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僕らの明日

俊くんからもらったシルバーのリングを眺めては、そのツルツルとした表面を指先で触れる。俊くんが大学へ行っている間は無意識にそこへ唇を落とすことも多い。 凪もぉ、とおねだりされるので、最近はそのルーティンに凪の可愛いキスも加わった。 あの時からずっと変わらず、俊くんのくれた思い出はきいちのなかでは色鮮やかなまま残っている。 あのあと、高校最後の文化祭での公開プロポーズは大いに湧いた。お陰で文化祭で結ばれたカップルが翌年の文化祭で永遠の愛を誓うと幸せになれるというジンクスまで広まったらしい。まあ、広めたのは一部の女子からなる漫画研究会らしいが、どちらにせよ入学希望者は例年を超えたと校長がご機嫌だったという。 あれからしばらくして、和葉によるおねだりは遂行され、きいちと葵はオメガのウエディングフォトのモデルとしてレトロな写真館での撮影と相成った。 二人でタイプの違う白の燕尾服に緩やかに広がるスカートのようなワイドパンツに見を包み、アンニュイな表情のきいちと大きな花束を抱き締めるようにして立つ葵のタイプの違うフォーマルな姿はひどく評判を呼び、掲載された雑誌の最後には互いの番と共に幸せを誓い合うフォトウエディングのシーンで締めくくられていた。 そう、おねだりと称して何枚も撮影されたそれは、名のあるファッションブランドが掲載される雑誌の6ページをまるまると使った広告で、和葉の理想とするタイプの違うモデルで起用された二人は、これがきっかけで仕事の依頼がくることもままあった。 二人が使用したコスメも大いに販売数を伸ばすこともできたし、あらたなウエディング事業も宣伝効果か軌道に乗った。プロのモデル顔負けの表情を作り出したのは、他でもない益子の撮影ということもあり、リラックスしてできたというのが大きいのかもしれない。お陰で益子のカメラの仕事は増えたことが嬉しい誤算だったと後に語った。 しかしモデルの依頼が来ると言っても、きいちと葵はハイ喜んでというわけには行かない。 なにせ葵は妊夫できいちは育児。結局折衷案として二人の現状を知っている和葉とだけ仕事をする約束をし、限られた範囲のみの活動となった。 そして高杉だが、文化祭のあと結局青木をドライブに誘ったのに何もなく、今もまだ付き合ってないという。付き合ってないのに手は繋いだとか言っていたので、あのヘタレは本命となると途端に駄目な奥手野郎になるなと改めて思った。しびれを切らした青木から告白する日も近いかもねと葵が苦笑いしていたのは記憶に新しい。 そう、その葵はというと、2月の終わりに元気な女の子を出産した。きいちと二人で入院の支度をしている最中の破水で、そのまま驚くほどスムーズにスポンと産まれた。益子は、それはもう顔面が溶けるのではないかというレベルでの号泣で、産後疲れ切った葵に慰められるという醜態を晒してきいちに頭を叩かれていた。 結ちゃんと名付けられた女の子は、今は益子ときいちからはお姫と呼ばれている。 結局、大学へ行ったのは学と末永、そして俊くんだけだった。なんと3人、同じ大学である。学力が高い大学へ進学した俊くんたち3人は、サークル飲み会やら合コンやら、誘われたとしてもけして参加しない潔癖さとその容貌から、例にも漏れずにファンクラブが出来た。なにやら三騎士と呼ばれているそうで、学もそこに入ることを末永は疑問に思ってはいたのだが、本人が騎士という男らしいワードに喜んでいたので良しとした。 卒業から、もう2年が経つ。 きいちはというと、やっぱり凪と離れたくなくて大学へは行かなかった。後悔はしていないし、なによりも俊くんが好きにすればいいと言ってくれた。 一緒に行けなかったのは少しだけ残念だけども、凪と二人で俊くんの帰りを待つ生活は幸せだった。 「まぁま!」 「わー!凪くんたっち上手だねぇ。もうちょいしたらパパ帰ってくるから、それまで僕と遊んでくれる?」 「うゅ、んひひ」 口に手を当ててくふくふ笑う。晃いわく、小さいときのきいちによく似ているらしい。ふらふらと手を広げながらきいちのところにとたとたと歩いてくる様子が可愛い。そのまま優しく抱き締めると、膝の上に乗せて絵本を読む。 凪のお気に入りのサンドリヨン。フランス版のシンデレラなのだが、可愛らしい絵本のイラストよりも、俊くんが選んできた絵画のような絵柄を好んでいた。お伽噺の内容はわかっていないだろうが、凪は作中のサンドリヨンを指さしては、まぁま!という。 「凪くんパパはどれ?」 「こぇ、ぱぁぱ!」 えひひ、と笑いながらぺたりと王子様の絵に触る。俊くんと二人で撮ったフォトウエディングの写真。それを見てから、凪はずっとこんな感じだ。 「うんうん、僕も王子様なりたいなあ。」 「う?ぱりぱりたべぅ。」 なんのことやら、そんな具合に凪は首を傾げた。 サンドリヨンに描かれていたまあるいお月様。よだれを垂らしながら小さい手でぺちぺちと触れると、小さい尻を弾ませながらおねだりをする。 「ん、おせんべ?食べてもいいけど夜ご飯入んなくなっちゃうよ?」 「いーよぉ?」 「えぇ?だめですぅ。」 「えぇー?」 なんでいけるとおもった?と凪の可愛いほっぺを指先でふにふにといじっていると、きゃらきゃらと楽しそうに笑いながらはしゃぐ。そのまま凪を胸に抱いてごろんと横になって右へ左へとコロリと体を揺らして遊んでいると、カチャンと鍵が開く音がして、二人の大好きなパパが帰ってきた。 「ぱぱだぁー!」 「きゃー!!」 わいきゃいと二人でぱたぱたと玄関に向かうと、三和土に腰かけて靴を脱いでいる俊くんが顔を上げて手を広げた。いつものお帰りの挨拶である。 きいちはそっと凪を下ろすと、凪の小さい体は待ってましたと言わんばかりに一目散に俊くんの胸へ飛び込んだ。 「ごぁん!!!!」 「ん?」 「ご飯じゃなくてパパですねぇ。」 「ああ、食いしん坊め。」 楽しそうに笑うと、お帰りのキスはしてくれないのか?と凪に言う。俊くんの親ばかは凪がパパと言い始めてから加速して、凪の初キスは俺のものとかいっていた。 「おひげや!」 「なん、だと…」 「えぇ?凪の判定厳しくない?ちょりちょりして…るね。」 小さな手で俊くんの唇を塞いだ。凪の横からきいちが手を伸ばしてそっと顎に触れると、たしかに微かにだが朝よりも伸びていた。 「ふひ、お帰り俊くん。」 「ん、ただいま。」 「まぁまごぁん!」 「パパより食い気だってさ。」 凪を抱き直しながら、慰めるように凪に不可と言われた俊くんの頬に口づける。俊くんはきいちの腰を抱きながら、唇をひと舐めしかえすと、大きな手で凪の頭をわしわしと撫でた。 腕の中のちいさな宝物は、先程からずっと俊くんのことを待っていた。催促するようにその小さな手を伸ばして可愛くおねだりをする。 「ごぁん、ぱぱぁ。」 「はいはい。」 「あぁ、聞いてた聞いてた。」 なんだか泣きたくなってきた。 俺よりも食い気かと情けない声で俊くんがそう言うもんだから、きいちはおもわず吹き出した。 何故なら凪の言う、ごぁん!は俊くんのお膝に乗ることだからだ。その理由を知ったら親ばかが悪化しそうなので教えてやらないが。 「ん、ただいま。」 「おかえりだってさ。」 俊くんの大きな手が、少しだけ膨らんだきいちの腹を優しく撫でる。 俊くんときいちの間に、もうすぐ二人目が生まれる。

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