれた私へ手を差し伸べた後輩。高杉くんには劣るが、面構えは悪くない。第二部の開幕だった。だからこいつを利用することにした。私にとっての事実を広めるように、少しずつ自分好みの男に仕上げていく楽しみを覚えた。青木という後輩も、都合がいいことにサッカー部だ。だから利用することにした。
その都合のいい男が、私のかわいい恋人へと変わった途端に振られたのだ。
ーもうやめよう、片平先輩には俺から直接謝っておくから。別れてほしい。
全部思い通りに行かない、また片平!!今度の事だって、こいつが先回りして邪魔したに違いないのだ。
こいつの番の顔のいい男も、なんでこいつを番に選んだのかと首を絞めたくなるくらいにいらついた。
少しだけ脅してやろうと振りかざしたスタンガン。まさかそこまで効くとは思っていなかった。
大きな体が崩れた時、まるで私はレベルアップしたかのように興奮したのに。
頭に手を添えてヘッドドレスを毟り取る。地面にそれを叩きつけて髪を乱す清水は、今から獲物を刈り取ろうとする悪魔のような形相で、目の前のきいちを睨みつける。
「清水明日香は可哀想。そんなことでしか自己主張できないなんて、可哀想な女だなあ」
きいちの低い声で紡がれた言葉は、劇場型の清水には聞き捨てならないものだった。
「ふっ、ざけんじゃないわよ…!!」
大きく振り上げた手を、勢いよくきいちに振り下ろす。俊くんが目を見開いてそのままふらつく身体で駆け寄るべく立ち上がった瞬間。
パシンと乾いた音を立てて、清水の手首を掴んだのはきいちだった。
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