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第26話

「お、おお…」 静はその空高く聳え立つビルの前で戦いた。これが鬼塚組フロント企業、イースフロント。 その規模を誇るかの様な高いビルは、見上げると首が痛くなった。入り口に目をやると、乱れなくスーツを着こなした出来る男の見本のような連中が次々と飲み込まれている。 時刻は午後7時を回るというのに、ビルは明かりが消えているところのほうが少ない。 「ブラック企業なの?」 思わず聞いた言葉に眞澄が噴き出した。 「バカ、ちげーよ。フレックスだから、遅くまで残ってる人も多いの」 雨宮が人聞きの悪いことを言うなと、睨んでくる。だが身近にサラリーマンという職業の知り合いが居ないので、こんな時間まで働いているのはブラックなのではないかと単純に考えてしまった。 「フレックス…?自由出勤ってやつ?へぇ、そうなんだ。え?正面から入るの?」 「裏!」 そんな目立つようなこと敢えてするわけないだろと、3人で裏へと回る。裏といっても、そこも普通に正面玄関のような場所で、立派なガラスの観音開きのドアがある。その前に立つ警備員が雨宮達を見て訝しんだ。 まぁ、無理もないなと思う。このどうにも統一性のない3人だ。雨宮が警備員の立場なら速攻、通報レベルだ。 「えーっと、」 なんて言うかなと思っていると警備員の後ろのドアから崎山が出てきて、こっちだと声をかけた。 その声のトーン、表情、オーラ。すべてにおいて、怒りが滲み出ている。 「俺、ここに居ようかな」 何か、俺のミスみたいじゃんと相川みたいなことを言うと、静が何を言ってるのと言わんばかりの顔で雨宮を見た。 そりゃそうかと、苦笑い。仕方がなく中に入ると、ドアを支えていた崎山に尻を蹴り上げられた。 カードキーを差し込んでエレベーターを呼ぶ崎山を、眞澄が愉快そうに見ている。それを崎山は睨む様に見て、何ですかと短く聞いた。 「別に何もあらへん。ただ、感情を表に出すんは相馬とは似てへんなと思うて」 「そうですか?残念ながら私は喜怒哀楽がはっきりしているもので、申し訳ありません」 微塵も思ってないような感情のこもっていない謝罪に、眞澄はフッと笑うだけだった。 最上階に付き、崎山の後ろを並んで歩く。静は想像の遥か上をいっている会社の大きさに、ただただ驚くばかりだ。 フワフワの絨毯が敷き詰められた廊下を土足で歩くのは気が引けるし、ところどころに設置してある監視カメラに物々しさを感じる。 本当にこんなところに心が?というよりも、本当に心がここの長なのかと疑ってしまう。 ふと前を見ると、長い廊下の突き当たりの部屋のドアの前に橘が居て、こちらに気が付くと頭を下げた。そしてドアを一度ノックして開き、眞澄達を迎え入れた。 「はー、肩凝るとこやのう」 眞澄は辟易としたとばかりに言うと、部屋の中央に置かれたソファセットに無遠慮に腰を下ろした。それと同時に奥の部屋から相馬が出てきたが、崎山とは違い穏やかな微笑を浮かべているように見える。 だがその顔を見て、こっちもこっちで頭にきてるんだなと雨宮はどんどんと居心地が悪くなり、部屋の隅の壁に凭れ掛かった。 あの笑顔を見分けられるようになっただけ、自分も成長したよなと思う。 広い部屋をぐるっと見渡して、自分も居場所がないなと思った静は雨宮の隣に立って、二人して部屋の飾りになった。 「いつこちらにいらしたんですか?ご連絡くだされば、おもてなしも出来ましたのに」 「別におもてなしなんかいらへん。おい、あれどこやねん」 「鬼塚ですか?あれは…」 言葉を続ける前に相馬が出てきたドアが開き、彪鷹とともに心が出てきた。そして眞澄や雨宮、それに静を見ると眉を上げた。 「何の集いやねん」 ですよねーと雨宮と静は思う。接点が滅茶苦茶なような気がする。というよりも出鱈目だ。 何だかしてはいけないことをしてしまったような気がして、雨宮も静も苦笑いをするが、それとは対照的にパッと笑顔になったのが彪鷹だった。 「うわー、お前眞澄か!でっかなったなぁ!ちゅうか、そっくりやんけ!」 彪鷹はソファに腰掛ける眞澄を見ると、こんなちっさかったのに!と昔を懐かしむように言うが、彪鷹に覚えのない眞澄は珍しく戸惑ったように相馬を見た。 まるでそれが助けを求めるような顔で、静は小さく笑った。 「佐野彪鷹さんです。眞澄さんが幼い頃にお逢いしているようですが、覚えていませんか?」 「あんたが佐野彪鷹か…」 「お前、まだチビやったしなぁ。親父は元気か。あと、姐さんも」 「おかげさんで、二人とも元気や」 彪鷹と心に眞澄、その3人を眺めながら静は肘で雨宮を突いた。雨宮は視線を前に向けたまま、何だよとぶっきら棒に言うと”そっくり!”と静が囁いた。 何がと聞くまでもなく、雨宮もフッと笑いそうになって慌てて緊張を取り戻す。こんなところで静と談笑なんて、死んでもするかというところだ。 部屋の入り口では、崎山が酷く冷めた視線を眞澄に向けている。また何を企んでいるんだと訝しんでいるのか、それとも崎山の中では眞澄は敵と認識されているのか。 どちらにしても、今日のスケジュールを狂わされた事を面白くないと思っているのは確かだ。 だがこうして3人を並べて見てみると、本当にそっくりだ。眞澄と心は血縁者なので似ていてもおかしくはないが、彪鷹までもがそっくりだというのが面白い。 まさか本当に心は彪鷹の子かと疑心してしまいそうなほどに、他人の空似では片付けられないほどに似ているのだ。 だが父親というには彪鷹は若すぎる。年齢ははっきりとは知らないし、どれだけ調べても謎に包まれている彪鷹だが、見た目からもあんな大きな子供を持つ年ではないのは確かだろう。 じゃあ兄とか。それはそれで笑えない。 「で、何やねん。何で静もおんねん」 心は一人掛け用のソファに座ると、胸ポケットから煙草を取り出し銜え眞澄を横目に見ながら火を点けた。それを見て眞澄は口角を上げて笑い、首を傾げた。 「あれは、わしに感謝してもらわんとなぁ。訳分からんガキ共に、輪姦されかかっとたんを助けたんやし」 「おい!」 眞澄の言動に静が声を荒らげると、雨宮がその腕を引っ張った。彪鷹はそれを見て笑い、相馬は雨宮を刺すように見る。 「チーマーに絡まれました。揉め事になりかけたときに、吉良がリーダー格に飛び蹴りして…。そこに眞澄さんが」 「飛び蹴りぃ?あははは!さすがやな!」 彪鷹が声を出して笑って、すごいな、あれ!と隣の相馬に言うが、相馬はそうですねと軽くあしらうだけだった。 その相馬の表情に、うわー、俺、マジでヤバいかもと雨宮は入り口の崎山を見たが、やはり鬼の形相。お前、またか!なんて言いたげな表情だ。 「静の足癖は、今に始まったことやあらへん。何や、結局、その礼をしろってか」 「あほか。わしもそない暇やあらへん。ちょっと聞きたい事あってなぁ」 「あ?」 「お前んとこにも来てるんやろ、訳の分からん挑戦状」 「挑戦状?」 「眞澄さんっ」 相馬が眞澄を叱咤するように呼んだ。眞澄はそれに、あれ?と愉快そうな表情を浮かべて、へぇーと声を出した。 「ああ、これはタブーなんか」 「何のことや、相馬」 「まぁまぁ、それは追々、俺から説明したるわ。今はそっちやない。お前のとこにも何か来てるんか?」 彪鷹は機嫌の悪くなった心を無視して、話を進めだす。こういうところは、さすがというべきか…。 「来てるいうても、ただの写真や。わしと、御園が車に乗るところのな」 ああ、だから今、御園が居ないのかと雨宮は一人納得した。若頭の自分の身よりも、御園の身を案じたということか。 「それは、その1枚だけですか?あなたのところに来ているということは、明神さんのところにも?」 「来てるとは噂で聞いたなぁ。やて、あいつんとこなんかしょっちゅうやろ。あいつは敵ばっか作りよる。動きが派手や」 「そうですか。ですが今回こちらに見えたのは、わざわざそのことを聞くために?」 「電話で話す話でもあらへんしな。やて、今日こいつらが襲われてんのでハッキリしたな。この件、ガキが動いとるで」 眞澄はスーツのポケットから煙草を取り出すと、火を付けて紫煙を吐き出した。 「ガキ、ですか」 「そうそう、静とあの兄ちゃんを襲ってた奴ら。全員が同じ服着てたやろ?アホ丸出しのチーム名、名乗っとるわ」 眞澄が振り返り、雨宮と静を見る。 そういえば、同じ黒いジャージのようなものを着ていた。言われてみると全員が全く同じ服だった。ただの黒いジャージで統一しているだけかと思ったが…。 「あいつらな、わしの島で御園の乗る車にボーガン撃ち込んだアホや。関西と関東、それぞれに支部置いてクソガキ集めてヤクザ潰しごっこや。害虫は排除っていうのがスローガンらしいで。そのクソガキの関東支部っていうんを見にきたら、こいつらが絡まれとったってわけや」 「ふーん、アホやな」 「せや、アホの極みや。仁流会を潰して、名ぁ上げようちゅうわけなんやろうけど、相手が悪いわなぁ。あの分やと、明神にもちょっかい出しとるで。あのアホ、最近は余所者ともモメてて機嫌が悪いらしいからのぉ。早々にぶっ潰されてそうやけどな」 「あいつはアホやからな」 心は灰皿に煙草を押し潰して、鼻を鳴らした。 明神っていうのは、そんな馬鹿なのかと話を聞いていた静はぼんやりと思った。 しかしあの連中、そんなことをしていたのか?それで雨宮と自分を狙った?それはそれで妙な感じだなと思う。 「まぁ、そのアホみたいな挑戦状も今回のことも、あのクソガキの仕業やと思うで。うちで捕まったアホがそうゲロったからな」 「あの、」 急に静が声を上げたので、雨宮がギョッとした。今、お前が喋るときじゃねぇ!と言いたくても、全員がこっちに注目してしまっていて、何もないですと言える雰囲気でもなくなっていた。 「それって、そうなの?」 「あ?何がや」 「だってさ、変じゃない?何で、俺なの?」 「はぁ?」 眞澄は何を言ってるんだと、蛾眉を顰めた。他も同じだ。何で、とはどういうことだと言わんばかりの顔だ。だが一人、静の言わんとすることを理解している男が居た。 「そうですね。静さんは仁流会が狙われているのに、どうして今回の襲撃の目が静さんにいったのかということを疑問に思ってるんですよね」 「そんなん、こいつのイロなんかしとるからやろ」 「ちゃうちゃう、眞澄、お前は大事なことを忘れとる」 彪鷹が人差し指を左右に動かしながら小さく首を振ると、それを疎ましそうに眞澄が睨んだ。 「うちの愚息の存在こそが、空気みたいなもんってことや」 「空気?」 「このアホは出不精な上、総会に出るたびお前や明神とこの倅と大喧嘩しよるから、総会に出席するんは相馬か最近では可哀想な俺!ま、俺もほとんど出てないけど。やから、こいつの存在をきっちり認識してるんは身内のお前ら上層部連中か、警視庁の及川君くらい。それくらいにうちの愚息の存在は架空扱いなわけ。そんな男の…をそのガキ共はどこで掴んだか」 眞澄は口元で煙草を弄びながら、なるほどなと呟いた。言われてみれば、心の事をあのチーマー連中が知る術があるわけがない。同業者でさえも、相馬や、最近では彪鷹を鬼塚組組長だと誤解しているのに…だ。 と、いうことは…。 「黒幕がおるってことなんかぁ?」 「まぁ、それが一番合点がいく感じやけど、どうやろうなぁ。あんたんとこ、そのクソガキら持っていってまうやろ?」 「うちが尻尾掴んだからには、うちのもんやからな。て、言うてもええんやけど、貸したかて構わんけどな」 「貸し借りよりも手っ取り早く、手ぇ組んだ方がええんやない?ちゅうよりも、手ぇ組むべきやろ。やないと俺やのうて相馬が行動してまうで」 彪鷹はくつくつ笑って、相馬にチラッ視線を向けた。眞澄はそれにフンッと鼻を鳴らした。 「仁流会会長補佐の命令が出る前に、仲良うしろってことか」 権力の横暴やなと眞澄は両手を広げて、首を窄めた。 深夜の公園に赤色灯が灯り、それにまるで光に群がる虫の様に野次馬が集る。及川は暇人がと悪態を付いて、規制線の張られた中からそれを見ていた。 「おい、及川、野次馬睨みつけてんじゃねぇぞ」 「うぜぇもん。ってか、何で俺ら組対が呼ばれるんすか」 及川は足元にあった小石を蹴飛ばして、青いシートで囲われた場所を睨む様に見た。 他殺体発見の一報が入ったのが1時間ほど前。それに合わせて飛び出して行くのは勿論、捜査一課と鑑識だ。 だが、それから何分かして及川達組対が呼び出された。 まさかこのクソ忙しいときに応援要請じゃないだろうなと、不満を隠さずに醸し出していると杉山に窘められた。 「あ、杉山警部、それに及川警視、わざわざすいませんね」 青シートから出てきた小太りの男は、杉山達を見ると慌てて駆け寄り頭を下げた。二人よりも一回りは年上に見える男も、この階級社会では若輩者に気を遣わないといけないなんて鬱陶しい世界だなと及川は思った。 「えーっと、田岡さん、今日は俺等は何か手を貸すことでも?」 杉山がそう言うと、田岡はいやいやと大袈裟に顔の前で手を振った。 「実はね、他殺体なんですけどね。ここ最近、同じ方法で殺されてるガイシャが出てまして。連続殺人かなにかかと。まぁ、これは極秘なんですけど」   「はぁ…」 「何人か、身元が分かってない仏さんも居ましてね。で、そちらの組対出で杉山警部のチームに居た大海っていうのが居るでしょう?そいつが今回のガイシャに見覚えがあるって言うんです」 「大海って」 及川がしごき上げて、胃潰瘍になって捜1に移動した小僧ですか?と杉山が言うまでもなく、田岡は苦笑いをして及川を盗み見た。 「まぁ、それがですね、仁流会の人間なんじゃないかと」 「仁流会?」 その名前にいち早く及川が反応した。田岡は及川の視線に一瞬怯んで、そして何度も頷いた。 「仁流会、鬼塚組。杉山警部のチームが担当してるんですよね?」 「鬼塚組の人間なのか?」 「あ、ええ。えーっと、鬼塚心っていう若いのですよね、今の組長」 及川はその名前を聞くと、田岡を押し退けてブルーシートの方へ向かった。もし以前であれば、そんなことあるわけないだろうと笑えた事も、今の状況ではないとは言えない。 田岡がその及川のただならぬ様子に、まさか本当に鬼塚組なのかと疲弊した顔をみせた。組関係ならば組対に事件を持って行かれる。そうなると捜査がややこしくなるうえに、今まで調べ上げてきたものを根こそぎ持って行かれることになる。即ち、事件が解決したときの手柄もだ。 どうせなら報告せずにいたかったが、ガイシャの身元が割れてないのだからそうもいかなかった。 公園の鬱蒼と生える雑草の上に、まるで捨てられる様にそれは横たわっていた。ジョギング中のサラリーマンが発見したらしいが、子供が第一発見者にならずに良かったものだ。 「もう、いいかい?」 杉山が声を掛けると、鑑識姿の男は軽く返事をした。白いシートをゆっくりと持ち上げ、出てきたガイシャに杉山はギクリとした。 「鬼塚…」 「じゃねぇし」 及川が杉山の後ろから覗き込むと、そう言い捨てた。 確かに心ではない。だが顔付きが似ている。ただ髪色が心の持つ黒髪ではなく、染め上げられた茶色だった。 「あ、違いますか?」 二人の会話を聞いていた田岡が、どこかホッとした顔で頭を掻いた。 白濁した目には何も映ってはいない。その歪んだ表情から、かなりの苦痛を伴っての絶命だったのか。 「若いな。首に絞め上げられた痕があるな。これが致命傷か?で、毎回この殺され方?」 「ええ、ええ。暴行後に首を絞めるっていうのが共通点ですね。ガイシャも力が残ってないのか、防御創がほとんどない、絞められた時にはもう虫の息ってやつですかね。あとは…」 田岡はチラッと及川を見て、頭を掻いた。 「あとの共通点は、ガイシャが皆、似てるってとこですかね」 及川の頭の中で、歯車が激しく動き出す音がした。

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