1 / 1
第1話
「はーい、いま出るね」
オートロックを二回潜り抜け、7階の端の部屋のインターフォンを押す。
ガチャリと開いたドアから、世界一オレ好みの顔が現れた。
世界一好きだから、好みの顔なのか、好みの顔だから世界一好きなのか、タマゴが先か鶏が先か。
もう分からないほどオレは彼に恋してる。
「いらっしゃい」
まるで恋人を招き入れた時のように、甘く低くセクシーな声。垂れ目の目尻に皺が寄る笑い方。
襟足が、出会った頃より少し伸びて、ぴょんと跳ねている。指摘したら、最近不精をして床屋に行けてないんだと照れていた。そう言えば出会った頃よりだいぶ前髪も伸びた気がする。無造作な感じがまた男の色気が増して好きだ。
ドアを開けた時に浮き出るボコッとした手首の血管の感じも好きだ。俺にはどこのブランドのものなんて分からない高そうな時計がよく似合ってる。仕事が出来そうな手だな、といつも思う。
平均的な身長であるオレより頭一個分飛びでた背。Gパンにお洒落で高そうなロンTを着てる事が多い。なんの仕事をしてるか聞いた時はマーケティング関係だと言っていた。いまはほとんど在宅でリモートワークなんだとか、色々説明してくれたけど馬鹿なオレにはよく分からなかった。でも、なんかカッコいい。好きだ。
オレはそんな彼に、花束を手渡す。
プロポーズのように片足をつきながら、好きです、と叫びたいのを我慢しながらいつもと同じ台詞を口にした。
「毎度ありがとうございます。フラワーショップMiyaです」
「ははっ、それ毎回言うね」
「一応……」
照れ笑いをして誤魔化すオレに、卓人さんは毎週優しく声を掛けてくれる。
「チリくんは律儀だな」
チリくんと言うのは、初めての卓人さんがうちのお店に来た時、『宮本千里』と書かれた俺の名札を見て「ミヤモトチリくん?」と間違えて読んだのがそのまま定着した。
卓人さんの低い声でチリくんと呼ばれるたびに、腰骨がゾクゾク震える。
オレは熱い溜息をそっと飲み込んで、ふざけ半分本音半分で答えた。
「だって忘れちゃってるかなと思って」
「こんな可愛い子に毎週花束を貰って忘れるわけないじゃない。今日の花は、ピンクのチューリップと……」
「ガーベラとリューココリスっす。春っぽいかなって」
「ありがとう。チリくんみたいで可愛いね」
オレみたいって、どういう事だろう。
元カレからは、愛嬌はある。という評価は貰ったことはあるが、顔のことで褒められたことなんて一度もない。
平凡な顔が嫌で、せめて目立つように金髪に近い茶髪に染めてるけど、友達からは馬鹿っぽいと専ら不評だ。
卓人さんの方を伺えば、それこそ春みたいな穏やかな瞳と目が合った。なんでもいい。卓人さんに可愛いと言われたんだ。嬉しくないわけがない。
勝手にポッポっと赤くなる頬を誤魔化すように、オレはいつものように尋ねた。
「リュ、リューココリスは葉が多いので、少し取っちゃっていいんですけど……オレ、やりますか?」
「うん。やってくれると助かるな。どうぞ入って」
促されて、遠慮がちにスニーカーを脱ぎ廊下を抜けリビングに入る。そこは、いつものように白い霧に覆われたように煙っていた。ガラステーブルの上に置いてあるアルミ製の灰皿には、吸いかけの煙草からまだ紫煙が糸のように一本線でのぼっている。
卓人さんは重度のヘビースモーカーだ。
部屋中から卓人さんの香りがして、まるで卓人さんに包まれているような感覚を覚えて思わずぶるりと身体を震わせた。この部屋に入る時はいつもこうなる。興奮と、こんなに吸わなきゃいられない卓人さんへの焦燥。
白と黒を基調とした部屋は、シンプルと言えば聞こえはいいが、物が少なく雑然としている。
テレビボードの横には、部屋にはそぐわない重厚な仏壇が置かれ、そこだけ異質な存在感を放っていた。
仏壇には茶髪でソフトモヒカンのピアスをした二十代後半くらいの男性の写真が飾られていて、咥え煙草で笑っている。写真を撮った人物と親密な関係なのが伺えた。
その両端に、切り花が入った花瓶が二つ。
生活感があまりない無機質な部屋の中、仏壇に飾られた切り花だけが生の匂いを感じるのは何とも奇妙だな、と密かにいつも思う。
普段と同じように手を合わせてから、花瓶の花を差し替えた。仏花にしては華やかなのは、卓人さんのリクエストだ。線香はしないようにとも言われている。
長さと葉の数を調整して、一番綺麗に見える角度で卓人さんに花瓶を見せた。
「どうでしょう?」
「いいね、華やかだ」
後ろで腕を組んで眺めていた卓人さんが和かに微笑んだ。組んだ腕の左手薬指には、銀色の指輪が光っている。仏壇の写真は卓人さんの亡くなったパートナーだ。
オレは週に一回、仏壇用の花束を届けに来ている。
始まりはオレが高校卒業して、両親が経営している花屋でアルバイトをして3ヶ月くらいのとき。
店先でぼんやりと花を眺める卓人さんに、オレが一目惚れして声を掛けたのがきっかけだ。
「花が好きなんですか?」と、問いかけると戸惑いながらも「好きというか……眺めている間は何も考えないでいられるから」と陰のある微笑みで答えた卓人さんにハートを撃ち抜かれたのだ。
オレはなんとか元気を出して貰いたくて、夢中で話しかけた。卓人さんも楽しそうにしてくれて、その日はオレが作った花束を買って帰ってくれた。
それから週に一回ほど店に寄り、花束を買いに来てくれるようになったのだ。
その指に結婚指輪がはめてあるのはすぐ気付いた。
同時に、なんとなくもう相手の方は亡くなっているんじゃないかというのも、勘づいた。買っていく花が、その人のためのものなんじゃないかということも──。
長年両親の仕事を見ていたので、そういうことは何となく分かる。
我ながら酷い話だと思うけど、ただでさえドタイプの顔の卓人さんだったが、影のある寂しげな色気にめちゃくちゃ惹かれた。
和やかだけど、どことなく荒んだ雰囲気が垣間見える卓人さんにどうしようもなく庇護欲をくすぐられ、頼まれもしないのに配達をしますよ! と俺の方から言い出した。
両親はびっくりして卓人さんに謝ってたけど、卓人さんは「助かるよ」と快く引き受けてくれた。
それからオレは毎週金曜日に、卓人さんのマンションまで花を届けに来ている。
はじめてお邪魔した時、パートナーが男性だった事を知り、正直密かに喜んだ。オレにもチャンスがあるんじゃないかと、当然思ったわけだ。
でも、花を届けるたびに、卓人さんの亡きパートナーへの想いの深さを思い知らされる一方だ。
仏壇を眩しそうに眺める卓人さんの瞳にツキンと胸を痛めながら、先週持ってきたもので、まだ元気な花を一輪挿しに入れてガラステーブルの上に置いた。
花瓶も一輪挿しも両方俺の家から持って来たものだ。最初は、ジョッキ瓶に花が飾ってあって驚いた。
ガラステーブルの上には灰皿の他に食べかけのピザが先客にいた。これもよくある事だ。
元々なのか、パートナーが亡くなったからなのか、卓人さんは生活に無頓着なところがある。
オレがご飯を作ってあげたい! と思ったところで、いつもと違う点があることに気が付いた。
「お皿が、二つ……?」
そもそも、いつもはお皿なんて出さないで宅配の段ボールから直接食べているのに。
びっくりしすぎて思わず呟いてしまった言葉に、卓人さんが反応した。
「あぁ、さっきまでピザ屋の子が遊びに来てたんだ。いつもお世話になってるから、君んとこのピザ一緒に食べる?って聞いたら喜んでくれてね」
──は?
「それがどうかした?」
どうかしたどころの話ではない。何もかもどうかしてる。
ピザ屋とは盲点だった。
まさかピザ屋の野郎と一緒にピザを食べるほど仲良くなってるとは。卓人さんはピザが好きって言ってたし、そいつはもしかしてオレよりこの家に出入りしてるのかもしれない。
あまりのショックに何と答えればいいか分からない。でも、とにかく何か答えないと。卓人さんに変に思われてしまう。
「い、いやぁ、なんか、オレもしかしてお邪魔しちゃったかなぁって。ピザ屋ともっと色々したかったんじゃないかなって」
色々ってなんだよ。どんな妄想してんだよ、自分。怪しすぎだろ。
我ながらマイナス百点の答えだったが、卓人さんは特に怪しまず快活に笑ってくれた。
「いやいや、別にピザを奢っただけだしね。それに、チリ君に会える方が嬉しいから」
卓人さんの二億点満点の答えに、オレの心は簡単に空の上まで浮上しまくってしまった。やっぱり好きだ。大好きだ。
そんな浮かれまくったオレに、さらに浮かれるような提案をされる。
「もし良かったら、チリ君も今度うちでピザ食べない?いつものお礼もしたいしさ」
「え、絶対行きます」
食い気味に答えてしまい、卓人さんは一瞬びっくりした顔をした後大笑いした。
恥ずかしくて居た堪れなかったけど、大口を開けて笑う卓人さんなんて貴重で、これはこれでラッキーだ。
ひとしきり笑った後、じゃあ良かった、と頬を緩ませ、若干笑みを含んだ声で卓人さんが言った。
「そしたら、早速明日の夜なんてどう? それとも急すぎるかな?」
「全然大丈夫です」
またしても食い気味で答えてしまったオレに、卓人さんが大笑いしたのは言うまでもない──。
※※※
オートロックを二回潜り抜け、7階の端の部屋のインターフォンを押す。手が震えて、心なしかいつもより長めに押してしまった気がする。
「は〜い、いま出るねぇ」
なんとなく、いつもより艶を含んでる声に聞こえるのは、普段は昼しか来ない場所に夜に来てしまったというオレの勝手な興奮がプラスアルファの要素で作用しているだけだろうか。
ドキドキしながら待っていると、ガチャリと開いたドアから、世界一オレ好みの顔が現れる。
(あ、あれ? なんか、やっぱり、ちょっと雰囲気違う?)
第二ボタンまで開いたコットンシャツに、裾の破れたGパン、それに咥え煙草で卓人さんは現れた。
今まで出迎えてくれた時は、吸っていても必ず灰皿に置いてきてたのに。
卓人さんはドアにもたれかかったまま、無言で煙草を燻らせる。な、なんか見られている気がする!
「……髪、濡れてる。シャワー浴びてきた?」
「あ……は、はい。仕事終わりで、汗臭いかなって」
しどろもどろ必死に言い訳したが、変な期待が滲み出てしまっているだろうか。
可能性はゼロじゃないだろうと思い、正直、お尻の中まで洗ってきた。
「ふーん」
細められた瞳は、全てお見通しだぞ、と言っているように見える。
もしかして、めちゃくちゃ恥ずい事をしてきてしまったんではないだろうかと後悔したところで、すっと襟足を撫でられた。
「……っ!」
「風邪ひかないでね」
少しでも誘惑したいという気持ちがダダ漏れの、鎖骨がガッツリ開いた黒のカットソーを着てきてしまったせいだろうか。卓人さんの長い指が少し触れただけで肌が粟立ち、首から火が噴き出るんじゃいかと思うほど熱くなった。
実際赤くなってるかもしれない、と思いながら触れられた部分をさすっていると、「おいで」、と煙草を咥えたまま肩を組まれる。
明らかにいつもより距離が近い。
うるさい心臓の音が隣まで聞こえないかと、ドキドキしながら部屋に入る。中はいつも以上に白く靄が掛かったように感じた。
退廃的な香りの中に、ふと、いつもと違う香りを感じ、思いきって聞いてみる。
「卓人さん、もしかして、お酒呑んでます?」
煙草に混じって仄かにアルコールの匂いも感じたのだ。
「ちょっとだけね。俺、ほとんど呑めないんだけど、今日はチリ君が来て気分がいいから一本だけ開けてみた」
ふっと鼻で笑う卓人さんはいつも通り朗らかだが、若干の色気を感じるのは、やっぱりアルコールが入っているからだろうか……。
テーブルの上には既にピザが並んでいる。例のピザ野郎が運んだんだろうか、とモヤモヤしたが、それ以上に気になる点があった。
(今日は仏壇の扉が閉まってる……)
いつもは開けっぱなしの仏壇が、今日はぴたりと閉じていた。
本来なら、手を合わせてから部屋に上がらせて貰おうと思っていたので戸惑っていると、卓人さんにホラホラとソファに座るよう促される。
(いいのかな?)
気にしないならいいか。なにより卓人さんが折角隣に座ってるのに立つのも勿体ない。
そう思ってチラリと横を覗き見ると、卓人さんは煙草を片手に持ったまま、ビールをゴクリと飲んで「不味い……」と呟いた。
「不味いんですか?」
思わず聞くと、卓人さんは眉を顰める。
「不味い。なんでこんなもんが、美味しく感じるのか分からない。チリ君は飲む?」
「いえ……一応まだ未成年なんで」
「あぁ、じゃあ飲まない方がいいよ。一生」
一生なんて。ずいぶん強い言葉だ。嫌いなのに、なんで飲むんだろう。
ビールの空き缶は辺りに見当たらず、これしか飲んでないようだ。本当に苦手なんだろう。
アルコールを飲んで様子が違う卓人さんに、少しびっくりしたけど、なんだがいつもより距離が近く感じて嬉しい。
そわそわと落ち着かないオレに、卓人さんがクスリと笑って床に置いてあった常温のコーラを渡してきた。
「じゃあ、はい。チリ君も、温くて不味いコーラ」
「えっ、このまま飲むんですか?」
「だって、俺だけ不味いもの飲むなんて不平等だろ?」
「なんですか、それぇ」
わざと情けない声を出して見せれば、卓人さんはケラケラと笑った。いつもより機嫌が良さそうな卓人さんに、こっちまで声を出して笑ってしまう。
「じゃあ、はい、かんぱ〜い」
ペットボトルのままの常温のコーラは開ければ当然しゅわしゅわと溢れて、急いで口を付けてもテーブルにこぼれてしまう。それを見てまた二人で大笑いした。
卓人さんがそのへんに置いてあった洗濯物らしきものでいい加減に拭く。
「テレビでも観ようか」
「いいですね」
本音を言えば、テレビなんて観ないでこうやってずっと二人でお喋りしていたかった。
でも、卓人さんがテレビを観たいなら、オレはそれに従うまでだ。
「ピザを食べるときって、くだらないアメリカのコメディ映画観たくならない?」
「あっ、それ、分かりますっ」
だからコーラを用意してくれたんだな。と妙に納得した。アメリカの映画といえばコーラに決まっている。
「なんか、正しいピザの食べ方ですね」
「そうそう。頭空っぽになる感じがして好き」
そう言うと、早速テレビの方を向いてしまった。
映画が好きなんだなぁ、と思いながらピザを一枚貰う。それに、続いて卓人さんも食べ始める。
暫くもぐもぐと二人でピザを食べながらコメディ映画を観ていたが、オレは正直言って段々それどころでは無くなってしまった。
(ち、近い……っ!)
卓人さんがずっとオレの肩を抱いているのだ。左手で俺の肩を抱き、右手でピザを食べ、視線はアメリカのコメディ映画だ。
たまにテレビの中でアメリカ人が大袈裟なジェスチャーをすると、ハハハッと笑ったりしている。
(こっちは、それどころじゃないのに……っ)
はっきり言って映画の内容なんか全く入ってこない。
卓人さんの大きな手の熱い感触、アルコールと煙草の混ざった匂い、全てが性的興奮を催してしまいそうで、ぶっちゃけ若干勃ちそうでやばい。
なのに卓人さんときたら、どんどんこちらに体重を預けて、しまいには卓人さんの左手はオレの胸まで届くほどになった。
それこそアメリカ人もびっくりのガッツリ肩組みである。
思わずもじもじと内腿を擦ると、何故かオレの胸元もゴソゴソと動いた。
(──え?)
いま、乳首弄られた?
まさかな。たまたま、当たっただけ?
気のせいだと結論づけ、視線をテレビに戻したところで、今度はTシャツの上から明らかに左乳首をきゅっと摘まれた。
「な……っ」
びっくりして視線を落とせば、カットソーの隙間から手を入れられ、直接乳首をコリコリと弄られている。
「あっ、ウソ……ッ、えっ……」
もしかしてこれは、俺が期待していた事が起こってしまうんだろうか。
そう思い、横にいる卓人さんを伺う。
欲情した瞳でオレを見てるんだって、そう思いながら……。
ところが、卓人さんは映画を観ながら笑っていた。
「え……? は……っ? ちょっ……んっ!」
頭の中がクエッションマークでいっぱいになりながら、卓人さんに声を掛けようとするが、悪戯な指は構う事なくオレの乳首を弄り倒す。
引っ張られたり、クリクリと捏ねられたり、絶妙なタッチで乳首を触られ、勝手に身体が熱を帯びてきてしまった。
(ただでさえ、卓人さんの距離が近いだけでヤバいのに!)
でも、こんなのは、あまりに酷くないか!?
「ちょっ、卓人さん! 卓人さんってば!」
大声で抗議の声を上げると、流石に卓人さんもこちらを見た。なんと信じられない事に右手にはピザを持っている。
「どうしたの? チリ君って、映画静かに観らんない人?」
「映画って! そうじゃなくて! オ、オレの乳首……っ」
なんて言っていいか分からず口籠るオレに、卓人さんが面倒くさそうに首を傾げた。
いや、だって、なんで言えばいいんだ?
乳首を触るの止めろって?
いや、むしろ触っては欲しいんだけど。そうじゃなくて……。
「あ、もしかして、ちゃんと触って欲しいの?」
本当にいま気が付いた、と言うように眉を上げる卓人さんに、オレは思いきり頷いた。
「もう、しょうがないなぁ……じゃあ、ちゃんと両方の乳首弄ってあげるね」
右手に持っていたピザを、大きな口でバグりと食べると、その手を拭きもしないでオレの服の裾に入れてきた。
「……えっ?」
驚いている間に、後ろから抱え込むようにして、裾から入れられた両手で、両方の乳首を思いきり引っ張られた。
「っひぃん!」
「……えっろい、乳首。感じてんじゃん」
低い声で呟かれ、そんな事ないと、反論しようとするが、ぐりぐりと乳首を捏ねられるとどうしても身体がビクビクと感じてしまった。
隙間から見える乳首は、ピザの油でテカテカ光って、酷く安っぽい身体に見えた。
乳首の先に爪をたてられ、溜まらずガクンと身体を反らせると、視界の端で卓人さんが映画を観ながら笑っているのが目に入った。
(う……そだろ……)
思わず凝視すると、視線に気付いた卓人さんと目が合う。
「なに?」
「なにって……」
決して冷たい態度なわけじゃない。寧ろ、口には笑みを讃えている。
でも、その瞳は、熱を帯びているどころが、どこまでも冷徹な光を含んでいる。
卓人さんが、なんでこんな事をするのかオレには全く分からない。
「な、なんで……」
「なんで、乳首弄るのかって?」
ズバリと言われ、曖昧に頷くことしか出来ない。オレが聞きたいのは、乳首を弄られた事よりも、卓人さんが何故|そ《・》|ん《・》|な《・》感じなのかだけど、なんて言っていいのかわからず結局口をつぐんだ。
「そりゃ、チリ君がオレとえっちしたくてしたくて、しょうがないって顔で来たからでしょ」
「えっ」
「カマトトぶるなよ。シャワーまで浴びて。尻穴ちゃんと解してきた? 見てやるよ」
突然、両手首を纏めて、卓人さんのポケットに入っていた紐のようなもので縛られた。
「ちょっ」
あまりのことに頭の回転がついて行かない。
「あんないい加減に乳首弄られてんのに、感じてんだもん。チリ君Mの才能あるよ。このまま縛っといてやるね」
身動きが取れないままソファに押し倒され、Gパンを下着ごと降ろされる。
「ほら、やっぱり才能ある」
何故かと言えば、おれのちんこがビンビンに勃起していたからだ。
自分でもなんで萎えないのか分からない。
結構酷いことされてるのに、どうしてオレはこんなめちゃくちゃ興奮してるんだろう。
「すっげ柔らかい……どんだけ準備してんだよ」
窄まりにいきなりを突っ込まれても、オレのちんこはバキバキに勃起したままだった。待ってましたとばかりに、卓人さんの指をきゅんきゅん締め付けているのが自分でも分かる。
「じゃあ、突っ込んであげるね」
そう言って卓人さんはピザについていたオリーブオイルを手に取った。
まさか、それがローション代わりなんだろうか。
「あ、ソファが汚れんのは嫌だな」
オレの勘は当たったけど、思っていたよりもっと酷かった。ピザが入っていた段ボールを俺の尻の下に置く。ねちょっとしたのは、多分チーズだ。
おざなりに、いきなり三本の指でオイルを尻の中に塗り込まれる。解すなんて行為は殆どないまま、卓人さんが俺の両脚を掴んで、おもむろに身体を進めた。
覗き見た卓人さんは、俺と同じくらいバキバキに勃起してた。
気のない風な卓人さんも、オレと同じくらい興奮しているんだと思うと、腰骨がゾクリと震える。
「あ……」
卓人さんのものが窄まりに充てがわれる。とうとう入ってくるんだ。窄まりは期待に震えたが、結果、予想と異なる衝撃に思いきり引き攣った。
「──ッんあぁァ!?」
のっけから、思いきり奥に穿たれた。
喉からちんこが出てくるんじゃないかと思うほどの衝撃に、あられもない声が出る。
「……ッぁぁッ! ぃあァァッ!!」
続けて泡立つほど何度も何度も腰を打ちつけられた。
目から火花が飛び散るほど衝撃が身体に走る。なんとか卓人さんに身体を合わせようと息を吸おうとしたところに、また打ち付けられ、酸欠のように頭がクラクラした。
「チリ君、奥で感じられるんだ。すごいね」
開かれてはいけないところまで、抉られて、吐き気がするほどの快感が身体に走った。気付けばビュービューとちんこから何か出てる。
(これ、絶対ピザ屋の段ボールじゃ防げない量だ……)
朦朧とした意識の中で、我ながらどうでもいい心配をしたが、案の定卓人さんは機嫌が悪そうに眉を顰めた。
「あーあ、ソファ汚れちゃったよ。仕方ない子だね。罰として、俺がイクまで、もうイクなよ」
そう言って、俺のちんこの根元に紐を巻いてきた。この紐何本あるんだろう。イクもなにも、もう出ちゃったから、そんなフニャチン縛られても困る……と思ったけど、抜かずにガツガツいいところを掘られれば、あっという間にまた勃起してしまった。
「あ、ァァッ!……とって!とってぇぇぇぇ」
「だーめ。俺がイクまで頑張りな。まぁ、俺、遅漏だけどね」
そう言って容赦なくオレの中を抉るように穿ち続ける。
「あ──っ!……ぁぁんッ!」
もう声も出なくなってきた。感じ過ぎて怖いなんて事がある事を初めて知った。
貫いてくるモノは驚くほど熱いのに、相変わらず、冷めた目で、卓人さんがオレを見下ろしている。
「チリ君、感じやすいねぇ。健康なんだねぇ……」
そして気付いた。冷めた……というよりも、これは憎悪だ。卓人さんはオレを憎んでる。でもなんで?
狂わんばかりの情欲の中で、卓人さんの瞳だけが静かな憎悪を湛えていた。
※※※
「訴えたかったら、訴えていーよ」
嵐のようなセックスの後、卓人さんは煙草をふかしながらそう呟いた。
なにを、とは言わないでも分かった。オレの身体は縛られた跡だらけで、下半身の感覚は殆どない。怖くて見てないけど、多分出血もしてる気がする。
「……そんなこと、しませんよ」
思ったよりもガサついた声で、自分でびっくりする。そんなオレの返答に卓人さんがつまらそうに答えた。
「みんな、そう言うんだよねぇ。なんでかな」
ジヒブカイヨネ、と、どうでも良さそうに付け足す。
オレ以外にも同じことをされた人間がいる事には今更驚かなかった。
たぶん、ピザ屋の宅配野郎とも寝たんだろう。
最低な気分だ。だけど、騙されたという気分にもならない。
怒りをぶつけたい相手が、既に死にそうな顔をしていれば怒鳴る気も起きないもんだ。多分ほかの人間もそうだったのだろう。
オレはぼんやりと紫煙を眺めながら、なんとなく聞いてみた。
「煙草……」
「ん?」
「卓人さんが煙草を吸うのは、お線香の代わりですか?」
なんでこんなタイミングで聞くんだろう、と自分でも不思議に思うが、ずっと聞いてみたかったことだった。
聞くなら、今しかない。多分今じゃなきゃ、朗らかに笑ってはぐらかされてしまうだろう。
酷いことをされて、卓人さんは、多分オレのことが嫌いで、でも、今なら本音で喋ってくれそうな予感がした。
「……そんな大層なもんじゃないけど、アイツが線香は焚くなって言ってたんだ。辛気臭いから嫌だって」
卓人さんから、はじめて『アイツ』という言葉を聞いてどきりと心臓が跳ねる。
『アイツ』とは間違いなく、仏壇に飾られたパートナーのことだろう。
「凄いめちゃくちゃな奴でさ。酒、ギャンブル、煙草、全部やってた。女とも男とも好きに寝てたし、典型的なクソ野郎だったよ」
仏壇の写真は、確かにかなり派手な容姿だった。イケメンだったし、かなりの男女にモテただろう。オレは断然卓人さんの顔の方が好みだけど。
「案の定、若いのに癌で死んじゃった。本当どうしようもない奴だから、自業自得だよ。でも、俺、あいつの犬だから……あいつがいないと駄目なんだ……」
卓人さんの視線はぼんやりと宙を見ている。最早、俺がここに居ることを忘れてしまったんじゃないかと不安が過ぎる。
「後を追うって言ったら、あいつが、死ぬなら酒か煙草で死ねって無茶言うんだ。そうじゃなきゃ、後追ってくるなって。俺、酒飲めないの知ってんのにそんな事言うんだよ。本当に酷いよな。酒は頑張って飲んでも吐いちゃうだけだから、煙草だけ吸ってる。ただ、それだけ……」
卓人さんがチラリとオレの方を見て言った。
ちゃんと、オレがいるって忘れないでくれていた事に、自分でも呆れる程の喜びを感じる。
「オレの事、嫌いなんですか?」
自分でも馬鹿だと思うけど。
それでも聞かずにはいられなかった。
卓人さんは、また俺から視線を逸らす。その目は閉じられた仏壇に向いていた。
「別に……可愛いって思ってんのは本当だよ。でも、たまにどうしようもなく、チリ君みたいな健康で若い子を酷い抱き方したくなるだけ」
そうしてる間はなにも考えないですむから、とポツリと呟いた。
あぁ、そうか。
店先で花を眺めてた卓人さん。
コメディ映画を見ながらピザを食べてた卓人さん。
そして、オレを乱暴に抱いた卓人さん。
全部空っぽなんだ。
その時だけが、卓人さんが『彼』のことを考えないで、空っぽでいられる時間なんだ。
空っぽじゃない時の卓人さんの中は、まだ『彼』でいっぱいで、線香代わりの煙が充満した部屋で、日がな一日『彼』のことを考えて暮らしてるんだ。
「明日……」
オレの掠れた声に、卓人さんがこちらを向いた。そうだ。もっと、こっちを見て。強く、念じる。
「明日も、オレ休みなんです」
卓人さんが煙草を咥えながら、訝しそうに眉を上げた。
「また、ピザ食べに来ていいですか?」
「……本気?」
力が入らない手に舌打ちしそうになりながら、なんとか奮い立たせて、卓人さんの頬に触れた。馬鹿みたいに震えているオレの手を、卓人さんは掴むこともなかったが、払うこともしない。オレは必死に指に力を込める。少しでも、『彼』の方を向かせないように。
「花と、ピザの合間でいいんです。たまに、オレを抱いてくれれば。もっと、酷くしても。だから……また来ていいですか?」
卓人さんは黙ってた。映画はとっくに終わっている。
静かな部屋の中で、煙草のジリリと焼けた音が響く。白い煙が立ち込めた部屋の中は、まるで三途の河のほとりみたいだ。煙草の赤い焔だけが、卓人さんが呼吸していることを教えてくれる。
でも、卓人さんは白い煙で自分をいっぱいにして、あっち側に行きたいんだ。なんて皮肉なんだろう。
暫くして、卓人さんはため息とともに、煙を吐き出すと、灰皿に吸い殻を捻じ込み火を消した。
「馬鹿な子だね」
そう呟いた言葉の響きは、なんとなくだけど、ちょっだけ。空っぽじゃない気がした。
ともだちにシェアしよう!