10 / 23
家令・真田の一日
※周焔邸の執事、真田さんの日常です。
真田の朝は早い。
起床は午前の四時五十分きっかりだ。
目覚ましのアラームは必要としない。体内時計がまるで機械のように毎朝その時刻になると真田の双眸に呼び掛けて開くのだ。
それはどんな天候の日も変わらない。曇天の日も嵐の日も、そして清々しいほどの晴れの日も――。
洗顔、厠、着替えと一通りの身支度を整えて一番最初にするのはベッドサイドのアクセサリートレーにある懐中時計を身につけることだ。つい先頃に周と冰、そして鐘崎夫妻から贈られた真田の宝物である。
この懐中時計を贈られて以来、真田は十九世紀頃を題材にした洋画にハマっている。きっかけは当時の紳士たちがどんなふうに懐中時計を身につけて、どんなふうに扱うのかということに興味を覚えたかららしい。今ではすっかり扱い方も板について、いつもの黒燕尾がより一層似合う老紳士ぶりである。
そんな真田が自室を出てまず行うのがダイニングのカーテンを開けること。ここから家令としての一日が始まるのだ。
「ほほ、本日も良いお天気で!」
大パノラマの窓から望む東京のビル群に朝日が反射してキラキラと輝きを見せている。テーブルを拭き、今日の生花を飾り、主人らの朝食の為に食器やカトラリーをセットする。その頃になると調理場からシェフがやって来て、その日一日分のメニューの確認を行う。まあ前日には既に何を作るかおおよそ決めてあるのだが、主人らの体調や急な来客などによって日々調整が必要となるからだ。
「本日はだいぶん冷え込んで参りましたからな。朝はこのメニューに温かいスープを追加していただけますかな」
「承知しました。今朝の穀類はパン食をご準備しておりますので、スープはコーンかポテトのポタージュなどいかがでしょう」
「よろしいですな。坊っちゃまも冰さんもポタージュはお好きですからな」
「では早速に準備を」
「お願いいたしますぞ」
そうして食器にスープ用の皿を付け加える。それと同時に朝一番のお茶の用意だ。
平日の朝食は朝七時からと決まっているのだが、六時半を過ぎた頃には主人らも起きてきてダイニングに顔を出すので、厨房から料理が上がってくるまでの間にモーニングティーを淹れるのも真田のお役目なのだ。
「おはようございます、真田さん! うわぁ、いい香り……!」
ダイニングいっぱいに広がる紅茶の香りに冰が気持ちの良さそうな表情を見せてくれる。
「今日はベルガモットだろう?」
続いて顔を出した主人の周が得意げな笑みを見せる。『おはよう』と言う代わりの、これが彼特有の朝の挨拶なのだ。
「おや、坊っちゃま! 正解でございますぞ。今朝はだいぶん冷え込んで参りましたからな。少しお砂糖を溶かして召し上がられたら精がつくかと存じますぞ」
ピカピカに磨かれた銀のシュガーポットを二人の目の前に差し出して微笑む。紅茶の椀の側に添えた小さな皿には一口大のクッキー。
「わ! 美味しそうー!」
ベルガモットティーに合わせて今朝は紅茶の茶葉を練り込んだクッキーだ。熱々のティーカップをすすりながら満面の笑顔で小さなクッキーを口に放り込む。そんな冰の可愛らしい仕草の傍らで、
「どれ、俺もひとついただくとするか」
周もまた、不敵な笑みを携えながらクイと長い指先でクッキーをつまむ。
「今日のお花はまたすごく立派で大きいですね! ゴージャスで綺麗ー!」
先程生けたばかりの花に気がついて、冰が大きな瞳をクリクリとさせながら花の香りをかいでいる。
「皇帝ダリアでございますよ。ちょうど咲き始める時期でございましてな」
「皇帝ダリアっていうんですか? すごく豪華で立派なお花ですね!」
なんだか白龍みたいねと言って冰がニコニコと夫を見つめている。そんな夫婦の幸せそうな様子を見ているのが真田の幸せでもあるのだった。
その後、シェフから朝食が出来上がったとの連絡が入ると、銀のワゴンを携えてサーバー真田の出番だ。
「わぁーい、コーンポタージュだぁ! うーん、美味しいー!」
先程追加で考えたスープに冰が感嘆の声を上げてくれる。
「もう十一月も半ばを過ぎたか。早えもんだな」
周もまたポタージュを含みながら満足そうに舌鼓を打っては瞳を細める。
「もうあと十日もすれば師走でございますからな。今年は一日からクリスマスツリーを出そうと思っておりますぞ」
「クリスマス! もうそんな時期ですねぇ」
ツリーは社屋中庭にある本物のもみの木の他に、このダイニング用に少し小さな物も用意してある。それら季節を感じる飾り物を手配するのも真田の役なのだ。
「真田さん、いつもお心遣いありがとうございます!」
そんなふうに言ってくれる冰の言葉ひとつひとつがやり甲斐にも繋がっている。
「さて、冰。シャワー浴びて行くとするか」
「うん! 真田さん、今朝も美味しいお食事ごちそうさまでした!」
夫婦仲良く自室に戻って身支度を整える。しばしの後、出勤のスーツ姿でダイニングへと戻って来た二人を送り出して一呼吸。自身もまた軽く食事を摂って、掃除に洗濯、アイロンなどなど。その後は晩御飯のメニューの打ち合わせと食材の買い出しの指示。その他にも応接室やボールルームの点検や掃除と、やることは山積みだ。
今日もまた、忙しくもやり甲斐のある家令・真田の清々しい一日が始まるのだった。
家令・真田の一日 - FIN -
ともだちにシェアしよう!