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第32話

夜になっても心は帰ってこなかった。途中で雨宮が食事を運んではきたが、あまり食欲は湧かなかった。 彪鷹がどうなっているのか分からないし、鷹千穗も…あれは、彪鷹のそばに行きたいだけだったはずだ。 屋敷に居る時はいつでも彪鷹が見える場所に居たし、それだけ大事だということだ。 静は部屋の明かりを消すと、まだ時間も早かったが早々にベッドに潜り込んだ。するとその部屋の壁をコンっとノックされ、静は飛び起きた。 「あ、まみやさんか、ビックリした」 「この部屋、インターフォンでもつけてもらわねぇと不便だわ。勝手に入るのもあれだしな。俺、出るから大人しくしとけよ。つうか、もう寝んの?」 「眠くって…どこ行くの?」 「野暮用。2時間もあれば帰るけど、勝手な行動すんなよ」 「いや、もう寝るし…」 「じゃあ、いいけどな。明日には何か状況わかるから、それまでは大人しくしとけ。じゃあ、おやすみ」 「うん、おやすみ」 部屋を出て行く雨宮の音を聞いて、静の心臓は跳ね上がった。これは、今しかないんじゃないか? 静はそう考えるとベッドから飛び起き、ウォークインクローゼットを開けた。 寝巻きを脱ぎ捨て着替えると、辺りを見渡す。そこには心の靴や服も置かれていて、真新しいコンバースを見つけると、それと自分のジーンズとパーカーを掴んで袋に纏めて入れた。 そして部屋の風呂場近くの丸い大きな窓を開けると、窓際に腰掛けスニーカーを履いて部屋を飛び出した。 庭をまるで泥棒のように息を潜めて歩く。様々な木々が静の身を隠し、隠れながら歩くのは好都合だなと思っていると、赤い小さな光を見つけた。 「げ、防犯カメラ」 小さなモーター音を鳴らしながら、ゆっくりと180度動くカメラから逃げるようにして、身を隠す。 そして地面を這うようにして歩きながら、カメラのちょうど真下まで来ると、壁伝いに歩いた。 「広い!でかい!ばか!」 どこまでデカイ屋敷だと文句を言いながら、ようやく見慣れた場所に出た。車庫のある建物だ。 本当に車庫の横に蔵なんかあるのかと首を伸ばすと、巨大な車庫に隠れて蔵の影が見えた。 上下左右見渡して、防犯カメラの位置を確認する。様々な動きを見せるそれは、死角なんてないように思えた。 「こういうゲーム、あったな」 どうしようかと考えていると、車庫のシャッターの開く音が聞こえた。見ると車が出てきていて、そのハンドルを高杉が握っていた。 「これ、チャンスじゃね?」 静は一か八か、そこをダッシュして走り抜け、蔵の前で息を潜めた。 10分ほどそこで待ってみたが、誰かが飛んでくる様子はない。以前、屋敷に居るのは決まった人間だけと聞かされた。門の外に見張りの人間は居るが中に入る人間は限られていて、あとは厳重なセキュリティで守られていると。 そのセキュリティを管理しているのが、恐らく高杉だ。なので、鷹千穗と雨宮が屋敷の中でやりあっていることもわかったのだろう。 「よし」 静は蔵に向き合うと、その重そうな閂に触れてみた。閂は抜けない様に、これまた大きな南京錠が掛けられていた。 これは、なかなか難関じゃないのと静は南京錠に触れてみた。少し年代物のそれは、ギシギシと小さな音を立てて鳴いた。 まさかなーと思いながら、周りを見渡すと漬物石ほどの大きさの石を見つけた。静は荷物を横に置くとそれを持ち上げ、南京錠に振り落とした。 ガンッと大きな音が響いて、ヤバい!と思ったが周辺に変わりはなく、安堵する。 「はー、やるね、俺」 静はゆらゆら揺れる南京錠を見て、ニヤリと笑った。それはもう鍵の役目を果たしておらず、引っ張ると地面にボロっと落ちた。 太い閂を引っ張り、ようやく蔵のドアを開ける。中は薄暗く、人の気配は感じなかった。 まさか謀られた!?と思ったが、蔵の奥に身体を拘束された鷹千穗の銀髪が目に入りホッとしたのも束の間、その姿にギョッとした。 「鷹千穗さん!大丈夫!?」 静が声を掛けると、鷹千穗は僅かに目を開けた。 「…つうか、すごいな、これ」 静は思わず言葉にする。 鷹千穗は服の様な上着を着せられ、その服にはベルトがいくつも付いていてしっかり締められている。加えて足首にもベルトがされていて、それから伸びた皮の紐が手首を拘束しているベルトに繋がっているのだ。 これは所謂、SM道具か?益々、高杉が分からないと静はそれを一つ一つ解いていった。 「あのさ、彪鷹さんのとこ、行きたんだよね?」 静が言うと、拘束されていた手首を撫でていた鷹千穗は静を見た。 「多分、病院は、あそこだと…だから、うん、行こう」 静が言うと鷹千穗は真っ直ぐ、静を見た。 「大丈夫だよ、行こう。で、一緒に怒られよっか」 怒られるなんてものではないだろう。だが自分の立場がどうなろうと、静は鷹千穗を彪鷹の元へ連れて行ってやりたかった。 あの、初めて彪鷹の名を呼んだ鷹千穗の声を、静は忘れたことがなかった。生まれて初めて、あんな切なく苦しい声を聞いたからだ。 「あー、でもさ、さすがに目立つんだよね。立ってみて」 静が促すと、鷹千穗はゆっくりと立ち上がった。 「あ、やっぱ身長、そこまで変わらないや。よかった。これに着替えて」 鷹千穗に持ってきた服を手渡すと、鷹千穗は不思議そうな顔をしたがゆっくりと着物の帯を解き始めた。 しゅるっと布の擦れる音がして、鷹千穗の着物の前合わせが解け肩から着物が落ちていく。 その現れた肌に静は息を呑んだ。まるで白いキャンバスだ。陽が当たらない生活をしているのもあるだろうが、もともと持つ鷹千穗の肌。白皙というのは、こういう肌のことだろう。 だがさすがに刀を振り回し、雨宮と対等にやり合うだけあって薄い身体にはしっかりと筋肉が付いている。 こういう銅像見たことあるぞと思いながら、その脇腹のあたりに思っても見ないものが目に入り首を傾げて覗き込んだ。 「蝶だ…」 筋彫りだけの掌ほどの蝶。それも片羽根だ。本当にキャンバスだと静がまじまじと見ていると、視線を感じ顔を上げた。 「あ、ごめんなさい…」 鷹千穗の着替えていいのかと言わんばかりの顔に、静は苦笑いをした。 「うわ、まじか」 静は思わず感嘆の声を上げた。何だこれ、外国人モデルか!俳優か! ただのパーカーとジーンズ。中には適当に持ってきたTシャツを着せただけの、お洒落に全く拘らないその姿なのに、鷹千穗が着るとまるで違う。 「反対に目立つじゃん、これ。あー、髪の毛…」 長いのはどうにかなーと静が見ると、鷹千穗は近くに置いてある香箱を縛る紐を解くとそれで髪を束ねた。 「おおおお…」 それはそれで目立つけど、まぁいいかと静は眉尻を下げて笑みを浮かべ、鷹千穗にフードを被せた。 「こうしたら、まだ目立たないね」 静は鷹千穗の着物を蔵の中の子供一人がすっぽり入りそうな壺に押し込むと、二人で蔵を飛び出した。 流石に正面からはいけないよなと、裏口に回ってみたが、門の脇を固めるように大柄な男が二人立っていた。 「うーん」 どうしようかと静が悩んでいると、鷹千穗が静の腕を掴んで屋敷の方へ戻っていく。 「え?どこ行くの!?」 静が聞いても鷹千穗は答えず、庭を抜け、離れになる鷹千穗と彪鷹の住まいへ向かっていく。そして、そのまま家には入らずに、その裏へ向かった。 「こっち来るの初めてだ」 どこまで広いんだと呆れるような広さだが、その見事な庭園は余すところなく広がり管理されている。椿の花や見たこともない花が可憐に咲き乱れ、顔を出した月に照らされるそれはとても幻想的で美しい。 本家の庭にある川は離れの住まいの方まで伸びていて、鯉がゆらゆら泳いでいた。 「あ、裏口。ここにもあるのか」 鷹千穗が連れてきた裏には、恐らくそれが一般的な裏口であろう木製のドアがあった。鷹千穗がそのドアを押してみたが、案の定、開かなかった。 鉄製のノブの下に鍵穴がある。これもまた年代物で、ヘアピンでもあれば開きそうなものだった。 「よし、やるか」 ここまできたら、とことんやってやると静は辺りを見渡した。すると、木に針金で吊るされた札が目に入った。見ると、プラスチックの札に樹木の名前と日付、あとナンバーが書かれていた。 静はごめんなさいと手を合わせると針金だけを引っこ抜き、札を木に立てかけた。 針金を適当な形にすると、鍵穴に突っ込む。中を弄るようにして動かしながら、必死に引っ掛かりを探った。 「くそー、開けってばー」 やっぱり映画みたいにはいかないかと思っていると、針金が中で引っかかった。 「き、きた!」 静はそれを右に左に動かしてみると、カチッとロックの外れる音がした。 軽犯罪犯しまくりだな!おい!と思いながら、とりあえずノブを回してみると、そのドアは長年使われていないのか、嫌な音を立てながら開いた。 「よっし!!!」 少しだけ顔を出すと、木々に囲まれた場所なのがわかった。 そうか、裏手は木に囲まれているのかと初めてそれを知り、静は鷹千穗と一緒にそこから外に飛び出した。 「肩に一発、それは貫通。問題は腹に食らった一発だ」 塩谷は広い会議室の壁に埋まったシャウカステンにレントゲンを嵌めると、振り返った。そこのテーブルに居るのは心と相馬、そして崎山だ。 彪鷹が狙撃され、塩谷はすぐにかつて清子が入院していた病院に呼び出された。軽い処置なら自分の医院で出来るが、輸血が必要とされる手術では設備が整ったここでなくては対応は出来ない。 まさか、こんな大病院の経営の裏に極道が携わっているなんて夢にも思ってないだろうなと思いながら、レントゲンを指で弾いた。 「これが恐らく、肝臓を傷つけてる」 塩谷は肝臓部分に白く映る、小さな塊を指示棒で叩いた。 「銃は何かわかったのか?」 「恐らく、PSG1です」 相馬の質問に崎山が答えると、塩谷はライフルを構える仕草をして口笛を吹いた。 「ミュンヘンオリンピック事件のあれだな」 「はい。銃弾は7.62mmNATO弾です」 「また、えげつないもんで撃たれたな。とりあえず、腹を割いて中がどこまで損傷受けてるか…。最善は尽くすけど、俺は神じゃねぇ。お前らは何かあった時の算段でもしてろ」 塩谷はそう言うと、シャウカステンのライトを消して会議室から出て行った。 「で、何か手掛かりは見つかったんか」 心は全館禁煙ということで吸えない煙草の代わりに、崎山が買ってきた缶コーヒーに口をつけた。 「今、全力で探しています。狙撃場所の特定は早いでしょうが、誰が、となると難しいところだと思います」 崎山の言葉に相馬も心も返事はしなかった。 彪鷹と心は、他人の空似とは思えぬほどに似ている二人である。なのでこれは心を狙ったことなのか、それとも彪鷹を狙ったことなのか。 どちらにしても、彪鷹に何かあっては困る。組としては大打撃だ。相馬は息を吐くと、口を開いた。 「恐らく、今回の犯行もあの挑戦状を送ってきた人間の仕業でしょう。相変わらず及川のところに送られてくる写真には、カウントダウンが書かれているそうです。一番最新は1です。ですので、次に送られてくるのが最後。彪鷹さんを狙ったのも予定通り…」 「次は、俺か」 心は喉を鳴らして笑った。 「自分の立場を理解してください」 「別に、俺もそこまでアホやあらへん。直にやり合えるんやったらやるけどな」 そんなどこに居るのか分からないような人間を、わざわざ相手にはしてられないということだ。 「念のため、静さんは屋敷に戻しました。早瀬にも連絡は入れてますが、店はいつも通りで問題はないそうです。どうしますか?風間へ報告しておきますか?」 相馬の問いかけに心はしばらく考えた顔をして、首を振った。 「言う必要あるか?彪鷹が狙撃されてもうたっていうだけや」 「そうですか。では、とりあえず手術が終わるまでは、あなたもここに居てください。崎山を置いていきますから」 「お前はどないすんねん」 「塩谷が言っていた通りですよ。何かあった時の算段です」 相馬はそう言って立ち上がると、部屋を出ていった。 「…なんか、あったとき、か」 何かとは、彪鷹が死ぬということか?あんな殺しても死ななそうな男が、たった一発の銃弾で死ぬのか。 心はトンっとテーブルを指で弾いて、照明の消されたシャウカステンに取り残されたレントゲンを眺めた。 「結構、あるなぁ」 屋敷から歩いて行くとか無謀だったかもしれないと、静は今更ながら思った。自分一人だったらどうでもないことだが、鷹千穗を連れてというのがリスクが高い。 目立たないように人通りの少ない道を選んでいるせいで、更に遠回りしている。いっそ、タクシーで行こうかなと道路に目をやるが、人通りが少ない場所は交通量も少ないのだ。 ふと、冷たい手に手を握られ、ぎょっとした。振り返ると鷹千穗が手をぎゅっと握っていた。 「…大丈夫だよ、まだ歩くけどちゃんと着くから」 迷っているわけじゃないよと手を握り返す。鷹千穗は外に自由に出歩くようなタイプではないし、真昼間に街を闊歩する姿は想像できない。 もしかすると、今まで自由に行動をしたということが少ないのではないだろうか?だとすると、今は不安だろうなぁと猛省する。 「迷ってるわけじゃないからね」 フードを被る顔を覗き込んで笑うが、鷹千穗は前に視線を向けたままだった。その視線を追うと、二人組の男が静たちをじっと見ていた。 一人はフードを被っていて顔は見えない。もう一人の男は笑みを浮かべ、穏やかな表情ではあるが目が笑っていなかった。 鷹千穗は静の手を引っ張り自分の後ろに回すと、フードを取った。 「鷹千穗さん…」 静は鷹千穗の握った手を引っ張った。 「ほら、やっぱり死神だー」 男、フードを被ってない方が鷹千穗を見て笑った。 死神の名前を知っているということは、組に関係のある人間だ。それも、内情に詳しい方。 「えーっと、君はー、吉良くん?」 「…っ!」 静はまさか名前を呼ばれるとは思っておらず、ぎょっとした。目を凝らして見てみても、見覚えはない顔だ。 パーカーの方の男はフードを深く被っているせいで、口元しか確認出来ない。 「だ、誰?」 静が思い切って尋ねると、男は手を打った。 「ごめんごめん、佐野です。よろしくね」 「さ、の?」 「ふふ、君は吉良静、死神君は名前知らないんだ。教えてくれる?」 「お断りします!」 静が鷹千穗の前に回ると、佐野を睨みつけた。だが次の瞬間に静は鷹千穗に力強い力で後ろに倒されたのだ。 「鷹千穗さん!!」 転がる静が顔を上げると、フードの男が鷹千穗に回し蹴りを放っていた。それを腕で受け止めると、鷹千穗は反対の手で拳を突き上げた。 それを男が交わして、鷹千穗の腕を掴んだ。ぐっと引っ張られる反動を生かして、鷹千穗が身体を宙に浮かして回転させると男の背後に回り背中に前蹴りをした。 あまりの動きの早さに目が付いてかない。静は立ち上がると周りを見渡した。 人は居ないが、こんな場面を見られれば間違いなく通報される。それは拙い。 だが焦る静とは対照的に、佐野は呑気に煙草を燻らせている。 少しウェーブのかかった髪と無精髭。高い鼻梁と笑みを浮かべる薄い唇。少し垂れた目は綺麗な二重が彫り込まれているが、柔らかさは一切なく、どこか闇が見えるようだった。 「あんた、一体…」 ガンッと高い音がして見れば、鷹千穗がフードの男を上段回し蹴りをして吹っ飛ばしていた。男は派手に転がり、それを見た静は鷹千穗の腕を掴むと走り出した。 「走って!!!」 静は鷹千穗を連れて、男たちとは反対方向に走り出した。振り返ってみると、佐野が転がる男を抱き上げているところで、静は必死にその場から走った。

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