15 / 64

15

(まき)と初めて出会った時、織人(おりと)はまだ三歳だったが、他の記憶はなくても、槙と出会った時の記憶だけは、鮮明に覚えていた。 公園のベンチで眠る槙を見て、綺麗だと思った。太陽の光がキラキラと寝顔を輝かせ、この人はどこかのお姫様なのだと思った。 恐らく、当時テレビで放送されていた、特撮ヒーローやらアニメの影響かと思われるが、織人の頭の中で、自分は正義のヒーローに、槙は囚われのお姫様に変換されてしまった。 そして、ボール蹴りを披露したのも、槙にかっこよく思われたいとか、一緒に遊びたいと思ったからだと、織人は振り返り思う。 それにしてもだ、どこからどう見ても男の槙を、見た目が綺麗に見えたからといって、よくお姫様だと思えたなと、今となっては自分の事ながら理解し難い思いだが、その時の感情がやがて恋になり現在まで続くとは、当時の自分だって思いもしないだろう。 好きで好きで近づきたくて、槙を守りたいのに認めて貰えず悔しくて、わざと距離を置いた事もあった。今だって、槙には苛立つ事もある、こんなに好きなのに、槙はまだ過去の思い人に囚われている。それが悔しくて、どうにもしてあげられない自分も含め、募るやるせなさが、槙に対しても鬱陶しいという表現になってしまった。 年齢だけはどうしても追いつけない、勉強もスポーツも手芸も料理も、努力で追いつける事は沢山ある。でも、生きてきた年数と、それによる思いの深さは、どうしても追いつけない。自分はどうしたって子供だ。 でも、槙を諦める選択肢など、もう織人にはなかった。 *** 「あ、織人!」 下校時間となり、階段に向かう背中を見つけ、槙は慌てて声を掛けた。織人の足は早く、既に踊り場を過ぎようとしている。手刷りから顔を覗かせ、「待って!」と呼び止め、槙は急いで階段を下りた。 「転ぶぞ」 「転ばないよ。な、ちゃんと飯食ってるか?バイト忙しい?ちゃんと休めてるか?」 矢継ぎ早の質問になってしまったが、心配な事が多すぎて、躊躇していられなかった。顔色は悪くないか、痩せてはいないかと、槙は織人に変化がないかとその様子を見るのに必死だったが、織人はそんな槙の思いも虚しく、ふいっと顔を背けてしまった。 「…大丈夫だから、家に帰ってるんだろ」 「あ…そっか、そうだな」 「何、寂しい?」 「ば!バッカ!んなわけねぇよ」 「だよな」 もっとからかわれるかと思いきや、織人はその一言で簡単に身を引いた。その笑った顔がどこか寂しげで、槙の胸は不安に駆られ狼狽えてしまう。そんな槙を置いて、織人はすぐに先に行ってしまうので、槙は再び織人を追いかける事となった。二階を過ぎ、一階に向かおうとする。その足の速さは、まるで避けられているような気さえして、槙は織人が離れてしまう前に引き止めなければと、焦って言葉を探した。 「で、でもさ、あれかな!お前の飯食えないのは寂しいかなー、なんて」 「……」 二階の踊り場、突然織人が振り返ったかと思うと、そのまま拳を横に払い壁に突きたてた。どん、と音が響き、槙は驚いて顔を上げる。壁の間に閉じ込められた訳ではないが、一瞬、織人のテリトリーに閉じ込められた気がして、心臓が震えた。 「俺は、単に飯食わせたくて、あんたの家に上がり込んでる訳じゃねぇから」 「え、」 それだけ言うと、織人は再び歩き出す。槙は呆然としていたが、すぐに我に返ると、再び後を追いかけた。 「な、なんだよそれ!だって、飯食って、寂しいからだろ?だから泊まりに来るんだろ?」 「それだけだと思ってんの?そんな訳ないだろ」 階段の一段下で織人が足を止め、振り返る。見上げる顔がやはりどこか辛そうで、槙は言葉を失ってしまう。 「それとも言わせたい?」 「え、」 分かってるだろ、と言いたげな瞳が甘く揺れて、槙は目が逸らせなかった。ドキリと震える胸が苦しくて、頬に触れようと伸びてくる指先の、その男っぽさに戸惑ってしまう。何言ってんのとか、からかうなとか、お前の事は振っただろとか、言葉はいくらでも頭に浮かぶのに、唇が動かない。 振り払っても引き寄せられてしまうような、その揺れる心に名前をつけるのが怖くて、でも、突き放す勇気もない。触れられたら受け入れてしまう気がして、槙は思わずぎゅっと目を閉じた。 だけど、その指先が槙に触れる事はなかった。 織人は何も言わないまま視線を逸らすと、そのまま踵を返してしまう。 逃げるように階段を下りる足音が遠退くと、槙は顔を覆って階段に座り込んだ。 なんだよ、あいつ。 本気か冗談か、その見当がつかないほどバカじゃない。 でも、俺は違う。この気持ちは、織人とは違う。 ただ心配してるだけなんだと、槙は打ちつける胸の強さに、必死に否定した。 織人が急に離れていくのが寂しいんだ。それは多分、織人の思ってるものとは違う、恋なんかじゃない、あんなのは錯覚だ。 だって、恋はしないともう決めている。 「…もう、しちゃいけないんだ」 誰かを好きとか、なっちゃいけない。織人は可愛い弟のようなもの、それだけだ。 それに、ついこの間まで、それでも一緒にいてくれたじゃないか。 「……」 そんな風に考えてしまう自分に、槙は自分が情けなくなった。 そんなのは虫がよすぎる話だ。分かっている、分かっているのに、それでも織人の事を手放せそうにない自分に、ただ呆れ、顔を上げる事が出来なかった。

ともだちにシェアしよう!