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1 イケメンの幼馴染み
「ピンポーン」と三度目のチャイムを鳴らしても反応がない。スマホを出してメッセージアプリを開き、約束したのは間違いなくこの時間だと確認する。「はぁ」とため息をつきながら、今度は呼び出しボタンを押さずに数字をいくつか押してオートロックを開けた。
念のためおばさんに聞いておいてよかった。いや、おばさんが念のためにとオレの母さんに教えておいてくれて助かったと言うべきか。さすが母親、息子の行動パターンはわかっているらしい。
エレベーターで最上階まで行き、出てからすぐ右側にあるドアのチャイムを押そうとして手を止めた。ドアが少し開いている。あぁ、靴が引っかかってちゃんと閉まらなかったのか。
(いくらワンフロアに一部屋だけっつっても、無用心だな)
入り口がオートロックだとしても他の階にも住人がいるわけで、もう少し危機感を持つべきじゃないだろうか。そう思いながらドアを開け、一応「お邪魔します」と言ってから中に入った。
広い玄関には何足かの靴が散らばっているものの、廊下や部屋の中はすっきりしている。というかやたらと物が少なくて、まるでモデルルームみたいだなと思った。
ダイニングテーブルを見るとグラスや瓶、缶がいくつか置きっぱなしになっている。それに、かすかにだがタバコの匂いもした。タバコが嫌いなオレは、ついでに酒の匂いも逃がそうと思ってベランダの窓を開けた。
「すっげぇ眺めだな」
低層マンションながら小高いところに建っているからか、驚くくらい眺めがいい。きっと家賃も高いんだろうなと考えたところで「賃貸じゃなかったりして」なんてことを思った。
(あり得なくはないか)
昔からお金にだけは不自由しなかった幼馴染みに多少毒づきながら、寝室だろうと思われる部屋のドアを開けた。
部屋の真ん中に置かれたどでかいベッドの上で、金髪に近い長めの髪と程よく均整の取れた裸体を惜しげもなく晒して眠るイケメンがいる。せめてパンツくらい履けよと思ったが、床に落ちている使用済みスキンを見つけて、全裸熟睡の理由も玄関の鍵が開いていた理由も悟った。
「おい起きろ」
形のいい頭を遠慮なく平手で叩 く。
「……ったいなぁ。なに、帰るんなら勝手に帰っていいって言ったよね……」
「いま来たばっかだよ。さっさと起きろ」
「……あれ? コウちゃん?」
「誰がコウちゃんだ、オレには孝史 というちゃんとした名前がある。何回言えば理解すんだよ、そのお綺麗な頭は」
「え? なんでコウちゃんがいるの?」
完全に寝ぼけていてもイケメンはイケメンのままなのか。「イケメンってのはすげぇな」と思いながら、二十一歳のオレを「コウちゃん」と呼び続ける男の額を指でピンと弾いてから大きな窓を開けた。
室内の冷えた空気と外の生ぬるい空気が混ざり合い、一気に湿度が上がる。つけっぱなしのエアコンには申し訳ないが、空気の入れ替えはしたほうがいいだろう。
「ねぇ、なんでコウちゃんがいるの?」
「『幸佑 くんがちゃんと一人暮らしできてるか、やっぱり心配なの』って、母さんがおばさんに泣きついた結果だ」
「……どういうこと?」
「オレが聞きてぇよ。なんで二十歳 を過ぎた幼馴染みの面倒を見なきゃなんねぇのか、さっぱりわかんねぇわ」
「……俺もわかんないんだけど」
イケメンがキョトンとした顔でオレを見た。そういう顔をすると、かわいかった頃の幸佑 を少しだけ思い出した。
オレが四歳のとき、マンションの隣の部屋に引っ越して来たのが渡辺幸佑 だった。母子家庭だったのを母さんがやたらと気にかけたからか母さんとおばさんはすぐに仲良くなり、必然的にオレと幸佑 も仲良くなった。おばさんが夜働いていたこともあって、ほぼ毎日のように幸佑 を預かるようになると一緒にいることが当たり前になった。
一人っ子だったオレは、一つ年下の幸佑 を弟みたいに思うようになった。それはいまも変わらないが、さすがに大人になってからも幼馴染みの世話を焼くとは思わなかった。たとえば本当の弟だったとしても、いい年した男の世話を兄が焼くのはおかしいんじゃないだろうか。
(それもこれも、母さんが幸佑 を気に入りすぎてるのが悪い)
小さい頃から人形みたいにかわいかった幸佑 は母さんのお気に入りだった。どのくらい気に入っているかというと、「幸佑 くんがお婿さんに来てくれたらいいのに!」なんて阿呆なことを言うくらいだ。つーか、お婿さんって誰のだよと心の中で何度突っ込んだことか。
普段はあんなにぽやぽやしている母さんなのに、幸佑 のことになると熱の入り方が違う。むしろ母親であるおばさんのほうが冷静に見えるのは気のせいじゃないだろう。
「目が覚めたんなら、さっさと起きろよ。飯、食うだろ」
「用意してくれるの? え、なんで?」
「なんでだろうな。オレが知らないうちに、そうなってたんだよ。っていうか、さっさと服を着ろ。あと床に散らばってるゴミは自分で捨てとけよ」
「ゴミ……?」
床に落ちている使用済みスキンと袋、それに何個かの丸めたティッシュを見た幸佑 が、「ゴミ箱どこだっけ……」とあくびをしながら口にした。「ゴミ箱は、そのやたらでかいベッドの反対側に見えてんぞ」と思ったが、何も言わずにさっさと部屋を出る。さすがに他人の使用済みスキンを片付けてやる義務はない。
(しっかし、相変わらず入れ食い状態みたいだな)
人形みたいにかわいかった幸佑 は、中学に入る頃には身長がグングン伸びてモデルのようなイケメンになった。当然とんでもないくらいモテて、高校に通う頃には何人もの先輩や後輩と付き合うようになっていた。それどころか随分年上の彼女もいたし、何ならかわいい男と付き合っていたのも知っている。
小中高と一緒だったこともあり、オレはそういう姿を側でずっと見てきた。そんな幸佑 に対して多少心配はするものの、怒ったり憤ったりなんて気持ちはあまりない。
幸佑 には父親がいない。そういうこともあってか、シングルマザーのおばさんは日本有数の繁華街で毎日忙しく働いていた。だからといって息子を蔑ろにしていたわけじゃない。それでも小さい頃の幸佑 はおばさんが側にいない理由がわからなかっただろうし、寂しい思いをしていたんだろう。昼寝のときも夜寝るときもやたらとオレにくっついていたのはそういうことだったんだと、少し大きくなってから理解した。
それが成長するにつれて恋愛やセックスに向かったとしても、別におかしいとは思わなかった。セフレが両手じゃ足りないくらいいると知ったときにはさすがに恋人を作れよと思ったが、本人は「恋人とか面倒くさい」と言って改めようとしなかった。
そんなことじゃいつか刺されるぞと思わなくもないが、どうやらセフレたちとはうまくやっているようで危ない話は聞いたことがない。下半身は緩いのにコミュニケーション能力はまともだったんだな、なんて変なところで感心した。
「マジで何も置いてねぇな」
キッチンの棚をざっと見た感想はそれだけだ。調理器具はほとんどないはずというおばさん情報を得ていたから、サンドイッチとカフェオレを買ってきたが正解だった。それをダイニングテーブルに出すついでに、置きっ放しだったグラスや瓶、缶を流しに移す。冷蔵庫をのぞくとミネラルウォーターと酒しか入っていないことに小さなため息が漏れた。
(あとで買い物に行っとくか)
今回の件ではおばさんからバイト代を貰えることになっている。それも破格の値段で、そういう豪快なところは昔と変わらないなぁなんて懐かしくなった。
おばさんは昔から金銭感覚が変だった。小学一年のオレが幼稚園児の幸佑 と駄菓子屋に行くと話したら、万札を一枚渡すような人だ。今回も「孝史 くんよろしくね」と言って、新卒のサラリーマンが地団駄を踏みそうな金額を提示されて慌てて値下げ交渉をした。
(もちろんバイト代分はしっかり働きますとも)
野菜室に冷凍庫も確認したところで幸佑 が出て来た。上下スウェットなのに、やたら爽やかなイケメンに見えるのは何でだ。「これでセフレがたくさんいる無職ってどうなんだ」とさすがに突っ込みたくなる。
「窓は閉めてきたか?」
「うん、閉めたよ。あ、サンドイッチだ」
「この部屋、調理器具がないからな。今朝はそれで我慢しろよ」
「いつもこんな感じだから平気だよ。大体買ってくるか食べに行ってるから」
「どうりで冷蔵庫が空っぽなわけだ」
「飲み物専用だからね。あ、でもたまにケーキとか入ってることもあるけど」
そりゃあセフレの誰かが入れたんだろう。あとで自分で食べようと思ったのか、幸佑 へのプレゼントなのかはわからないが。
幸佑 の趣味じゃなさそうな食器も誰かが置いていったものに違いない。どうせなら調理器具を持ってきてくれればよかったのにと思ったが、部屋でご飯を作って食べるセフレなんていないかと思い直した。
「今度、菜箸とかおたまとか持って来るわ。さすがに鍋だけじゃ何もできないしオレが困る」
「え? なんでコウちゃんが困るの?」
「コウちゃんじゃねぇって言ってんだろ」と返事をしてから、チーズとアボカドのサンドイッチにかぶりついた。うん、旨い。ここのサンドイッチはいまハマっている店で、とくにチーズが入っているものがお気に入りなんだ。
「飯作るからだよ。あと洗濯と掃除もやるからな」
「え? なんで? どういうこと?」
「『様子を見に行くついでに、うちの子が掃除洗濯もするから大丈夫よ』って母さんが言ったから」
「……また意味がわかんないんだけど」
「大丈夫だ、オレも意味わかんねぇから」
幸佑 が取ろうとしたサンドイッチを見て、そっちじゃないと手を伸ばした。固形チーズが苦手な幸佑 の前からチーズ入りサンドイッチを取って、代わりにハムとキュウリたっぷりのポテサラサンドを渡してやる。「昔から幸佑 はポテトサラダが好きなんだよな」と思っていると、サンドイッチを囓った顔がパァッと明るくなった。
「おばさんがバイト代はずんでくれるから、夏休みの間はおまえの世話をすることになった」
「えぇー、そんなの必要ないのに。洗濯は全部クリーニングに頼んでるし、掃除は誰かが勝手にやってくれるよ」
「こんな割りのいいバイトなんて他にないんだ、諦めろ」
「ん~、まぁいいけど……。でも、なんでバイトなの?」
「一浪して大学入ったから、ちょっとでも学費とか貯めときたいんだよ。一年からやってたバイト先が店たたんで、ちょうど新しいバイト探してたとこだったからオレもありがたかった」
「あ~、コウちゃんW大だっけ。頭いいよねぇ。俺、高校の勉強だけでムリって思ったもん。大学行ってバイトもするなんて、俺には絶対ムリ」
そんなことを言いながらカフェオレを飲んで「あ、おいしい」と笑う目の前の幼馴染みは、高校をかろうじて卒業するとすぐにこのマンションに引っ越した。おばさんの話では、幸佑 の父親が卒業祝いにと鍵を送ってきたのだという。
(それじゃ、やっぱり賃貸じゃないってことなんかな)
幸佑 の父親が誰かは母さんも知らないようだけど、近所では大会社の社長か大物政治家だと昔から噂されていた。真相はわからないし、自分の父親に興味がないのか幸佑 からも聞いたことがない。
夜のお店の経営者になったおばさんから十分な生活費を貰っている幸佑 は、二十歳にしてこれでもかというほどニートを満喫していた。生活感の薄いデザイナーズマンションに一人で住み、食べる物にも服にも困ることがなく、代わる代わるセフレが訪れるという自堕落な生活に浸かりきっている。そういう状況だということは、たまにメッセージのやり取りをしていたオレも知っていた。
(っていうか、とんでもない男に育ったよな)
そう、幸佑 はやたら綺麗な顔をしたイケメンで、超絶モテて、男女関係なくセフレがいて、高そうなマンションで一人暮らしをしているゴージャスニートだ。それに比べてオレは真面目そうに見えるメガネに平凡な見た目で、W大生といっても飛び抜けて頭がいいわけじゃない。ごく平凡で少しばかり家事ができるだけの面白味も何もない男だ。
そんなオレが、いくら幼馴染みとはいえ幸佑 といまだに仲良くしているのは不思議な気もする。そういえばケンカらしいケンカもしたことがない。
(幸佑 とオレが全然違うってのは昔っからわかってるから、今更羨ましがるなんてこともないしな)
人は生まれながら手にしているものが違う。幸佑 は幸佑 の、オレはオレの持っているもので生きていくしかない。それをひがんだり妬んだりしても仕方がない。
それにオレは、自堕落極まりない幸佑 のことが嫌いじゃなかった。小さい頃なんて「コウちゃん」って泣きながら必死に後ろをついて来たりして、そりゃもうかわいかったのなんのって、いま思い出しても胸がきゅんとする。イケメンになってからもニコッと笑いながら話す姿をかわいいとは思うのは、小さい頃から弟みたいに思っているからかもしれない。
(もしくは母さんによる洗脳だな)
「幸佑 くん大好き!」と言い続ける母さんがいなければ、こうして大人になってまで連絡を取り合ったりはしなかった気がする。ましてや世話を焼くなんてことは絶対にないはずだ。
(ま、オレが一人暮らしするときの予行練習だと思えばいいか)
それで破格のバイト代が貰えるんだから、ありがたい以外の言葉はない。そんなことを思いながら、「あとでオレが来る曜日と時間決めるからな」と言って残りのサンドイッチを口に放り込んだ。
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