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果たして、鬱陶しい相手に、人はキスをするだろうか。
屋上から校舎に戻った槙 は、ぼんやりしながら廊下を歩いていた。昼休みを迎えた校舎内は、生徒達の賑やかな声に溢れている。
槙は、織人 から、過去にも告白された事がある。一度目は織人が小学生の時、槙はそれを恋愛の意味で捉えていなかった。二度目は、織人が中学三年の冬。その頃、織人は槙と距離を取るようになっていたので、槙は織人に嫌われたとばかり思っていた。だから、好きなのだと抱きしめられた時は、本当に驚いた。
その思いの強さに、真っ直ぐすぎる思いに、槙は思わず胸を鳴らしかけたが、すぐにその胸を突っ張ねて、「弟にしか見えない」と答えた。
胸がきゅんとしかけたのも、距離が出来てしまった可愛い弟が、また自分の方を向いてくれた、そんな愛しさからくるものだと、槙はそうやって自分を納得させている。
それからは、織人からそういった接触もなく、他の生徒と同じにように、プライベートではそれよりも近い距離で接していた。それだって、家族ぐるみで付き合いのある昔馴染みだからで、織人も普通に憎まれ口を叩いていたから、まさか織人がまだ自分を思ってくれていたと、槙はこの時まで思いもしなかった。
「…鬱陶しい」
だが、その言葉は好きな相手に向かって言うものとは思えない。
もしかして、もう好きなのではなく、単なる嫌がらせだったのだろうか。興味がない男からのキスだ、確かに好きでもない相手なら嫌がらせだが、槙にとって織人は、どうしたって可愛い弟分に変わりない、だからそれ程というか、織人とのキスに嫌な感情は浮かんでこなかった。
「…まぁ、子犬がじゃれたもんか」
「いーや、いくら子犬でも、見る人が見たら大問題よ、これ」
横から、にゅっと顔が出てきて、槙は「うわぁ!」と、驚いて飛び退いた。
「わ!槙ちゃん驚かさないでよ!」
「え?ごめんごめん、」
「そうそう廊下は静かにねー」
「誰のせいだよ!」
驚かせてしまった通りすがりの生徒に謝りつつ、こうなったのも誰のせいだよと、槙は隣の男を睨みつけた。
睨みつけられてもどこ吹く風で微笑んでいる彼は、数屋敷恋矢 、三十歳になる。槙の幼なじみであり、現国の教師だ。
いつもどこか気だるげな雰囲気を滲ませつつも、物腰の柔らかさと絶えない微笑みで、大体の事が彼の手の上で転がるように流れていく、恋矢はそんな小悪魔的魅力を備えた人物だ。背は槙より少し高いくらいだろうか、切れ長の優しげな目元は男前で、物憂げな表情には色気があり、ふわりとした髪は、彼の持つ柔らかな空気感とよく合っていた。
「あ、またカズ先生と槙ちゃんがいちゃついてる!」
「いちゃついてないから!早く昼飯食べてこい」
「はーい!」
きゃあきゃあと、通りすがる女子生徒に溜め息を吐くのは槙だけで、恋矢は何事も楽しそうだ。
二人共、その見た目も相まって、生徒達にはコンビで人気がある。槙の方が男子生徒からの支持が熱いが、恋矢は大半が女子の支持である。
「カズ、もっとまともに声かけろよ」
「何度か呼びかけたのに、気づかない槙ちゃんが悪い」
そして、生徒に普及するそれぞれの呼び名も、幼なじみの二人が日常的に呼び合っている事から、自然と広がっていったようだ。
「それより、屋上のアレ、気をつけた方が良いよ」
恋矢は槙の肩を組み、そっと耳打ちした。屋上のアレとは、先程の織人とのキス以外考えられず、槙はさっと青ざめた。
「み、見てたの!?」
「たまたま教室の窓から屋上見上げたらさ、角度的にバッチリと。まぁ、俺だから良かったけど、注意しろよ」
「あ、あいつが勝手に、」
「いくら幼なじみでも、相手は未成年で俺達は教師。向こうが勝手にとか言っても、そんな言い訳どこにも通用しないよ。隙を見せても良いけど、人目には気をつけな」
「うん…って、隙を見せて良いってなんだよ!」
「そんなの、面白いからに決まってんじゃん」
ふふ、と笑って先を歩く恋矢の姿は、まるでどこぞの王子様のように華がある。が、槙には魔王のようにしか見えない。
すかさず「カズ先生」と、女子生徒が恋矢を取り巻くのを見て、槙は頭を抱えたくなった。
数式を幾つも解いてきた槙だが、計算高さで言えば、恋矢の方が確実に上だろうと思う。
あの顔に騙されるんだよなぁ。
そう思えるのも、恋矢とは小学生の頃からの付き合いだからだ。幼い頃から、恋矢の性格は変わっていないように思う、恋矢は自分が相手にどう見られているのか、よく分かっているのだ。その上で、どうしたら自分に得が回ってくるのかもちゃんと考えている。逆に槙は、自分がどう見られているのかいまいち分かっていない。織人もその節があるように思うのだが、今はどうなのだろう。
織人も昔から人目を引く存在だった。幼ない頃は愛らしく、今は男性としての魅力に変わったが、それに加え、人を寄せ付けないような雰囲気を纏う。不思議なもので、噛みつかれそうな危ない雰囲気というのは、逆に人目を引くようだ。おっかなびっくり、でも話してみれば、怖いだけの人間ではないとすぐに分かる、だから質が悪い。
槙は廊下の窓から屋上を見上げ、不意に織人の勝ち誇ったような笑みが頭を過ると、慌てて頭を振って、その笑みを頭の中から追い出した。
「ったく、何やってんだよ…」
窓に凭れ、誰ともなく思わず呟く。風が吹くと、視界の隅に桜の花びらが過り、槙は黙ってそれを目で追いかけ、ぎゅっと手を握りしめた。
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