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第42話

桜の花びらがまるで雪のように舞った。その舞う花びらに包まれるように、美しい人が幸せそうに笑っていた。 「すごい咲いたわねぇ。ここはやっぱり桜が綺麗ね」 そう言って、彼女は穏やかに笑った。だが視界を遮るように舞う桜が鬱陶しくて、それを手で払っていると彼女は肩を竦めた。 「たまには友達と遊べばいいのに」 細白い指が黒髪を撫でる。それに首を振った。 「つまらんもん」 呟くと、彼女は目を丸くして次の瞬間には声を出して笑った。 「その口癖、逢ったこともないのにお父さんと同じね」 その表情は、どこか嬉しそうだった。 鉛のように重い瞼を開けると眩しいような渦を巻いているような、そんな視界に目を閉じた。だが重い瞼を閉じると、眼球が押し潰されるような何とも言えない違和感が苦痛で、また瞼をあげた。 しかし眩い光がフラッシュのように目に突き刺さり、また閉じる。だが閉じるとまたあの違和感に襲われ、瞼をあげた。 そんなことを繰り返していると、白みがかった視界が段々とクリアになってくる。心は何度か瞬きを繰り返して、自分の居場所を再確認するように眼球を動かした。 白い天井に白い壁、そうか、病院かと思っていると視界に入り込んできた男の顔に蛾眉を顰めた。 「あれ?お目覚めですかー?わかるか?」 「塩谷…」 心は今度は違和感からではなく、瞼を閉じそうになった。目覚め最悪。 「夢、見てた」 「夢だぁ?お前でも夢なんか見るんだな」 塩谷が空笑いをしたが、その手が触れている点滴パックにハッとした。そして次の瞬間には起き上がろうと身体を起こしたが、まるで自分の身体ではないかのようにビクリともしなかった。 ガタガタと動く心の身体の肩口を押さえつけながら、塩谷はワゴンを引き寄せた。 「はいはい、ご安静に願いますよ。まだ起きられたら困るんだよなー」 塩谷はそう言って自由の利かない心の腕を引っ張ると、血圧計を巻きつけた。 「お前みたいな奴は目覚めた途端に起き上がってくるんだよなぁ。脳に損傷があるわけでもないのに、条件反射なのかね」 「何…?」 「お前、覚えてねぇの?ぶった斬られたの」 「…ああ、そうか」 心は一人、納得すると身体の力を抜いた。 「ほら見ろ、暴れるから血圧計エラーになったじゃねぇか。大人くししろ」 「何日経った」 「若い奴の回復は脅威的だな。まだ5日ほどだ。お前のとこの御園斎門に感謝するんだな」 計り直した血圧計が電子音を奏でた。お前は血圧が低いなとか言いながら、塩谷はカルテにそれを書き写した。 そして注射器を手にすると、何も言わずに点滴の連結部分からそれを差し込んだ。 「誰やて?御園…?おい、それ何や」 「鬼頭組の御園斎門。驚くことなかれ、まさかのボンベイ型なんだってよ。お前悪運強すぎるんだよ。奇跡だぞ、これ」 御園が?と言いかけて、心の意識はドロップアウトした。 次に目が覚めた時、視界に入ってきたのが一番逢いたくない男の顔だったので心は再び目を閉じた。やはり、目覚め最悪。 「また眠るんでしたら次は鎮静剤ではなく、あなたの身体に致死量のインスリンを打ち込みますよ」 殺すって言ってるのと同じじゃねぇかと心は渋々、目を開けた。だが、わざとではなく部屋の明かりの眩しさにまた目を閉じてしまった。 「ああ、明るすぎますか」 相馬はそれに気が付いて、部屋の電気の照明の明るさを落とした。それでようやく目を開くことが出来た。 「死にかけた気分はどうですか?」 「死にかけたつもりはあらへん」 「死んでくれたら盛大なパーティーを開けたのに」 相馬は心底残念そうに言うと、大袈裟に溜め息をついた。 「どうなってる?」 心の問いかけに相馬は部屋に用意されているソファに腰掛けて、長い足を持て余すように組んだ。 「彪鷹さんは残念でしたね」 「死んだんか」 「それが死ななかったんです」 紛らわしい言い方をと顔だけ相馬に向けてみる。相馬は肘置きに肘をついて顔を乗せ、心を刺すような強い眼差しで見ていた。 あー、怒り心頭に発してますかと心は顔を元の位置に戻したが、何の面白みもない天井が見えるだけだった。 腕には点滴がされているし、派手に斬られたせいで身体を少しでも動かせば激痛が走る。痛みを少しだけしか感じないのは、点滴に痛み止めでも入っているのだろう。 「心肺停止になって地獄へ召喚されるはずが、死神が憑いている人は違いますね。戻ってきちゃいました」 「彪鷹がそう簡単に死ぬか」 「もう話が出来るまでになりましたよ。そして風間組長も一命を取り留めました。ですが、梶原さんは残念でした」 心はぐちゃぐちゃになったパズルのピースを合わすように、自分の中の記憶を頭の中で整理していた。 こんなにも何日も眠ることの経験が初めてだからか、頭が混乱している。記憶が曖昧で、完全に覚醒しきってないような浮遊感に苛立ちが増した。 「煙草…」 「殺すぞ」 「静は?」 「あなたが峠を越えたので、雨宮と屋敷へ戻ってもらいました。勝手な行動をして二人して崎山の逆鱗に触れたので」 「勝手?」 「あなたの血を分けたのは、同じボンベイ型の御園斎門です。私も知らなかったんですけど、彼もボンベイ型だったんですよ。その御園を連れてきたのは静さんと雨宮です。雨宮は以前、眞澄さんが静さんを攫った時に崎山が内偵に使ってましてね。その時に御園の血液型を知ったそうです。それで二人で鬼頭組に赴いて御園を連れてきたんですよ」 ああ、それで御園が輸血したということかと納得した。いや、しかし…。 「眞澄がよぉ許したな」 「眞澄さんが居れば、あなたは死んでましたね、確実に。眞澄さんが風間組の方へ行って留守だったおかげで、これが可能になったんですよ。あなた、本当に悪運が強くて呆れますね」 「悪運なぁ…」 「私からすれば、アンラッキーでしたけどね。死ななかったし。ああ、それと今回の風間組の襲撃ですが、マスコミが大きく報じてくれましてね。風間組周辺がきな臭くなってきてます」 「弱体化しとるとこ攻撃するんは、国同士の戦争でも基本やろう。番犬はどないした、明神は」 「明神が片付けてはいるんですけどね、梶原さんが居ないのは大きいですね。自首した河嶋達の供述に矛盾もなく、神童との繋がりは出てきませんでした。まぁ、出すわけもないでしょうけど。そして、嬉しいかなあなたをぶった斬ってくれた男ですけどね」 「ああ、あれが鷹千穗とやり合ったやつやろ」 「気が付いてらしたんですか?」 分かってたのにやられたのかと言わんばかりの相馬に、心自身、自嘲する。 「斬られてから分かったってやつやな。殺気も一切ない、ただの訪日観光客やと思うたくらい空気に馴染んどった。アホほど場数踏んできた男やぞ、あれ。観光客に紛れて地図見せてきよった」 「ああ、道を聞かれてると静さんも思ったそうですね」 「笑える。地図で指差したとこが、鬼塚の墓や」 「なるほど…」 「あいつ、静には一切、目もくれんと去って行きよった。ターゲットしか興味がない、俺だけ倒せば十分やった。しかも、確実に死ぬもんでもない」 「ボンベイ型と知ってる…?」 「いいや、死ぬか生きるかに拘ってないねん。ただ、傷つけて、俺の運命を見極めたんや。次は確実に殺しにくる」 心は目を光らせて、ニヤリと笑った。まるでそれを待ちかねているかのような獣のような笑みに、相馬は眉を上げてただ呆れた。 男はビルの屋上に居た。柵の向こう側に座り、足を投げ出している。 高層ビルの屋上のそこからは東京の街並みが一望でき、男はそれを見ながら鼻歌なんて歌っていた。 「ご機嫌なところ悪いけどな」 声に男が振り返ったが、また町へ視線を戻した。声の主は佐野心と名乗っていた、あの男だ。 「神童さんが怒ってるぞ。お前が勝手なことしたから」 「やれって言ったのは来生さんだもん」 男はパーカーのフードを被ると立ち上がり、ヒョイっと柵の上に登るとそこに直立した。少しバランスを崩せば最後、後ろに真っ逆さまだ。 「鬼塚心は死んだ?」 「さぁな…。何でちゃんと殺さなかったんだ」 「殺そうと思ったんだけど、あいつ、避けたんだよ。無意識なのかわかんないけど」 「避けた?」 「頸動脈まで一気に斬ってやろうと思ったのに、そこを避けたんだ。なかなか出来ることじゃない。すごいね」 男はふふっと笑うと、屋上の地面にふわりと降り立った。 「死んだかな、生きてるかな。神はどっちに味方すると思う?でも、もし生きてたとしても逃げれないよ、俺、殺すから」 月明かりが男の弧を描いた口許を照らした。 静は広いキッチンの大きな冷蔵庫から卵を三つ取り出した。磨き上げられた広いシンクの上には、丼に山盛りに盛られた白米。艶々に光る白米が食欲をそそる。 このままでも全然問題はないが、どうせならとお椀に卵を割って掻き混ぜた。そして醤油を取り出すとそこに垂らした。 静はそれに満悦すると、丸椅子を持ってきて箸とお茶を用意すると手を合わせた。 「いただきます!」 「いや、アホかよ」 手を合わせた静に無情な言葉。振り返れば呆れ顔の雨宮が立っていた。 「え、どうして」 「腹減ったなら言えよ。何か作ってやるから」 「いや、これで全然、ご馳走だし。ご飯、結構炊いたからおかわりできるし」 貧乏性が消えない男だなと雨宮は嘆息した。だが静は我慢ならないと溶いた卵をかけると、勢いよく食べ始めた。 「お前見てると忘れるんだよな、尋常じゃない胃袋」 「どうひて」 「口に入れて喋んな。どうせまだ食うんだろ、何か作ってやる」 雨宮は冷蔵庫を漁り出した。静はその言葉でまた、腹が減ったような錯覚に陥った。 屋敷の冷蔵庫は誰が補充しているのか、簡単なものが作れる程度の食材は常に保存されている。 雨宮はその中の食材を吟味しながら、さて何を作ろうかと数が決して多いとは言えない自分のレパートリーを思い浮かべた。 静を横目に見て、あれは静にとっては前菜くらいの量だなと考える。なので、おかず程度の料理ならば何の腹の足しにもならないということだ。 なら肉だなと豚肉に手を伸ばした瞬間、不審者の侵入を知らせるけたたましい警報音が屋敷に響き渡った。雨宮はその瞬間、冷蔵庫を閉めるとキッチンを飛び出した。 それに静も続き、二人して長い廊下を抜け縁側に差し掛かったときに、静は横目に入ってきたものに足を止めた。そしてゆっくりと視線を向けると、息を呑んだ。 庭にある大きな池、いつも鷹千穗と鯉に餌をやっている池の真ん中には大きな岩がある。その岩の上に人が立っていたのだ。 静は縁側の窓を開けて庭に出た。すると風に乗って香の香りが漂ってきた。まるで御園のような香りだ。 全身黒づくめで相変わらずフードを深く被る男は、口元に笑みを浮かべた。 「お前…なんで」 「吉良!」 雨宮が静の身体を抱えて倒れると、風を切るような音がした。見ると、銃を構えた相川が男に向けて発砲していた。 風を切るような音の正体はサイレンサーだ。だが不安定な岩の上に居た男は、そんなことを感じさせないほど軽やかに後方宙返りをして地面へと着地をした。 刹那、相川が銃を捨て目にも留まらぬ速さで男に駆け寄ると拳を向けた。だが、男はそれを余裕の表情で身体を揺らして避けると、そこで回転して蹴りを浴びせてくる。 だがその前に相川は男から距離を取っていたので、その蹴りは宙を切った。 静は雨宮と共に立ち上がると、睨み合う相川と男を見た。すると、その二人の後ろから投げナイフが男目掛けて投げられた。 男はそれに気付き、背中に刺してあった剣を抜くとそれを弾き飛ばした。 剣の柄の先には綺麗な飾りがついていて、男はそれを身体に沿ってぐるっと回すように一回転させてから鞘に納めた。 「へぇ…やるじゃん」 振り返れば、そこには崎山が居た。崎山はいつものスーツスタイルではなく、前に公園で男とやり合った時と同じ全身黒づくめの格好をしていた。男は崎山を見るとニヤリと笑った。 「来ると思ってたんだよね、こっちに。お前の次の狙いは、俺ら幹部だろう?そして最終、病院に居る組長や若頭達を殺ってゲームエンドだ」 崎山はワンピースティックパトルアステカナイフを取り出すと走り出した。男もそれと同時に走り出したが、その足を相川が足払いをして跳ね上げた。 だが、転ぶと同時に剣を抜くと、崎山が振り下ろしてきたナイフを剣で受けその腹を蹴飛ばし、すぐに起き上がった。 そして向かってくる相川を蹴り倒すと、崎山の伸ばした腕を掴んで肘を頬に当てた。崎山は男を蹴り飛ばし離れると、口から血を吐き出した。 「つ、強い…」 静は思わず呟いた。相川と崎山がどれだけ攻撃を仕掛けても柔軟な身体はそれを弾き、そしてあらぬ方向から攻撃を仕掛ける。男は余裕の表情で笑みさえ浮かべていた。この動き、映画で観たことがある。 「長拳だ…」 崎山もそれに気が付いたようだ。相川に目配せをして二人して男から距離を取った。そしてジリジリを間合いを詰めていっていた崎山が何かに気が付き、フッと笑った。 「死神を前に、お前はいつまでそのアホヅラで居れるんだろうな」 静がハッと屋敷の奥へ目をやると、月明かりに照らされる銀髪が目に入った。まるでこの世のものとは思えぬほど、幻想的なその情景に時が止まったように静まり返る。 だがフードの男だけは剣をクルッと回して、黒の着物姿の鷹千穗へ剣先を向けて構えた。 「死神の奴、本気だ」 「え?」 「死神はもともと、裏でもそんなに仕事をする奴じゃねぇ。見た目がアレなだけあって目立つから使うのも難しい。それに仕事をする時も乗り気じゃねぇし、裏に属してたのは彪鷹さんを探すためだけに居たようなもんで本気で使い勝手の悪い男だったんだよ。だけど、今回はあいつが死神の逆鱗に触れた。誰も押したことのないボタン押しちまったのと同じようなもんだ」 静は息を呑んだ。確かに、いつもの鷹千穗ではない。表情がないのでどこがと聞かれると困るが、明らかに鬼気迫るものがある。 鷹千穗は男から3メートルほどの場所で立ち止まると、すっと刀を構えた。相川と崎山はゆっくりと離れ、二人から距離を取る。 それから数分、二人は睨み合ったまま動かなかった。だが、ゆっくりと月が雲に覆われた瞬間に、剣と刀が合わさる音が響いた。 二つの形の違う刃が唸るような音を上げてぶつかる。男は全身を使い踊るように剣を振るうが、鷹千穗は刀を振るい迫る剣を弾く。 鷹千穗は軽々と刀を振るっているように見えるが、真剣の重量は平均1キロほど。それを顔色ひとつ変えず、スピードも衰えることなく振るうことができるのは鍛錬の賜物なのだろう。 鷹千穗の鍛え上げられた身体は、あの真剣を振るうために作られたものだったのだ。 「鷹千穗さん…」 銀の目が月明かりで怪しく光る。すると鷹千穗が刀を振り上げた瞬間に男が身体を落とし、足を伸ばして鷹千穗の足を払い揚げようとした。だが鷹千穗はその動きを読んでいたのか、それを避けるように宙に舞った。 そして飛び上がった瞬間に刀の角度を変え、男の伸ばした足に目掛けて切先を突き刺そうとした。 それに男が舌を鳴らし、後ろへ身体を捻り飛んだ。だが鷹千穗は着地したと同時に刀を下から振り上げた。 鋒は男の顔の前を掠めるように空を切った。すると男のフードが外れ、前髪が少し切れたのか風に乗って舞う。 それは初めて見る、男の顔だった。右の頬に龍のトライバルタトゥーが彫り込まれてある。クルッと円のように丸まった龍だ。 「え…」 雨宮が掠れた声を上げた。そして静は蛾眉を顰めた。鷹千穗は刀を構えると、男も同じように剣をクルッと回して構えた。 「退け!死神!!」 崎山の声に振り返ると、高杉がデザートイーグルを構えていた。崎山は口角を上げると、妖艶に笑った。 だが次の瞬間、高杉の身体に雨宮が体当たりし、照準が外れた弾は男の横を抜けてしまった。男は剣を鞘に収めると、一気に塀に向かって走り出した。 相川がそれに気が付いて追うが、男は軽々と塀を飛び越し、向こう側に飛んで行ってしまった。 「くそ!!出たぞ!」 相川がインカムに叫びながら、門の方へ全力疾走していく。高杉もそれを追うように出て行ったが、崎山は相川が落とした銃を拾うとその銃口を雨宮に向けた。 「裏切り者は、お前だったってこと?」 崎山はそう言うと、芝生の上に座り込む雨宮に向けて発砲した。 「崎山さん!!」

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