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第6話

 夏休みが終わった。僕の夏も、唐突に終わった。  まるで、夏の暑さが見せた幻だったかのように、久志はいなくなってしまった。  僕にとって高校最後の夏は、本当に濃密で劇的だった。太一がいるので、日中に久志のところへ行っても愛し合うことはできない。色々考えて、ムラムラするだけだ。叔父さんとの家事の分担があって、夕飯の当番の日は早く帰らないといけない。そんな儘ならないじれったささえ、僕にとってはとても刺激的だった。  あと三日で夏休みも終わる。ということは、受験への準備が本格化して、寝る間も惜しんで勉強に励む時期になるということだ。僕は今以上に久志に会えなくなるのだろうか?それとも、太一がいなくなる分、少しは二人の時間が増えるのだろうか? 「あそぼーぜ」  いつも通り、久志のことを考えながらも自分の部屋で勉強していたら、携帯電話に太一からメッセージが届いた。まだ昼にもならない時間だ。勉強は?と返すと、今日は休み!と送られてくる。  僕は急いで着替えて、家を飛び出した。叔父さんは昨日の晩から出張に行っていて、だから本当は僕も久志の家に泊まりに行きたかったのだけれど、仕事が忙しいと断られてしまった。太一の勉強がないのであれば、太一とちょっと遊んでから行ってしまおう。そうすればいつもより長く一緒にいられる。 「暑いな」 「だなぁ」 「勉強進んでる?」 「ぼちぼち……かな。皆どうしてるんだろ?」 「塾に缶詰だろ」  駅前で落ち合って、いつものファストフードのチェーン店に入る。だらしなく携帯電話をいじりながらハンバーガーを口に押し込み、近況を話し合う。僕は久志に、今日会いに行ってもいいかとメールを送った。ウキウキしながら返信を待つ。 「でもまだ夏だもんな。冬もがんばんないとな」 「そうだね。冬も久志……さんに、教えてもらうの?」 「無理じゃないかな」 「なんで?」 「だってもう、日本にいないし。しばらく帰ってこないらしいし」 「………………え?」 「昨日で最後だったんだ」  思いがけない言葉を聞いたと同時に、僕の携帯がメールの受信を告げる。条件反射のようにそれを確認して、目の前が暗くなった。受信したのは、配信不能の知らせ。久志へのメールはもう届かないのだ。  その後のことを、僕はあまり覚えていない。太一が僕の様子に驚きながら、久志は仕事で外国へ行ったことを教えてくれた。気がついたら僕は、久志の部屋の前に立って、ドアをガンガン殴っていた。 「久志!久志!いるんだろ!?開けてよ!久志!!」  僕に黙ってどうして?僕たちは愛し合う運命の恋人同士だったのに。何度も確かめ合ったのに。  隣近所の人に怒られて、僕はその場を離れるほかなかった。手は真っ赤に腫れ、自転車のハンドルを握るだけでもズキズキと痛む。どこをどう通ったのかわからないけれど、僕はちゃんと家に帰り着いていた。叔父さんも帰ってきていて、のんびりと今日は出前を頼もうかと話しかけてくる。 「悟?どうした?」 「なんでも、ない」 「…………出前と外食、どっちがいい?」 「…………」 「…………」  僕は叔父さんの前で泣いた。玄関先の廊下で、声を殺して。叔父さんはそんな僕にそれ以上何も聞かず、ただ黙って僕の頭を撫でてくれた。叔父さんと同じ、癖の強い髪を梳くように、何度も優しく。外は突然の夕立が降り始め、遠くに雷鳴が聞こえていた。  こころにぽっかりと穴があくというのは、本当に的を射た表現だったのだと知った。学校が始まり、日常が戻り、久志のことを忘れようとして、僕は遊びと勉強に打ち込んだ。太一には、久志さんにお礼も言えなかったから驚いただけだと言い訳した。優しい友達はそれで納得してくれたようだ。  暑さが過ぎ、あの情熱を夏に置き去りにして、思春期特有の精神構造で傷を塞ぐ。受験の合格発表の頃には、僕はもう、久志のことを思い出にしていた。自分ではそのつもりだった。だけど僕は、思い出から逃げるように遠方の大学に進学した。  奨学金を貰い、バイトで生活費を稼ぐような苦学生になった僕は、立派な同性愛者にもなっていた。誰も知っている人のいない土地で、初めて出会う人の中から、自分と嗜好の合う人を探し出す。年齢を誤魔化してバーやクラブに入り浸り、相手を物色しては楽しい夜を過ごす。深夜のコンビニのバイトで、目ぼしい客に色目を使って誑しこむ。  大好きな叔父さんには知られたくないような生活だったけれど、それでも止められない。  幸いにも僕はもてた。若さもあり、投げやりな態度も好まれたらしい。最近ますます背が伸びて、顔は父さんに似てきた。だけど相変わらず髪だけは叔父さんに似ていて、僕は叔父さんのまねをして癖の強い髪をだらしなく伸ばし、無造作に結ぶ。そんな外見もゲイには人気で、だから僕はあっという間に経験豊富な遊び人になっていた。そして僕は、そんな自分に意外と満足していた。  ほろ苦い夏の初恋と初体験。久志は蜃気楼のように掴みどころのない人だった。今出会えば、違うのだろうか?今となっては、色恋に疎いガキが、愛を語っていたことを面映く思う。そして、久志がしあわせだったらいいなとさえ考えられるようになっていた。  愛なんて、あそこにはなかったのだ。僕はただ、多分根っからの同性愛者で、生まれて初めて出会った同好の士に堕ちただけ。向こうが初心な高校生を相手にすることを躊躇わなかっただけ。初めての経験に、夢中でのめり込んだだけ。  何もかもが初めてで免疫がなく、だから周りが見えないほどに陶然と久志に恋をした。運命を信じ、愛を語る。そんな手に負えないガキに、離日の事実を伝えるのは面倒だったのだろうと今ならわかる。  ほとんど叔父さんの家に戻らないまま、僕は大学生活を謳歌していた。僕を気に入った何人かが、ときどき金銭的な援助をしてくれることもあって、それほど金には困窮せずに済んでいる。奨学金の受給資格を保持するために、勉強だけは真面目にやっていたので、校内の友人たちは、僕の乱れた生活と交友を知らない。  三回生の夏、僕は久々に叔父さんの家を訪ねに地元へ戻った。叔父さんは僕が家を出てから、海外での仕事を大幅に増やした。甥っ子の独り立ちに安堵したのだろう。そもそもずっと在外で、主にヨーロッパを拠点にしていた人なのに、僕の面倒を見るために日本に留まってくれていたのだ。  業界では有名な人らしいし、仕事は次々に舞い込み、忙しくしているようだ。僕が地元に戻らなかったのは、帰っても叔父さんがほとんどいないから。今回戻ろうと思ったのは、叔父さんが帰ってくると言うからだった。  僕は懐かしいような気分で地元の駅を降り、ほんの少しだけ変化した町を見回しながら叔父さんの家に向かった。  叔父さんはまめなほうだとは思うけれど、何ヶ月も家を空ければこの時期の庭は荒れ放題だ。小さな門扉に手を掛けながら、これはまず草刈りだなと考える。そんな僕に背後から、誰かが叫びながらぶつかってきた。 「尊さん…………!!」  尊。それは叔父さんの名前だ。僕は驚いて、背後を振り返った。僕と目があったその人は、僕よりもよっぽど驚いた顔をした。 「悟…………!?」 「久志?」  数年ぶりにあった久志は、相変わらず綺麗で色っぽい声をしていた。

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