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それは突然やってくる
それはお昼を食べ終えて、面会にきた忍さんとくだらない話をしているときだった。
「なんか昨日もすごい動いてて、寝相悪いのかなあ。」
「たまたま起きてただけじゃね?俺の時なんか俊は全然うごかなくてさ、俺が寝始めた頃に動くんだぜ?おかげで寝不足が酷くて。」
「そうなんだぁ、パパに似てないなぁ…」
「てかそろそろ検査じゃね?車椅子もってこようか?」
「あ、いい。採血するだけだし歩いてこうかなって…」
気を利かせて車椅子を取りに行こうとする忍さんに待ってもらい、ゆっくりとベッドの下においてあったスリッパを履いて立ち上がったときだった。
パチン
「あ、」
何かが胎内で破裂したような感覚がして、それでも痛みなんてなかった。なんだろ…と思った瞬間、体の外に漏れ出した大量の水分がびしゃびしゃとリノリウムの床を濡らした。
「え、」
「きい、…えっ、」
「ひ、…っ…」
呆気にとられたのは数秒、すぐに自体を把握した忍さんの行動は素早かった。
ビシャビシャの床すら気に求めず、パニックになりつつある僕の背中を撫でながらゆっくりとベッドに座らせると、すぐにナースコールを押した。
「新庄先生きたら、俺は俊と晃さんに電話する。きいちは落ち着け、大丈夫だから。ゆっくり深呼吸してな、」
「う、ん…っ、こ、これ…これ破水?も、漏らしたんじゃなくて、っ…ほ、ほんとに?」
「うん、破水。焦るよな、俺も正親の膝の上で破水した。笑い話だけど股関ビシャビシャにしながら病院いったんだぜ、あいつ。」
焦る僕を落ち着かせようとして笑い話まで言ってくれる。僕も言われるがままにゆっくりと深呼吸をしながら、突然きた出産の前兆に震える手を忍さんに握りしめられる。
しばらくすると新庄先生が落ち着いた様子で車椅子とともに入ってきて、口数が少なくなった僕の頭を優しく撫でて大丈夫だよと言ってくれた。
忍さんは入れ違いに電話してくるといって走って出ていこうとするので、看護師さんに注意されていた。
「さて、いよいよだねぇ。とりあえず着替えよっか、陣痛来る前に分娩室行こ。こっからが長いよ、頑張ろうね。」
「う、うん…てか、まだ陣痛きてないけど…、」
「大丈夫大丈夫、絶対にくるから。…忍さんに片平さん分娩室移動しましたって言っておいて。」
あのふわふわしたゆるふわな雰囲気の新庄先生が、真面目な顔をして指示を出す。
ベッドのカーテンを閉めて中で着替え終わると、床掃除はやっておくからとりあえず乗ってと言われて、そのまま僕は車椅子で分娩室へと運ばれた。
分娩室に繋がった扉を開けて、間接照明のみの落ち着けそうなへやへと通される。陣痛が始まる前ならここで検査するらしい。検尿を済ませた後、ゆっくりとベッドに寝かされて分娩監視装置を付けられた。簡単な内診をされた後、引き絞るかのようなかすかな痛みがはじまり、いよいよ腹をくくる時がきた自覚をする。
破水をしてから一時間たたないくらいで、オカンと俊くんが到着した。僕は先程からじくじくとくる重たい痛みが陣痛だとわかってから、仰臥の体制になりながら泣きそうだった。
「きいち、っ…陣痛は、」
「きてる…っ…背中痛い…」
「俊くん背中から腰撫でてやって。俺軽食買ってくるから。」
「んう…っ…、お、おかか…おにぎり…」
「はいはい、食欲があって何よりだよ。」
俊くんがオカンに言われるがまま大きな手でゆっくりと背中から腰にかけて擦ってくれる。そうだ、食べられるときに食っとかなきゃいけないんだっけ。と思いだして、ここぞとばかりにおねだりをした。
オカンが吹き出すように笑っていたけど、まじでまずかったんだって病院食。
「子宮口が10センチに開くまでは分娩室行けないから頑張ろうねきいちくん。」
「いま、…なんせんち…」
「3センチかな、10センチまでがんばれっ!」
ファイトっという感じで励まされる。まじかよお。陣痛も俊くんが測ってくれたけど10分間隔で、これがあと7センチまで開くために痛みに耐えなければならないと…、まだすこしは我慢できるけど、それは会話ができるって意味であだだだだだだ。
「きいち、おかか。」
「た、べる…っ…、剥いてぇ…」
「俊くん飯食った?おにぎりくう?」
「メンチカツサンド食いました。学校で…」
「なにそれずるいだだだだだだ…」
オカンが向いてくれたおにぎりをもそもそ食べながら、僕も数量限定のメンチカツサンド食べたかったなとむくれる。ムッとした顔は一瞬で、すぐまたきた陣痛で口端に海苔をつけたままうなる。なんだコレ背骨抜かれる気しかしない。
そういえば学が来るとか言ってた気がする。俊くんに学たちは?と聞くと、忘れてたと言う。なんだそれ焦りすぎて置いてきたのか。これは落ち着いたら謝っておかねば。
「横になってんだけだと体辛いから、動けんなら体制かえとけ、座って壁押すみたいにしてみ。少し楽になるから。」
「まじでぇ…っ、」
「ああ、っ…ゆっくり起きろ、頑張れきいち…」
おかかおにぎり片手になんとか陣痛の合間を縫って体制を変える。背骨から腰にかけて神経を指で弾かれているようなじんじんとした痛みに、もはやカロリー摂取しておかないと消費しまくって気絶しかねない。
痛みに眉間にシワを寄せながらおにぎりを食べている僕の顔が余程面白かったらしい、カメラを向けてきたのでとりあえずピースサインをしておいた。
オカンが鞄からハンドグリップを取り出して渡してくる。よくわからずに首を傾げると、絶対に必要になるから持っとけと言われた。
それからしばらくして、もう最初の頃の背骨のきしむ痛みから、直に金槌で腰骨から骨盤にかけてばこばこ叩かれているような鈍痛に切り替わっていた。
もう世の中のお母さんみんなこれを乗り越えてきたのかと思うと、母は強しとはよくいったものだ。
僕はちなみにもはや痛すぎて癇癪を起こしそうなくらいだった。
「っ、たい…、ぁ、ぃ、いたい…キレそう、いたい…」
「よしよし、痛いよな…一緒にがんばろうな、」
俊くんが僕の汗を拭いてくれながら、甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。一生懸命さすってくれたりあおいでくれたりして、最初の陣痛から既に僕は3時間も痛みをこらえていることになる。
おかんはまだ産まれなさそうだといって忍さんと二人でオトンのことを待ってからまた来るらしい。
差し入れとしてもらった配給の中身は全部片手で食べられるものばかりで有り難いのだが、子宮口が6センチまで開いた僕は、もうすでに声すら出なかった。
「ふ、ぅ…っ、…っ、…」
おかんの渡してくれたハンドグリップの意味がようやくわかった。まるで鋭い刃物で下半身をごりごりに削るような痛みのなか、俊くんの手を握ってしまったら確実に骨を折ってしまう気しかしない。
そこでこれなのだと。
ぎりぎりミシミシという不穏な音を立てながらハンドグリップを握りしめる。この痛みのストレスをぶつけるアイテムなのだこれは。絶対に使い道は間違っているけどな。
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