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第5話

○●----------------------------------------------------●○ 3/7(月) 本日、『白い檻』のPV増加数が 5ビュー分多かったので、こちらを更新させていただきます。 動画を見てくださった方、ありがとうございます! 〈現在レース更新中〉 ↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、 その日更新する作品を決めさせていただいていますm ◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL) https://youtu.be/L_ejA7vBPxc ◆『白い檻』(閉鎖病棟BL) https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ ○●----------------------------------------------------●○ 閉鎖病棟の出入り口は一つ、廊下の突き当たりにある鉄製の二重扉だけだった。しかし、その外には警備スタッフが常駐している。 (ここは使えない。となると──) 私は反対側を見た。〇一号室のすぐ脇の壁には、非常用の小さな扉があった。 この扉は昨年、地方の精神病院が火災に見舞われた際、患者たちが病室に閉じこめられて焼死した事件を受けて、急遽設けられたものだった。緊急用のため、常に鍵はかかっていない。 なぜそんなことを自分が知っているのだろう。一瞬、疑問に思った。だが今は悩んでいる余裕はない。早くしないと、誰かに気づかれてしまう可能性がある。 私はそろそろと非常用扉に近づき、ドアを開けた。 ぶわりと夜の冷気が頬をなぶる。風には、ほのかなバラの香りが混じっていた。空を見上げる。墨で何回も染め上げたような空には、幾数もの星が瞬き、満月が静かに地上を見下ろしていた。 私は螺旋階段を慎重に降りる。地面に足をつけた時、詰めていた息が自然ともれた。 辺りを見回す。右。左。以前、病院内を見回った時、棟内の地図は全て頭に入れてあった。しかし、保護房までの行き方だけはわからなかった。 なんとなしに左に行ってみることにする。 しばらく歩くと、バラ園が見えてきた。どうやら正面玄関の方まで来てしまったらしい。慌てて引き返そうとして、足が止まる。 (あれは……?) 夜霧に咲くバラの中に、何かが見えた気がした。 背中だ。目をこらして見ると、一人の男がこちらに半分背を向け、茂みの中に立っているのが見えた。その視線は庭の先にある有刺鉄線にじっと注がれている。 私はその姿を、息を殺して見つめた。 夜の闇にさえも染めることのできない真黒い髪。高い鼻梁の端正な横顔。星空が反射する瞳。嵐の中でも倒れない樹のようにぴんと張られた背。 場所が場所でなければ、とても絵になる光景だった。 (……まさか、こんなところで会えるなんて) 「──誰だっ!?」 気配に気づいた〝王様〟が振り返る。そして私の姿を見つけるなり、ホッと安堵の息を吐く。 「なんだ、お前か……驚かさないでくれ」 予想外の柔らかい口調に、私は警戒で詰めていた息を吐いた。 「……どうして、こんなところに?」 まさか質問されるとは思っていなかったのか、〝王様〟は目を丸くした。 「それは、こっちのセリフだ。どうやって閉鎖病棟を抜け出したんだ」 「……〝眠り男〟が」 「〝眠り男〟? あぁ」 〝王様〟はそれだけでわかったようだ。クククと、尖った八重歯を見せて笑う。 「あいつは、ほんとに神出鬼没な男だな。夢遊病をおこしている時のあいつには、鍵なんてあってないようなもんだ。前なんて、保護房にまで来たこともあったぞ」 初めて見る快活な笑顔に、私は驚いた。自分でも気づかないうちに、一歩、二歩、と近づいていく。 「貴方は、どうやってここに……? 保護房にいたんじゃ……」 「無理矢理、抜け出してきた」 〝王様〟はしれっと言った。だが眉を顰めた私を見て、すぐに肩をそびやかす。 「嘘だよ。〝先生〟殿が特別に許してくれたんだ。これが、最後になるかもしれないから」 「最後……?」 〝王様〟は答えず、代わりに私を見た。 「で、お前はどこに行こうとしていたんだ?」 〝王様〟のところに。 なんて言えるはずもなかった。 私の言葉を静かに待つ間、〝王様〟は側にある純白のバラをそっと撫でていた。巧みで優しい〝王様〟の指先のもと、バラは喉を鳴らす猫のようにゆらゆらと揺れる。 私はその指先に目が吸い寄せられていたことに気がついて、慌てて視線を逸らした。 その時になって、ようやく気がついた。 〝王様〟は、最初に会った時よりやつれて見えた。頬はさらにこけ、目の下のくまも濃い。何より、あんなに苛烈に燃えていたはずの目の中の光が、今は霞んでいた。まるで今にも、闇の中に消えてしまいそうな……。 「外に出たい……?」 気がついたら尋ねていた。〝王様〟はハッと顔を上げ、再び足元を見た。 「……わからない。今はもう」 と、小さく笑う。それは初めに会った時に見せた、穏やかでいながら全てを諦めたような寂しげな笑顔と同じだった。 ことり。私の胸の中で、小さく何かが動いた気がした。 (もしかして、これが感情か?) とも思ったが、そう呼ぶにはあまりにも不確かで淡いものだった。 「どうした……?」 黙ってしまった私の顔を、〝王様〟が心配そうに覗き込んでくる。 「……いや、何でもない」 「そうか、ならいい。それより──」 ふっと〝王様〟の表情が険しいものに変わる。 「あれから、何か思い出せたことはあったか?」 何のことかと戸惑っていると、〝王様〟が強い口調で繰り返した。 「昔のことで、何か思い出せたことはあるかと聞いているんだ」 「いや、何も……」 「早くしろ。時間がない」 私は顔を上げ、一歩詰め寄った。 「時間がないって、どうゆうことなんだ。それに、どうして思い出さなくちゃいけない?」 「逃げるためだ。ここから。それには記憶が必要だ」 「逃げるって、何で逃げなきゃいけない? 〝先生〟は、記憶を思い出さなければ『外』にいけると言った」 「奴がそう言ったのか……?」 〝王様〟の声は驚きというよりも、怒りの方が勝っていた。私に向ける目も研がれた刀のように鋭い。 「いいか? 〝先生〟の言うことは信じるな。あれは、全て罠だ」 「罠……?」 どこかで、聞いたことがある台詞だった。 『〝王様〟の言うことは何一つ、信じてはいけない。全部、罠だから』 くらりと眩暈がした。突然、地面がふにゃふにゃのスポンジになってしまったかのようだ。額に手を当て、自分自身の身体を支える。 〝先生〟と〝王様〟。自分は一体、どちらの言うことを信じるべきなのか。 「これだけは言っておくぞ」 〝王様〟がグッと私の肩を掴んできた。 「近いうちに記憶をコントロールする治療が始まると思う。いいか? そこで出された薬は、絶対に飲むな。あれは意識を混濁させる。飲んだら最後、お前は、また〝人形〟に逆戻りだ。一生ここで飼われることになる」 不穏な言葉に、ハッと顔を上げる。 「まさか……そんなこと〝先生〟がするはず……」 「相変わらず〝先生〟の言いなりか。だが、俺を見ろ。俺自身がいい証拠だ」 〝王様〟は、指でトントンと自らの頭を叩いた。 「本意ではないとはいえ、 〝先生〟に従ってきた結果が、これだ。俺の神経は、もはや風前の灯火。時折、自分が何者なのかわからなくなる。こうなりたくなければ、絶対に薬は飲むな。いいな?」 力強かった〝王様〟の口調が、ふっと吐息ほどにか細くなる。 「……本当は、俺がついて守ってやれればいいんだが、そうもいかなくなった……明日からアレが始まる。そうすれば俺は、いつまで自分の正気を保てるかわからない。すぐにでもお前のことや、自分のことさえも忘れてしまうかもしれない。だから──」 顔を上げた〝王様〟の目には、再び意志の炎が灯っていた。 「今のうちに言っておく。記憶を取り戻せ。そして、ここから逃げるんだ。俺が正気を保っている間なら、何でも協力してやるから」 ぶるぶると喉が震え、言葉が出てくるまでにしばらく時間がかかった。 「貴方は……どうして、そこまで……?」 「するのかって? そうだな……あんなことがあって二ヶ月——いや俺がここに来てからずっと、何とか正気を保ってこられたのは、お前がいてくれたおかげだ。だから、俺はお前のためなら何でもする」 失望と恐怖の風が、空っぽの私の身体の中に吹き荒れた。 違う。〝王様〟が言っているのは自分(わたし)ではない。彼が本当に見ているのは——。 (……〝人形〟だ。〝王様〟は私の中の〝人形〟を見ているのだ) 自覚した途端、胃の中に冷たいのか熱いのかわからない、どろりとしたものが流れ込んできた。私はくらりと後ろに下がり、自分自身の身体を抱き締めた。 「どうした……? 気分が悪いのか?」 〝王様〟がそっと労るように私の肩に触れる。だが、その労りは私に向けられたものではないことはよくわかっていた。 「お願いだっ、そんな目で見ないでくれっ……!」 我慢しきれなくなり、私は相手の手を振り払った。一歩下がり、だだをこねる子どものように首を振る。 「貴方の言っているのは、私じゃない! 私じゃないんだっ……!」 「何を言っている。お前だ。たとえ記憶を無くそうとも、お前に変りは無い」 躊躇いのない〝王様〟の声が、さらに私の神経をけばだたせる。 「どうして、そう言える!? 私は何も覚えていないし、何も知らない。貴方のことだって、何も! それなのに、どうして私だと言えるんだっ?」 「俺が覚えているからだ。お前のことなら、全部」 「……ッ」 言いしれぬ苛立ちともどかしさが、耳元でゴオゴオと音をたてる。 今なら確信できる。これは感情だ。しかも、良くない種類の。何という名前かは知らない。でもそのあまりの激しさに、自分自身さえコントロールすることが出来なかった。 「覚えているって……? でも、〝先生〟が言ってた。全部、貴方の妄想だって」 「妄想、だと?」 〝王様〟はピクリと頬を震わせたが、すぐにそれは自嘲の笑みに変わる。長い睫が、頬にくっきりとした影をつくる。 「……そうだな、そうかもしれない。俺はもうとっくの昔に狂っていて、あいつ──〝人形〟も俺が勝手に作り出した妄想だったのかも。この地獄のような現実を生き延びるための、唯一の救いとして。……でも、それでもいい。俺は、俺の信じたものに殉じるだけだ。俺が信じたあいつを──お前を、必ず守り抜く」 「……ッ!」 限界だった。 これ以上、何も聞きたくない。 結局、〝王様〟にとって、自分はただの身代わりでしかないのだ。彼が守ろうとしているものも、殉じようとするまで深く想っているものも、自分ではない。 怒りとともに、虚しさがこみ上げてきた。 「……もう、いい。貴方の言っていることは信じられない」 踵を返そうとすると、〝王様〟が腕を掴んできた。 「なら〝先生〟を信じるのか?」 「それ以前の問題だ。だって貴方は……人殺しなんだろう?」 初めて、〝王様〟の顔に動揺が走る。 「……どうして、それを?」 〝王様〟は否定しなかった。私は、なぜか裏切られたような気分になった。 「わかった。やっぱり貴方のことは信用できない」 サッと背中を向けると、〝王様〟が、 「待ってくれ!」 と前に立ちふさがった。私の肩を掴み、揺さぶってくる。 「俺のことは信じなくていい。だけど、せめてお前だけは、ここから逃げてくれ!」 「もうやめてくれっ……!」 〝王様〟の腕を振りほどき、両手で耳を塞いだ。 「これ以上、私を惑わさないでくれっ! ここじゃ、みんながみんな、好き勝手なことを言う。一体、私に何をさせたいんだ! 〝人形〟のことだってそうだ! 〝人形〟はどうして自殺などした!? おかしいだろう!? 感情のない人間が自殺なんてするはずない。ましてや、気まぐれでなんて……──いや」 ある恐ろしい考えが頭をよぎった。何度打ち払っても、それは黒い染みのように広がっていく。 「もしかして、〝人形〟は貴方のせいで自殺したんじゃないか? いや、もしかすると、貴方が自殺に見せかけて殺したんじゃ……」 何を口走っているのか、自分でもわからなかった。ただ今は、〝王様〟を貶めてやりたい。その一心だった。 「俺が殺した……?」 ぞくりとするほど冷たい声が、夜気に虚ろに響いた。 「俺が、あいつを殺しただと……? ……ふはははっ!」 突然〝王様〟は顔を覆い、背中を震わせて笑い始めた。指の隙間から見える瞳には、月光が反射し、狂気の色に爛々と輝いている。 私は本能的な恐怖を感じて、その場から離れようとした。しかし、グンと腕を引かれ、そのままバラの茂みの中に押し倒されてしまう。 「……ッ」 全身にバラの棘の痛みを感じたが、目の前の光景を見て、それは幻のように霧散してしまう。 「ふははっ……!」 私の上の馬乗りになった〝王様〟は哄笑を上げた。 「そうだ! その通りだっ! 俺があいつを殺したっ! 俺が、あいつを壊したんだっ!」 月に向かって吠える姿は、まさに獣だった。先ほどまで寂しげに笑っていた面影はどこにもない。 やはり〝先生〟は正しかったのだ。 ——〝王様〟は狂っている。 なのに自分は、彼の罠にまんまとはまり、自ら近づいていってしまった。 (このまま殺されるのか? 〝人形〟のように……?) ドクドクと、身体中の血管が破裂しそうなほど脈動していた。警鐘のように、目の奥がチカチカと赤く点滅する。 ビリリと布が破れる高い音が、夜霧を引き裂いた。驚き見ると、〝王様〟が私のネルのシャツを引き裂いていた。 「!? な、何をっ──」 慌てて手を伸ばしたが、逆に手首を掴まれ、頭の上に捻り上げられてしまう。 「くくく……俺はどうして、今まで気づかなかったんだ!」 〝王様〟が高らかに吼えた。 「もっと早くこうしていれば良かった! 頭で覚えていなくとも、身体が覚えているかもしれないのに!」 破れたシャツの間から、〝王様〟の手が侵入してくる。今が夏だと言うことが信じられないくらいに、それは冷たい手だった。

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