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第3話
及川達が帰り、静かになったオフォスで相馬は写真の束を眺めた。ほんの一部。杉山はそう言った。
ということは杉山達の手元にはもっと多くの写真があるということか?
相馬はそれが隠し撮りだということ事態よりも、不都合なものが写っていないかと憂慮した。写真の中には屋敷の前で写っているものもある。
不都合なもの。例えば静。それよりも不都合なのが鷹千穗。異質な男は写真に写り込めば、すぐに目につく。
きっと及川はどんな手を使ってでも、鷹千穗の過去を調べるだろう。
静だってそうだ。調べればすぐに大多喜組との関わりが出て来て、及川は喜び勇んで相馬達の元へやって来るだろう。
及川は大多喜組を壊滅させたのは相馬達だと睨んでいる。確かにそうだが、証拠が無く、及川はその証拠集めに奔走していると聞いた。なので、調べられ、色々と探られるのは遠慮したいのが相馬の本心なのだ。
そんな事を考えていると、奥のドアがゆっくりと開いた。裏でも表でも相馬の右腕を務める崎山雅だ。
艶やかな黒髪とそれに似合う漆黒の瞳。その下に並ぶ二つの泣き黒子が特徴的な男は、相馬の隣に立つとテーブルに捨て置かれた写真を見下ろした。
「どう思う?」
「写真写りは良くありませんね」
一枚取って、反対側の手で無造作にそれを掻き分ける。闇雲にも見えるその作業は、きっと意味があるはずだ。
なぜならば、自分に似たところのあるこの部下は無駄なことを嫌うからだ。
「気が付いたか?」
「…少しづつですが、距離が近づいています」
崎山の言う通り写真に写る日付を追うと、微妙だが確実に心に近づいていた。及川の手元にもまだあるということは、どれが一番初めで、どれが最新かは分からない。
ただ、この中で一番古いと思しき写真は心の姿は遠い。豆粒のような心が写るだけだが、心の愛車のH2が一緒に写っている。
特注エアロのそれは、間違いなく心の車だ。ズーム機能を使わず、場所を移動しながら少しづつ近付いている。
わざわざ日付を入れたのは、これを気付かせるためか…。どちらにしても酔狂だとしか言いようがない。
「誰だろうね」
「どうして及川に?」
「さぁ?及川曰く…挑戦状?かな」
「始末される前に、逮捕しなってことですか?」
「そうだね。及川への挑戦状なのか、うちへの挑戦状なのか。警視庁だけに送ったのは、及川に言えば、ここへスキップ踏んで来るのは分かりきっているからね。現に、この写真はこうやってここに運ばれて来た。主催者不在で挑戦者が顔を合わせた感じかな。どちらがあれを護れるか。逮捕か、護衛か」
相馬はフフッと笑った。
鬼塚組の護衛は完璧だ。どう襲撃してきたとしても、その壁を破る事なんて出来ないはずだ。
無駄な事をと思いながら、その傍らで及川がその気になるのは拙いなとは思う。本気になった及川ならば、心を逮捕する事なんて朝飯前かもしれない。
及川にとって極道者なんて正当な逮捕なんて不要も同然。何なら作りあげた自転車泥棒で逮捕するなんてこともやりかねない。
「及川の、あの生き生きした顔がね。鬱陶しいですね」
崎山は心の写真を封筒に丁寧に仕舞いながら、如何にも鬱陶しげな顔で言った。
崎山は非常に優秀な男だ。博学広才で、どんな状況でも泰然自若としているところが相馬の気に入るところだ。が、その彼にも苦手なものはあるようだ。それがあの及川だ。
どちらかと言えば同族嫌悪じゃないのかと崎山からすれば聞き捨てならない様な事を考えながら、長い足を組んで今の状況を考察する。
「これ、一応、橘に回します。どこから撮ったものか分析します」
「ああ、そうしてくれ。そうだ、あれには知らせないように。面白がって夜道の散歩に出掛けかねないからね。雨宮には伝えて。ターゲットはあれだろうけど、念のため。裏は何人動かせる?」
「三人です」
「一応、護衛に」
「わかりました。彪鷹さんには?」
「面白がりそうだけど、言わない訳にはいかないしね。成田にも伝えて。警護強化で」
「組長に勘づかれませんか?」
「馬鹿なくせに察しがいいからね。成田に入れ知恵しときなさい。何なら一個くらいどこかの組を潰して、既成事実作ってもいいから」
「ですね」
崎山はそう呟いて、思索しだした。こうなればもう任しておけばいい。相馬は思いながら、心の次に厄介な男に説明する煩わしさに辟易した。
警視庁組織犯罪対策部。山積みの書類と煙草の煙、脂で黄色くなった壁紙。なんていうのはフィクションの世界、TVや映画の中だけで、実際はというと社内禁煙というありがたい規則のせいで室内に煙草の煙が漂う事はない。
漂う煙といえば、設置された加湿器からの湯気くらい。なので壁紙も綺麗だし出入り口近くのカウンターには花なんて置かれている。
広い部屋に整列するように置かれたデスクはどれも整頓されていて、そこだけ見れば一般企業と何ら変わりない。
そして、この組織犯罪対策部というのは他とは馴れ合わない課であり、相手にしている人種が特殊なだけあってどこか異質だ。
その中の杉山率いる2班は警視庁始まって以来の異端児を抱えているだけに、要注意チームと謳われている。
異端児、及川信長。数多くの極道から恐れられている及川の破天荒ぶりは、最早、犯罪すれすれだ。というよりも、きっと犯罪。
相手が相手なだけに何をしてもいいだなんて勘違いしていて、そのせいで杉山は何度も始末書を書かされた。
とんだとばっちりで昇進は遠のくばかり。それでもその検挙率はどこよりも高く、正確で、的確。
及川を放り出せない理由の一つである。
「やめてくんね?お前がご機嫌だと周りに悪影響だ」
杉山は自分のデスクでご機嫌の及川にコーヒーを差し出して言った。
及川は数週間前から頗るご機嫌だ。何のために送りつけられたのか分からない、心の隠し撮り写真が送られてきたあの日からだ。
送ってこられた写真を初めて見たときの及川の顔といったら、誰もが顔を青くするほどの不気味な微笑。
及川の人間性を知らない人間から見れば、うっとりしてしまう様な顔でも杉山達からすれば不気味。悪魔降臨の瞬間と言っても過言ではない。
「ご機嫌?機嫌悪いよりマシだろ?」
及川は心の写真を数枚、綺麗にデスクに並べて杉山を見上げた。
七並べでもするつもりかというほどに、ずらりと並べられている。こんなトランプ、売れないな。極道トランプ。
「心の写真見てニヤつかれてもな」
「佐野彪鷹が帰ってきてるらしいぜ」
「佐野…彪鷹?」
聞き覚えのない名前に杉山が首を捻った。
「知らない?心の親って呼ばれる男。帰ってきて、若頭を襲名したらしいぜ」
「へぇ…知らねぇなぁ」
「まぁ、佐野も表を嫌う人間でほぼ組には居なかった上に、ある日突然姿を消した男だっていうしね。俺もまだ見た事ないから、ツラは知らねぇ。なんせ鬼塚組長を筆頭に、幹部連中は鉄砲玉が怖くて外に出れない腰抜けだなんて噂されるくらいだもの」
「なんだ、あそこは引き蘢りだらけか」
杉山はどこか呆れ口調で言うと、及川の手から心の写真を奪った。
気怠げで、やる気が微塵も感じられない男、鬼塚心。だが極道会の中枢に居て、この若い男が右を向くか左を向くかで、その世界の均等が崩れるのだから、お笑いだ。
「大戦争が起きるかもな。でも仁流会に喧嘩売るほど力の余った組が、まだあったとはな」
杉山がうんざりする様に言った。心に静かに忍び寄る影。ここまで動向を把握されているということは、明らかにプロだ。
杉山達でさえ心の動向を知るには骨を折る。だが、その写真はほぼ毎日、心を隠し撮っていた。
「心を殺して得をする人間が、どれだけ居ると思ってんの?仁流会内部の可能性だって捨てきれねぇしな。誰よりも心に叩き出された古参連中は腸煮えくり返ってるだろうしな。何にしても、俺は心を護んねぇと」
「…あ?」
「心が死んだら、俺がここに居る意味がない」
「仕事しろよ、及川」
杉山は盛大に息を吐いて、頭を掻いた。
「殺されちまえ、何なら俺が殺したるわ」
彪鷹は乱暴に言うと、ソファにごろんと転がった。
ここは心がプライベートルームとして、つい最近まで暮らしていた部屋だ。ビルの内装を大改造して、今は鬼塚組の組事務所として利用している。
もちろんベッド等は処分して、応接セットなどを残したまま。そこに彪鷹と相馬は居た。
彪鷹は、まるでデジャブのように長い身体をソファに転がし煙草を銜える。その気怠げな表情も仕草もそのまま心だ。
血縁関係はないと聞いたが、実はあるんじゃないだろうか。相馬はそんなどうでもいいことを考えながら、彪鷹に灰皿を差し出した。
相馬は及川から渡された写真を見せ、考えられる危険要素を説明した。だが彪鷹はやはりと言うべきか、それを聞いた第一声がそれ。
「彪鷹さん…」
「ええやん、ええやん。面倒くさい。殺されてもうたらさー、お前が組継いだら?大体、何!?盗撮って。いらんわー。やることが狡い。ちゅうか、キモい。あれちゃう?極道盗撮マニア。それにその、及川?いうデカもややっちぃんやろ?そんな、あっちもこっちも無理」
危機感皆無である。
ただの盗撮犯ではないことくらい重々承知のくせに、この投げ遣りよう。極道盗撮マニアってなんだ。
強制的に組に戻されたことを未だに根に持ち、尚且つ、面倒くさそうだと判断しての発言だろう。
彪鷹が居て相馬の仕事は多少は減ったものの、苛立ちは倍増した。親子のように似て非なる男二人、強情なまでの面倒臭がり屋。いや、相馬に言わせれば穀潰し…。
とにもかくにも、何をするにも腰が重い。それこそヘビー級だ。
「彪鷹さん、アレが死ねばあなたの仕事も増えますよ」
「俺の苛立は、ちぃとばかり解消される」
「違う苛立が増えると思いますが?古参連中が一気に会長代行の座を狙って、何かを仕掛けてきます。善くも悪くもあれはあれで存在意味があるんですよ?それでも、ただの変態の盗撮犯だとおっしゃいますか?」
彪鷹は相馬を見ると、小さく舌打ちした。
討論が苦手なところもそっくりだ。言葉よりも拳で生き抜いて来ただけあって、いとも容易い。
何か言葉を吐き出そうとしても、それを出す前にこちらから言葉を浴びせれば何だか話をするのも馬鹿馬鹿しくなるタイプ。
まるでコピーを見ている様で、その心中が手に取る様に分かり相馬はほくそ笑んだ。
「彪鷹さん?」
「あー!!もう!!やて、あのアホには知らせへんのやろうが。何で俺があいつのために、そこまで骨折らなあかんねん」
「他人に殺られるのも面白くないでしょう?どうせなら、私かあなたの手で殺りたいじゃないですか」
本気なのか冗談なのか分からない相馬を鼻で笑って、彪鷹は紫煙を一気に吐き出した。
心を狙うなんて、どこの誰かは知らないが剛腹じゃないか。我が身は我が身で守れと散々教え込んできたが、当の本人にターゲットになっていることを言わないのであれば、周りが動くしかない。そう思いながら彪鷹は忌々しげに煙草を灰皿に押し潰した。
「損な役回りやと思わん?」
「そうですか?でも、彪鷹さんが戻って来てくれて、崎山も一つ、肩の荷が下りたようですけど?」
「あ?崎山ぁ?ああ、あのエロい兄ちゃんな。何や、まだ顔と名前が一致せんなぁ。多いねん、なんしか」
彪鷹が相馬を見れば、相馬は何だか腑に落ちない様な顔をしている。
何だ、また何か気に触ることを言ってしまったかと、神経質な相馬に嫌気がさす。よくもこんな人間と何年も一緒に居るものだと、今は居ない愚息に感心をした。
「なんやねん、俺、何や言うたか?」
「…エロい、ですか?」
「は?…オマエか?」
「ハッ…私ではありませんよ、崎山です」
「ああ、あの兄ちゃんなぁ。エロいやん、何か、色気?」
極道に不似合いな容貌は妙にミステリアスで、あの艶っぽい烏の羽のような瞳が劣情的だ。話は少ししかしたことはないが、頭の回転が異常に速い事はすぐに分かった。
そして相馬同様、神経質な人間だということもすぐに分かった。
「色気って…本人の前で言わないでくださいよ。あれもあれで、無軌道なところがあって走り出すと止まりませんからね。それに容姿のことは人一倍気にしているんでね。殺されても文句は言えませんよ」
「そうなん?へぇ。で、その崎山が何で俺が戻って肩の荷が下りんねん」
「鷹千穗ですよ」
相馬は彪鷹の前のソファに腰掛けた。先ほどまで気怠げに煙草を燻らしていた彪鷹は、露骨に表情を変え大きく舌打ちした。
「鷹千穗は自ら来たんですよ?私達が呼び寄せた訳でも、探し出したわけでもない」
「分かっとるわ」
誰にも弱味はあるもんだな。それがあの”死神”なんだから、どこか可笑しい。相馬は忌々しげに蛾眉を顰める彪鷹を見て、小さく笑った。
「鷹千穗も大人しくなったし、あとはこの馬鹿げた盗撮があらぬ方向に発展しないように、さっさと片付けてしまいましょう」
相馬はそう言ってソファに深く座り、足を組んだ。彪鷹はそんな相馬を見て、どこか楽しげに笑った。
「しかしあれやね、オマエがそこまで心を護ろうとするのは意外やね」
「あれはあれで役に立ちますから」
「次期組長のために、あいつに種、残さそうとは思わんの?あ、別に俺は静が嫌いやあらへんで。素直でエエ子や。男同士やいうんもどうでもええ。ただ、あいつの血を絶やすんも勿体ないやろ?嫁と子供。家族な」
彪鷹の言葉に、相馬は珍しく感情を表に出した顔をした。出てしまったのか出したのか。どちらにしても、そんな顔を見たのは初めてで彪鷹は口角を上げた。
「家族ねぇ。ある日突然母親の元から連れ去られ、極道だと投げ込まれた男です。家族だなんて知る由もなくね。あれの幼少期はあなたもご存知でしょう?育てたのはあなただ」
「あいつが母親んとこから連れ去られたんは、誰も知らんはずやで?調べたん?ああ、そっか、おやっさん、うちの弁護士か」
「あなた自身が家族に恵まれなかったから、あれには家族に恵まれて欲しいだなんて言いませんよね?似合いませんよ」
何だ、結局何もかも調べられているのかと、やっぱりこの男は嫌いだなと彪鷹は目だけで部屋の端を見て息を吐いた。
「いいですか、彪鷹さん。あなたはどうか分かりませんが、少なくともあれは組の事なんてどうでもいい男です。今、あの男が組長で居続けるのも、単なる気紛れです。それはあの男を育てて来たあなたなら、重々承知だと思います。あの男が明日、飽きたと言えばそこで終わりなんです。その瞬間に仁流会は崩壊します。そうならないためにも、あの男には少しばかりは好き勝手にやらしておかなければならない。だから、あれには余計なことは言わない様にお願いしたい。ただ猛獣を飼い馴らせるだなんて、あなたも思っては居ないでしょう?」
「えー」
「ふざけてないで、きちんと聞いてください」
ビシッと言われ、彪鷹は唇を尖らせる。何なの、この人。面倒。
「売られた喧嘩は買わなあかん。やて、それを買うにはリスクが高すぎる位置におる。面倒やないの、これって」
「それで仁流会の均等が保たれるのであれば、何も問題はありません」
「おいおい、俺の息子はえらい権力者やないですかー?」
言いながら、相馬の言う事は当たっていると思った。風間組の権力が莫大だとしても、本気になった心には敵わないだろう。
心にあるものは、その揺るぎない自信と若さだ。全体的に若い人間を集めて作った組は、昨日今日に出来上がったものではない。代々続く鬼塚組という代紋付き、そして古参連中も捩じ伏せる勢い。
一気に急成長した鬼塚組は、仁流会NO.3の鬼頭組との差は大きい。対を許さぬ成長ぶりということだ。
「エエ具合に成長してくれて」
「ふふ、分かっているからこそ、あなたはあそこまで育てたんでしょう?」
「ふん、けったくそ悪い。あー、もう、しょーもないー!!あ、気晴らしにさぁ、静のとこ、飲みに行ってええ?」
「今日は無理です」
ぴしゃっと言われて彪鷹は”あー!”と、そうしたところでどうにもならない声を上げた。
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