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俊くんと!

産休明けの最初の通学が文化祭で、そしてまさか自分が女装をする羽目になるだなんて、一体どういうことなのだ。きいちは着慣れない服装にもたつく袖を凪に握りしめられながら、ひどく憂鬱なため息を吐いた。 文化祭は戦場よ!!そういったカズちゃんの言葉が脳裏によぎる。何をご冗談を、と笑っていたのだけれど、その言葉はあながち間違いではなかったのだと知る。 「先輩はチーフつけてないんですかぁ?」 「番がいる、悪いが他を当たれ。」 「ええ、じゃあもしかしてここの名物カップルの一人!?」 「ちがうぞ、他を当たれ。」 きいちが凪と二人で職員室に行って戻ってきたらこれである。廊下で待ってた俊くんが、正しく黒山の人だかり。その中央にげんなりした顔で立っていた。きいちは凪を抱っこしたまま、前も食堂でこんなんあったなぁと思いつつ、違うのは他校?の学生やら入学希望者だろうか、顔に幼さの残る子が混じっていたことだった。 「凪くんご覧よ、僕たちの俊くんがパンダみたいになってる。」 「ぅー!」 「いや、桑原たすけてやりなさいよ。」 ヒョコリと顔を出した担任が、うわっと顔を顰めて人だかりを診る。たしかにこのままだと通路の邪魔である。きいちは唇をむくれさせたままむすっとすると、そのまますたすたと人だかりに向かった。 珍しいこともあるもので、やはり多少は嫉妬はしていたらしい。教え子が女性と間違うような格好で赤ちゃんを抱いて現れたときは、職員室がざわめいた。その時は単純に奥さんかと思われたらしいが、こんな背徳的な美人と結婚した覚えはなく、大いに焦った。まあ口を開いたら教え子だったわけだけど。 きいちは人だかりの前まで行くと、少しだけ困ったように眉を下げて、じっと俊くんを見つめた。本人は単純にお腹すいたからなにか食べたいという意味合いで見つめていたのだが、ざわつく人だかりがきいちに気づくと静まった。凪が抱っこされた状態で小さい手を俊くんに向けたからだ。 「凪ちゃん、パパ忙しそうだから、僕達だけでご飯食べに行こうか。」 「おい、ちょっとまて。」 「寂しいから三浦くんたちにご飯タカリに行ってくるぅ。」 「まてまてまてまて!!」 くるりと踵をかえしてスタスタとクラスに向かおうとするきいちに、大いに慌てたのは紛れもない俊くん本人である。 周りの人だかりはというと、突如現れた美人の声が意外と低めだったことと、顔面にステータスを振り切ってるのか、胸が絶壁だったこと、そして気だるげだった俊くんが、目の色を変えて慌てて尻を追いかけて走る様子から、興味をそそられる者やらショックを受けるもの、そしてもしやあれが噂の片平先輩かと思い至るものは、その中性的な見た目にむしろ憧れを抱いたりもした。 こんなに多くの人が集まる文化祭で、3大カップルのうちの一組に会えるなんて、なんと運がいい。 特に一年はきいちを知らないものも多く、たまたま化粧を施す羽目になったきいちをみて、開いてはいけない扉を開くものもいた。 「お、男の人だよな?」 「僕も、髪伸ばそうかな…」 これもカズちゃんの策略の一つだとしたら、なんとも恐ろしい。金の匂いを嗅ぎつけたカズちゃんはその頃、捕まえた新たな獲物である学にも完璧なメイクを施して満足したらしく、ミスコンのあとにはきいちと葵、学をひっ捕まえてコスメの宣伝をするつもりでいた。 その事を知らないきいちと、きいちの機嫌を損ねたと思っている俊くんは、二人してそろって3年のクラスに姿を表して大騒ぎになっていた。 「く、桑原が浮気している!!!!!」 「は?」 「お前きいちというものがありながらどこから連れてきたんだその人は!!益子といい桑原といい、顔が良ければ二人目もありですかあ!!」 「え、俊くん浮気してんの?」 「してねえ。」 わいわいがやがやと、まるで糾弾するかのように三浦が騒いでいたのだが、きょとんとしたきいちが首を傾げると、先に気づいた淡路が素っ頓狂な声を上げた。 「ううううう、うそおおおおおおあ!!!!!!」 「おっ、淡路くんの軽音のライブ観に行くねぇ。」 「やっぱきいちじゃん!!!!ごめん俺の出番終わった!!!」 「えー!!!みたかったのにぃ!!!」 いち早くきいちだと気づいた淡路に、きいちはそれはもう嬉しそうに微笑んだ。淡路とは体育祭のイベントのときから話すようになったのだが、クラスを離れてしまってからは学校出会う事も少なかったのだ。 きいちがととと、っと三浦の横に立っていた淡路にかけよると、くるりと俊くんに振り向いた。 「僕さっきのことちょっと怒ってるからね。」 「ど、どっち…」 首を噛んだことが、人混みに埋もれていたことか。 俊くんには思い当たる節がありすぎて、ぐうの音も出ない。少しだけむくれた顔も綺麗だなと思っていたら、全然違う方向で拗ねていた。 「凪がさっき俊くんに手ぇ伸ばしてアピールしてたのになんで抱っこしてあげないのぉー!!」 ぷんすことむくれるきいちに、全員がそこなんだと心を一つにした。きいちからしたら息子が甘えるように見えたらしい。凪からしてみたらそんなことないのだが、俊くんは俊くんで酷くうろたえた。 「や、まさかそんな意味合いだとはわかんなくて…」 そらそうである。まあ滅多に手をのばすことも無い凪なので、貴重な瞬間を無碍にしたという意味できいちはむすっとしていた。あとは嫉妬、さすがにあの人混みもムッとしたのだが、そこで怒ると心が狭いようにみられてしまうかもしれない。ブラフにされた凪はキョトン顔である。 「待って!?!?俺を挟んで痴話喧嘩しないで!?!?」 「あ、ごめん。」 「ほら、フランクフルト買ってやるからきいちはこっちこい。」 「はぁい。」 フランクフルトで釣るんだ。間に挟まれていた淡路は若干疲れたようにため息を漏らした。三浦もなんだか可哀想な目でみつめてくる。やめろお前にそんな顔されるとシンプルに腹が立つ。 「そういや三浦くんその他がいない。」 「吹田と木戸ならチーフ求めに校庭にいったぞ。」 「え、あいつらもまさかのアルファなの!?」 「うんにゃベータ。だけど出会いの枠を広げるとか言って突撃していった。」 「なにそれくそうけんね。」 三浦くんはいかないんだ?ときいちに見上げられた三浦は、まるで梅干しを食べたかのようにすっぱい顔で頷いた。 「俺ぁおまいらのせいで面食いになっちまったから行かねえ。」 「オメガ可愛い子多いじゃん、行ってこいよ三浦。」 淡路が助け舟を出すが、頑なに首を立てに振らない。まあ学やきいちや益子の番の葵さんとか、突き抜けてるもんなぁ。と淡路が納得したように頷くと、ぼけっとしていたきいちへと視線が向く。 「口開かなきゃなぁ。」 「わかる。普通に喋らなきゃいいんだよなあ。」 「俊くんのフランクフルトもたべるぅ!」 「ほらもう発言があほじゃん。桑原は真顔でデレるな怖いわ。」 宣言通り、移動販売していたフランクフルトを二本買った俊くんが、餌をやるように凪を抱いて手がふさがったきいちの口もとにフランクフルトを持っていく。はむはむと頬張りながらご機嫌なのは結構なことだが、一本目も食べ終える前から奪う宣言をするのはどうなのか。 黙っていれば近寄りがたい美人と思われているきいちが、クラスからは若干残念に思われていた。 「だってよぉ、せっかく可愛いこと付き合えたとしても、中身がごりごりの男子高校生だったら俺ぁ夢が壊れるぜ。」 見た目で言うなら三浦はきいちのような人が好みらしい。だけど普通にエロ本で恥じるでもなく余裕で好みを語り合うことができると知ってからは、理想って難しいんだなと思ったとか。 「おまえら、きいちに変な理想を抱くな。」 「んあ?」 「俊くんのフランクフルト齧られてますけど。」 口の周りをケチャップで汚しながら、フランクフルトのど真ん中を横から齧ったので、真ん中だけスカスカだ。まさかフランクフルトだってそんな食べ方をされるとは思わなかっただろう。  「俊くんもたべる?」 僕の食べかけだけど。ときいちが見上げてくる。 「俺はこれで。」 「む、」 きいちの頬に手を添えると、まるで当たり前のようにべろりと口端のソースを舐めあげる。 久しぶりにみた番二人のやりとりに、俊くんも浮かれるんだなぁと、慣れたクラスメイトの生暖かい視線が全てを物語っていた。

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