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13 小さな変化

(……眩しい……)  顔に当たる日差しで目が覚めた。カーテンを閉め忘れたのかと思いながらゆっくり目を開け、何度かパチパチと目を(しばたた)かせる。腕を動かそうとして何かに触れたような気がした。そろりと指を動かすと掛布の先に何かがある。 (……なんだろう)  ぼんやりしていたシュエシの目がパチッと開いた。ゆっくり顔を動かし、目に入ったものにギョッとする。 (どうして……)  隣にヴァイルが寝ている。こんなことは初めてだ。混乱しながらも急いで体を起こそうとしたが失敗した。体を支えようとした両腕に力が入らず、腰から下もうまく動かない。 「体が動かないのか?」 「……っ」  声に驚いて視線を向けると、黄金色の瞳が自分を見ていた。 (は、早く退かなければ……!)  目を白黒させながら起き上がろうとしたもののやはり体は動かず、距離を取ろうにも腰をずらすことすらできない。モゾモゾしていることに気がついたのか、ヴァイルが「無理をするな」と口にした。 「初めての夜で花嫁が起きられなくなることはよくある」 「は、じめて……?」  何か大事なことを忘れている気がする。そう思ったシュエシの前でヴァイルが上半身を起こした。掛布から現れたのは均整の取れた肉体で、肌が白いからか美を追究した彫刻のようにも見える。  ふと、肩から二の腕にかけて赤い筋があることに気がついた。何かに引っ掻かれた傷痕のようにも見える。シュエシの視線に気づいたのか、ヴァイルが肩を見ながら「あぁ、これか」と口にした。 「最後は向かい合っていたからな」 「え?」 「おまえがつけた爪跡だろう?」 「僕が……?」  何を言われたのかわからず、美しい顔を惚けた顔で見る。直後、肌を暴かれ体を貫かれたことを思い出して全身がカッと熱くなった。慌てて顔を背けようとしたものの、下腹部に鈍い痛みのようなものを感じて体が強張る。 (僕は、ヴァイルさまと……)  ぼんやりと思い出したことにますます体が硬直した。真っ赤になったまま視線をさまよわせていると、ヴァイルが銀色の美しい眉を片方だけ跳ね上げる。 「なんだ、身も心も花嫁になったというのにうれしくないのか?」 「え?」 「こういうとき人は喜ぶのだろう? おまえはよくわからんな」  ため息が漏れそうな声色にシュエシの顔が強張った。答えたくてもどう答えればいいのかわからない。 (ヴァイルさまが望んでこういうことをした……まさか、そんなことするとは思えない)  少なくとも目の前のヴァイルは喜んでいるようには見えなかった。それなのに自分ばかり喜ぶことなどできるはずがない。うれしさより不安や戸惑いのほうが勝り、そっと視線を外す。 「まぁいい。そういう人の機微のようなものも一応は理解している。それに……」  突然覆い被さられて鼓動が跳ねた。戸惑いながらも視線を向けると、近づいてくる美しい顔に釘付けになる。口づけられる……そう思って目を閉じたシュエシだが、予想に反してどこにも冷たい感触はしなかった。恥ずかしい勘違いをしたと目を開きかけたところで、頬にヴァイルの髪が触れていることに気がつく。 「いまもまだよい香りがしている」 「……!」  首筋にヴァイルが顔を埋めている。クンと嗅ぐような音に慌てて身じろいだシュエシだが、そこで初めて自分も裸であることに気がついた。途端にドッドッと鼓動が激しくなる。  顔を真っ赤にしながら視線をさまよわせていると、首筋から「ふっ」と笑うような声がした。もしかしてからかわれたのだろうか。緊張や困惑で体を硬直させたまま、じっと言葉を待つ。 「おまえは予想以上に興奮しやすいな。それに敏感でもある。たったこれだけで熱を上げるとは、これならすぐにでも熟すだろう」  顔を上げたヴァイルがじっとシュエシを見下ろした。美しい顔に見惚れながら、なんとか口を開いて「熟す、というのは……」と尋ねる。 「人の血は興奮するほど味わい深くなる。もっともよいのは快感を得ているときだ。その点、おまえは感じやすく快感に溺れやすい。それは昨日しっかりと確かめた。そう待たずしてわたしを満足させるだけの極上の味わいになるだろう」 「……僕の血、は……ヴァイルさまの口に、合いますか?」  気がつけばそんなことを口にしていた。それを聞いたヴァイルの口元にゆっくりと笑みが浮かぶ。 「上等なワインよりはるかに美味だ。これからはわたしに血を捧げることを第一に考えろ」  ヴァイルの言葉にシュエシは体を震わせた。それは恐怖からではなく歓喜からくるものだった。 (ヴァイルさまが僕を求めてくれている……こんな僕を……)  両親が死んでからというもの、誰にも見向きされなかった自分を求めてくれる人がいる。たとえ化け物だったとしてもかまわない。 (僕はヴァイルさまに……想いを寄せている人に求められているんだ)  胸の奥がじわりと熱くなった。ドクドクと脈打つ鼓動と一緒に全身に歓喜の熱が回る。黄金色の瞳に自分が映っていることがうれしくて、「ヴァイルさまが好きだ」という気持ちがあふれ出した。 (僕はヴァイルさまが好きだ……誰よりも好き……)  頭がフワフワして全身がポッポッと熱くなる。シュエシの黒目がとろりと蕩けた。 「僕はヴァイルさまのものです。ヴァイルさまに喜んでもらえるのなら本望です。どうか僕の血だけを求めてください」  恍惚とした表情のシュエシに黄金色の瞳が細くなる。 「僕にはヴァイルさまだけ……ヴァイルさましかいない……」  うっとりと微笑むシュエシの顔は夢うつつの中にいるような、それでいて酩酊しているような様子だ。その表情に「ふむ」と声を漏らしたヴァイルは、しばらく見つめた後「まるで二人いるかのようだな」とつぶやいた。 「まぁいい。よい心がけの褒美に目覚めの口づけをやろう」  美しい顔が近づいてくる。うっとりと見つめていたシュエシだが、突如目が覚めたようにハッと目を見開いた。近づくヴァイルに顔を真っ赤にすると、慌てて仰け反ろうとするがそれより先に冷たいものが唇に触れる。それがヴァイルの唇だとわかり鼓動が一際強く跳ね上がった。同時に下腹部がジンと痺れ、昨夜の交わりを思い出させる。  シュエシは戸惑いと歓喜に次々と襲われながら、冷たくも甘い口づけを受け入れた。  ヴァイルと肌を重ねたからか、あの夜以降シュエシは世話をしてくれる“影”を少しずつ目視できるようになった。彼らはその名のとおり黒い霧のような姿で、歩くというより空中を漂っているように見える。常に見えるわけではないものの気配を感じることも増えてきた。  影は屋敷のあちらこちらに存在していた。彼らは使用人のような存在らしく、任されていることも掃除や片付けなど人の使用人と変わらない。影たちはヴァイルが命じれば人そっくりの形になることもできた。「土地の者が来たとき相手をさせるためだ」とはヴァイルの言葉で、それでも普段は決して人の形にはならないのだという。ヴァイルが人を嫌っているからだろうが、ではなぜ人である自分を花嫁にしたのだろうか。  ヴァイルは生き血を糧にしている。そのためには生き血を捧げる存在が必要だ。だから毎年一人ずつ土地の娘を手に入れていたのだろう。しかし自分は血を捧げるだけでなく肌を重ねることまでした。 (そのほうが血がおいしくなるということなんだろうけど……)  もしかして、これまでの娘たちとも同じことをしたのだろうか。そう考えた途端に胸がズキンと痛んだ。「自分以外とも……」と思うだけで胸が重苦しくなる。  しかし、すぐに「でも嫌いな存在に触れるだろうか」という疑問がわいた。味をよくするためとはいえ、ヴァイルが憎んでいる存在に触れたがるとはどうしても思えない。 (……そうか、だから毎年花嫁が必要だったんだ)  そして年に一人の花嫁は血を捧げるだけで……命を落としたに違いない。 (きっと気に入る血がなかったんだ。でもヴァイルさまは僕の血を気に入ってくれた。これからずっと僕の血を求めてくれる……僕はほかの花嫁たちとは違う)  シュエシの口元に笑みが広がる。ヴァイルの顔を思い浮かべながら首筋を撫でたところで、我に返るようにハッとした。 「僕はいま何を……」  とんでもなく恐ろしいことを考えた気がする。こんなにも傲慢なことを考えたのは生まれて初めてだ。これまでの自分と何か違っているような感覚に恐れを抱く。同時にいっそ変わってしまえばいいのにという気持ちもあった。 (もし変わることができるなら、ヴァイルさまと同じ化け物がいい)  そうすれば、きっと死ぬまでそばに置いてもらえる。ずっとそばにいられるなら喜んで化け物になろう。うっとりと微笑むシュエシの黒髪にチラチラと紅の色が煌めいた。

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