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『玉子焼きについて』 横山ツカサ

 恥ずかしながら、私は料理がほとんどできない。この料理専門雑誌の寄稿の依頼を頂いたのは、業界内で玉子焼き好きとして知られているからだそうだ。実際、玉子焼きはよく食べるのだが、厳密には玉子焼きが好物だからというわけではないのである。せっかくなので、今回は玉子焼きにまつわる話をしようと思う。  私の本職は舞台俳優なので、このような仕事はお断りすることが多いのだが、「Cook Tomorrow」の名前を伺い、受けることを即決した。友人が本誌の定期購読者だからだ。  その友人(以下Jとする)とは、中学時代に知りあった。Jの母親は女手一つで地元では名のしれた小料理屋を営んでいて、Jもよく厨房に入って料理の手伝いをしていた。Jは料理が本当に好きだった。食の流行がわかりやすいと言い、母親が定期購読していた「Cook Tomorrow」をJは毎月熱心に何度も読んでいた。きっと今も読んでいることだと思う。  Jと親しくなったのは、中1の体育祭で二人三脚のペアになったことがきっかけだ。寡黙で内申点ばかり気にしていた私は、明るくクラスの人気者であったJはむしろ苦手だったのだが、身長が同じくらいという理由で組まされることになった。朝練に毎日参加し、体育の内申点を稼ごうとした一方、Jが来ることは一度もなかった。ペアがいないのでは練習にならない。  体育祭3日前、しびれを切らした私は強い口調で朝練に来るようJにいった。翌日、果たしてJは来たのだが、事件はその日に起こった。私に足を引っ張られたJは転び、捻挫してしまったのである。後に聞いたところによると、夜まで厨房に立っていて寝不足だったらしい。保健室から戻ってきたあと、真っ赤な顔をしてJは立てなくなった、これでは料理ができないじゃないか、と言って怒鳴りつけてきた。内申点に傷がついたことに加え、Jのただならぬ態度に妙に苛立ち、何か怒鳴り返したと思う。  体育祭の日、Jは申し訳なさそうな顔をして言い過ぎたと謝ってきた。その時にはすっかり頭が冷えていたので私も怒鳴ったことを謝罪した。二人して不参加になった二人三脚を見学しながら、他愛のない話をした。Jは料理の話をして、私は舞台の話をした。よく観るテレビ番組や好きな音楽、どちらも片親であることなど共通点が多いことに気づき、中学時代は四六時中つるんでいた。  Jは誰にでも優しかったが、広く浅く付き合うタイプだった。しかし私にはお節介と言えるほど世話を焼いてくれた。手料理を食べたことがほぼないと知ると、練習がてらと言って毎日弁当を作ってくれるようになった。Jの料理はどれも美味しかったが、玉子焼きが一番好きだった。ふわふわと柔らかく、甘みがあり、口に入れた瞬間出汁の味が口に広がるのだ。玉子焼きがお気に入りだと言うと、Jは毎日弁当に入れてくれるようになった。毎日出汁を取っていたと言っていたので、かなり手間のかかる料理だっただろう。  中学3年生の秋になって、Jの態度が変わった。距離を置かれたわけではないのだが、今までのように肩を組んだり、下品な冗談でゲラゲラ笑ったりすることがなくなった代わりに、ぼんやりすることが増えた。級友にはいつものように笑うのが苛立った。何かあったのかと聞くと、家業が忙しくなったと答えられた。経営が危うくなり、料理人を一人解雇した代わりに厨房に立つことが増えたらしい。忙しいけどやりがいがあるし経験が積めるから、と言われた。せめてもJが厨房に集中できるようにと思い、弁当を毎日作らなくてもいいと何度か言ったのだが、Jは作り続けてくれた。   12月、Jはついに体育の授業で倒れた。学校と家業に加え、受験勉強で疲労したことが原因だった。保健室に見舞いに行くと、Jが暢気な顔をして明日食べたいもののはあるかなんて聞くので、思わず弁当なんてもう作らなくていい、ありがた迷惑だ、と怒鳴った。これ以上Jを働かせたくなかった。この言葉が今思えば悪かった。Jは迷惑なら早く言って欲しかった、と一言だけ体育祭の朝練で転んだ時と同じ顔で言った。  それ以降、Jと話していない。Jに避けられた上、冬休み、受験を迎え、話しかける機会がなかったからだ。気まずかったせいもある。卒業式の後に、家を訪ねたが、今は不在だの一点張りで話すらできなかった。元々同じ高校を志望していたのだが、直前でJが志望校のレベルを下げ、別々の高校に進学することになった。噂によると、Jは高校を中退し、調理師専門学校に入るため上京したらしい。  Jはこの記事を読んでいると思う。ずっと伝えたかったことがある。酷いことを言ったのを許してほしい。弁当を作ってくれてありがとう。本当に嬉しかった。特にあの玉子焼きの味が忘れられなくて、玉子焼きばかり食べている。玉子焼きばかり食べていたら、いつかお前の玉子焼きを見つけられるか、それより美味しい玉子焼きを食べてお前の味を忘れられるかと思ったからだ。でもお前の玉子焼きより美味しいものはきっと見つからない。またお前の玉子焼きが食べられたら、と思う。

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