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エゴの塊

カチャンという鍵の開く音がして、ヒョコリと玄関に顔を出す。悠也は朝見たときよりもげっそりとした顔でよろよろになりながら帰ってきた。 余程新庄先生が怖かったらしい。靴を脱いでふらふらとリビングへ来たかと思うと、しっかりと手洗いうがいを済ませてから抱きついてきた。 「おつかれ、」 「たでーま…まじで、ヤクザより怖えよ。」 「んな大袈裟な…」 ぽんぽんと宥めるように腰を叩く。お疲れ気味の悠也に纏わり付かれながら、野菜スープをクツクツと煮込む。中には悠也が好きな肉屋のソーセージを入れている。味付けはコンソメと塩コショウのみで充分なので、すぐに出来る。 「なんか遅かったけど、どっか行ってきた?」 「んー、実家よって荷物持ってきた。暫く葵んち泊まっていい?」 「それは、構わないけど…言っちゃった?」 「言っちゃった!!!」 みてこれ。と口端を指差す悠也のそこには、たしかに痣があった。ぎゅうと胸が少しだけ締め付けられる。眉間にシワを寄せた俺の様子に、慌てた悠也が弁解をしてきた。 「ちげ、悪い意味じゃなくて!親父は喜んでたよ、お袋がブチギレてぶん殴ってきたけど、それも俺が悪いし。葵に対してはとにかく体を大切にって言ってたから安心しろ!」 「え…、むしろ俺が怒られるのかと思ってたけど…」 「いやいやないわ!なんでだよ!むしろきいちからも怒られてるの俺だからな!?」 まったく参っちまうぜ、こんなにラブラブなのに。とぶすくれる悠也の口端にそっと触れる。前に殴られたときとは反対側のそこは腫れていて、ひどく痛々しい。 「葵さ、」 「ん…」 そっと腰を抱き寄せられて額が重なる。かさ付いた悠也の親指がそっと目元に触れた。 「泣くほど嬉しいなら素直にはしゃげよ。」 「え、うそ、あ…」 まさかその親指が目に溜まった涙を拭う意味を持っていたと思わず、あわてて手の甲で擦ろうとしたら止められた。大きく、男らしい手が俺の手に重なって指が絡まる。ちらりと見えた手首には、あの時悠也が自分でつけた歯型が刻まれていた。 「大人だからつってなーんもいわねえからさ、葵が何考えてんだろうなーとか、またしょうもないこと考えてんだろうなーとか思うわけ。」 ちゅ、と指先に口付けると、そのまま空いている手もそっとすくい上げられ、左手の指輪に口付けられる。 「隠し事なしだろ。番なんだから、ひとりでかっこつけてんなよ。」 「かっこ、つけてっかな…」 「おう、こんな泣き虫なくせに、肝心なときに泣かねーのとかかっこつけてんだろ。」 「う、うるさい…」 ちゅ、ちゅ、と瞼や額に口付けをされながら誂われる。10センチの差はでかい。見上げるとこんなにドキドキするのだ。大人の俺をこうも乱す事ができる癖に、それを棚に上げてかっこつけんなという。 どっちが、と言ってやりたいくらい格好いいのだ。 大人な俺より大人なときがある。あんなに小さかったくせに、知ったような口で、見透かすような目で、どんどん俺を振り回していくのだ。 年下だから、俺がリードしなくてはと思っても、気づいたらリードされて、大人だから我慢しようと思ったら、子供っぽいワガママで無理やり付き合わせる。 俺より身長が高いから、一歩が大きいはずなのに。いっつも俺のペースに合わせてくれる。 「生意気になったね、」 「そこは男らしくて素敵って言うとこだろ!」 にやりと嫌味っぽく笑う口元に背伸びをして口付ける。痣の部分をぺろりと舐めると、下唇をあぐりと喰まれた。 「俺の嫁さんなんだから、全部知りたいよ。何が不安で、なにが辛いのか。教えてくんなきゃ治せねーし、守れねーだろうが。」 「うん、うん…」 そっと胸板に触れた。とくとくと悠也の鼓動が伝わってくる。 緊張してるのか、俺が悠也に言わなかったことを聞き出すために。 気づけばリビングで、ソファーがあるのに二人して床に座り込んでいた。 悠也の目は真っ直ぐに俺を射抜く。優しい色をした瞳には、情けなく泣いた顔の俺が写っていた。 「もし妊娠したことが俺の負担になるとか思ってたら、それは違うからな。」 「っん、…いいのか、」 「むしろ、楽しみなくらいだぜ?だって絶対可愛いだろ。」 「卒業して、カメラマンの夢叶えるのに…」 「ん?そもそも前提がちげーな。葵に憧れたから、カメラの道にいったんだ。てことは、その憧れた葵が俺の子供妊娠してる時点で夢はかなってんだろ。」 誰が見てもわかる証ができたんだから。 悠也の言葉は、凝り固まっていた俺の頑なな思い込みをゆっくりと溶かしていった。 言ってもいいだろうか、醜い心の内を、吐き出してもいいのだろうか。 「言って、全部。葵の弱いとこ全部。」 「お、おれ…」 見透かされたように促される。くっと喉が使えてうまく言葉が出てこない。深呼吸する俺の髪の毛を横に流した悠也が項に触れる。消えない証が2つもある。 「あ、あい…してるから…、とられたくない…っ、だ、だれにも…っ」 顔が見れなくてうつむく、気がつけば胸元を握りしめていた手は、縋り付くような情けない方になっていた。 「おれ、おれのが…早く歳取るから…っ、愛想つかされたら、いやだった…だから、」 お腹の子がいたら縁になるとおもった。 掠れた声で、醜い部分を吐き出した。もし悠也が大人になって社会に出ていくうちに、オメガの俺よりも魅力的な女性があらわれるかもしれないと。 離れていってしまったらしんでしまう。だから、もし子供がいれば帰ってきてくれるのではと思ったと。 「馬鹿だ、汚くて、エゴの塊…悠也が思ってる、忽那葵はハリボテだよ、…俺は、妊娠できて嬉しい…嬉しいよ…産みたい、けど、 こんな醜い思いを抱いたまま、親になっていいのか、って…っ、束縛したく…ないのに、っ…」 肺に入った息をすべて吐き切るようにして言う。 目から溢れるものは、言わなきゃよかったという後悔と、吐き出せた事による少しの安堵。だけど恐がりで臆病な俺は、自分の意志で吐き出した本音に首を絞められる。泣いたせいか、茹だるような思考の中、息苦しさだけが鮮明だった。

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