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第52話

「さて、ほんで?仁流会に喧嘩売った大元は来生やと。で、手を貸したんが神童…」 心が問うと、月笙は分からないほど小さく頷いた。完全に戦意喪失状態だ。 「神童は日本での様々な手配を…情報能力に長けていて、欲しい情報は何でも手に入れるような男だった。ただ、話の端々には常にお前の名前が出た。お前のことだけを考えている感じだった」 月笙が心を見ると、心は感情のないゾッとするような目で月笙を見下ろし、そしてゆっくりと笑みを作った。 「俺のことを、ねぇ…。で?来生は?」 「来生は…確かブラックカースっていう連中を使って、趣味の悪い事を…大義名分っていうけど、奴のは少し感覚がおかしい」 「感覚?」 「そのブラックカースの連中の中で、お前に似た奴をリンチして殺してたんだよ、バーカ」 王暁が馬鹿にするように言うと、小石が飛んできて額に当たった。それが地面に跳ねて千虎の腕にも当たり、二人して石が飛んできた方を睨みつけた。 だが投げた鷹千穗は素知らぬ振りで、つまらないとばかりにボンネットの上で胡座をかいていた。 「聞いてるじゃん、喋れないとかフェイクなんじゃねぇの?ムカつく」 「あ…」 王暁は苛立ったように言ったが、千虎は何かを思い出したようにスマホを持って鷹千穗の元に行き、画面を見せた。すると、ふっと鷹千穗の表情が感じ取れないほど僅かに変わった。 「音、邪魔になるからね。触るよ?」 念のため断りを入れて、ほんのりと赤みを持った耳朶に触れてワイヤレスイヤフォンをそっと差し入れた。 「何あれ、できてんの?」 王暁は出血のせいでクラクラすると、その場に寝転がった。負けるし傷は痛むし、だが生かされているし散々だと息を吐いた。 今まで一度も負けたことがなかった。王暁の生きてきた世界では負けは死を意味する。負けたのに生かされいるのは恥以外の何ものでもない。 「俺に似た奴をリンチして殺してたんは…知らんな。相馬の野郎、また隠してやがったな」 「来生は自分が生殺与奪の権を握っていると思っている。昔…まだ子供の頃に制裁を与えたことがあるそうだ。以死谢罪…えーっと」 月笙が口ごもると王暁が起き上がった。 「死んで詫びるってことだと。目には目を、歯に歯を、命には命を。来生の鉄則みたいなもん」 王暁はくだらねぇと笑った。 「ガキの頃に誰かに制裁を与えたんか?」 「いつ頃のことなのかはあまり詳しくは聞いてない。ただ、生かすべき人間ではないと来生が判断したので殺したのが始まりだと聞いた。佐野彪鷹には自分と同じ考えを持っていた同志を殺されたと。その時から佐野を殺すことだけを考え、楽しみにしていると」 「今回の金主は誰だ」 「来生だが、来生にも金主は居る。香港マフィアだ。日本は女で金を稼ぐにしてもクスリで金を稼ぐにしても、マーケットがまだまだ開拓の余地のある国だ。富裕層と呼ばれる人間が暇を持て余していて、悦楽を欲している。ただ、日本でマーケットを開くにしても問題がある。それがお前ら極道だ」 「人の国で悪さをすれば排除するのは当然やろ。しかも、日本の法律が通用せんような連中ならなおのこと」 「だから来生は佐野やお前を…ふふふ」 急に月笙が笑い出したので心は蛾眉を顰めた。 「神童が一番分からない。来生に言われてお前を襲撃したと知った神童は激怒して、姿を消してしまった。もう面白くないと。自分で殺したかったのかと思ったが、それもまた違うような…。来生は神童を殺す気のようだ」 「無理やろ」 「え?」 心が言い切るので月笙は驚いたように顔を上げた。神童を知っている人間からすれば、そうなることは当然かもしれない。 優男で極道とは思えない外見と体格。更には組織にも属してなく、神童が身を守る術があるとは思えない。なので殺すのなんて容易いと思えるからだ。 「神童を殺すんは、来生には無理や」 「神童だぞ?色々とあの男のことを知ったが、後ろ盾があるわけでもない男だぞ?」 「神童は、そういう男やってことや」 心が不敵に笑うと、月笙は意味が分からないといわんばかりの顔をした。だが神童を殺すことが容易くないということは、今、奴が生きているという事実がそれを証明しているのだ。 あの彪鷹でさえなし得ていない事を、来生ごときが出来るわけがないのだ。 と、心はジーンズのポケットに入れていたスマホの振動に気が付いた。おもむろに取り出してディスプレイを確認したが、知らない番号だ。 このスマホは相馬でさえも知らないので、組の人間ではない。誰だと、珍しく出てみた。 「はい…?お前……」 心は何も話さなかったが、わずかに漏れる音で電話の向こうでは誰かが何かを話しているのは分かった。 すると通話を終えた心は突然歩き出すと、ポルシェに乗り込んだ。心が動き出したので鷹千穗はイヤフォンを外してボンネットから降りた。 「鷹千穗!訳分からん動き見せたら二人とも殺せ!」 ぎょっとする事を言って、心はポルシェのエンジンをかけた。 「え!?ちょっと、鬼塚さん!」 千虎が心を呼んだが、心は一気にアクセルを吹かして飛び出していった。 涼子は薄暗くなった路地に差し掛かった時、思わず足を止めた。駅から家までは店舗が立ち並ぶ賑やかな場所を歩くのだが、途中で中学校と工場に挟まれた道をひたすら歩かなくてはならない場所がある。 部活動で賑わっているときは夜でもグラウンドを照らすライトで明るいが、それが休みの時は真っ暗になったその横を歩かなくてはならない。 今日は叔父も仕事で遅く、叔母は迎えに行くよと電話をしてきたが友達と一緒だから大丈夫だよと断った。 実際、ここに差し掛かるまでは三人で歩いていたが、涼子だけは道を逸れる形で別れることになるのだ。あまり気持ちが良い道ではないなと思いながら、涼子は少し歩くスピードを上げた。 自分の足音だけが薄暗い道に響いているような気がする。鼻歌でも歌えば気が紛れるかもしれないと、普段では思わないようなことに思考が飛ぶ。 その時、違和感に気が付いた。後ろから同じスピードで近付いてくる気配がしたのだ。 まさかなと思ったが、少しづつ早まる気配に涼子は恐る恐る振り返った。すると柄の悪そうな男が涼子をニヤついた顔で見ていた。涼子はぎょっとして思わず走り出した。 やはり気のせいではなく、後ろの男も追いかけてくる。涼子は声を上げようとしたが、恐怖からか声が出なかった。 だが物陰に人影を見つけ、涼子は安堵から笑みが漏れそこへ急いだ。しかし、助けてと言おうと伸ばしたその手を思わず引っ込めた。 そこに居たのは後ろの男と変わらぬ風貌の男で、それも一人ではなかった。涼子は足を止めて左右を見渡した。高いフェンスと工場を囲む壁に挟まれ、どこにも逃げ場がない。 「やべぇ、超当たりじゃん!超可愛い」 男は興奮気味に言うと、逃げようとする涼子の髪を掴んだ。 「痛い!いや!いや!やめて!」 「いや、やめてーだってぇ」 ゲラゲラ下品に笑いながら、涼子の腰に後ろから手を回した。そしてスカートの下から手を入れると、するりと太腿を撫でた。それに涼子は血の気が引いて男の手を思い切り引っ掻いた。 「いてぇ!このクソが!」 男は涼子を突き放して手を振り上げた。殴られると涼子は思わず頭を手で庇うようにしたが、次の瞬間、男の悲鳴が聞こえた。 「ぎゃあ!!!何だテメェ!いてぇ!」 涼子が恐る恐る目を開けると、そこに居たのは…。 「お兄ちゃん!」 「大丈夫か!?」 「う、うん!大丈夫!」 涼子は静の背中にしがみついた。足元には石が転がっている。どうやら、これを男に投げたようだ。 「おいおい、なんだてめぇはよ。ってか、どっちでも当たりじゃね?男のくせに女みてぇなツラして、お前好きそうじゃん!」 「両方いくに決まってんだろ、上玉だろ、これ」 品定めするように上から下まで舐めるような視線に、涼子はぎゅっと目を瞑って静の名前を呼んだ。小さく消え入りそうな声に静は涼子の手を握った。 「走るぞ」 静はそう言うと、涼子の手を引いて男たちに向かって走り出したのだ。 「お兄ちゃん!?」 男達は逃げられると思ってんのかと笑いながら道を塞いだが静は腰から警棒を出すとそれを振り、一気に伸ばすと下から男の顎を目掛けて振り上げた。 男は静のスピードに付いていけずにそれをもろに喰らい、仲間へ伸し掛かるようにして倒れた。静はその隙に涼子の背中を押すと、前方を指差した。 「走れ!!」 「でも!お兄ちゃん!」 「いいから走れ!」 涼子は迷ったのち、すぐに走り出した。静はそれを見ると男たちに向き合い、警棒を構えた。 男の数が増えてる。やはり、計画されたことかと静は息を吐いた。 「おいおい、逃げちゃったよぉ。つうか、思いっきり殴っちゃって、こいつ伸びてるじゃん、ダセェ」 男は静が殴った男を足蹴にした。蹴られた男は小さな唸り声を上げたが、起き上がる気配はない。とりあえず、一人…。 「神童はどこだ」 「は?誰?意味ぷーなんだけど?」 ゲラゲラ笑う様子を見ると、本当に知らないのか?もしかしたら下っ端の使い捨て…。いや、それでも名前くらいは知っているはず。 何も知らないで本気で涼子を強姦目的で襲ったとしたら、どちらにしても許せるわけがない。 「本当に知らないのか?」 静があれこれ考えていると、男が動いたのがわかった。静は咄嗟に男の脛を蹴り上げ、ぐらついた男の横っ面を警棒で殴ると走り出した。 このまま駅まで出れば交番がある。そうすればこっちの勝ちだ。足には自信があるし、追いかけっこも得意だ。 あまり自慢できることでもないが、逃げることだけで1日終わる時期もあった。体力にも自信はあるし、この辺の地理は頭に入っている。 「楽勝…」 暗かった路地に明かりが入り込んでいる場所が見えてきた、あと少しだと思った瞬間、横道からライトが照らされた。眩しさに立ち止まると、ライトは一気に迫ってくる。 あっと思った時には静は車に跳ねられ、道路に何回転もして転がった。 「何してんだ、女はどうした」 車から降りてきた男の声が耳に入った。全身に激痛が走り、声に集中出来ない。籠もったように聞こえるし、それよりも身体の骨の軋む音がして息がし難く悶えた。 「こいつが邪魔してきて、逃げられたんすよ」 「油断すんなっつたろうが、ボケ」 バシッと乾いた音がした。身体を少しづつ動かすと痛みはあるが耐えられないものではなく、骨に異常もない気がした。 静はゆっくりと、だが大きく息を吐くと痛む上体をどうにか起こし、男たちの方を見た。 ヘッドライトが逆光になり男のシルエットしか見えない。長身で体格の良い男は起き上がる静に気が付くと、ゆっくりと近付きそこへしゃがんだ。 静はようやく見えた男の顔に目を見開いた。痛みが吹き飛び、汗が噴き出した。思いも寄らない男の顔に、寒さを覚えた。 「か、橅木…さん」 「よぉ、静ぁ。ザマァねぇなぁ」 男は煙草を咥えると静の胸倉を掴んで立たせ、乱暴に起こした。静の身体は言うことを聞かずに、引き摺られそのままボンネットに崩れた。 「やってくれたなぁ?あ?」 静が橅木を睨み付けると、その頬を打たれた。グラッと脳が揺れ、星が飛んだ。容赦ない暴力も変わってないと、静は思わず鼻を鳴らした。 「全く大した野郎だぜ、てめぇは。まさか鬼塚組を咥え込むとはな。こんなことならさっさと売り飛ばしとけばよかった」 「いつ…」 静が小さく呟くと、橅木は静の顔に紫煙を吹きかけた。 「出所したか?半年前だ。驚いたぜ。出所の出迎えはなし寂しいもんだ。出迎えなんて来れるわけもねぇよな。組は跡形もなく消されちまって、大多喜の親父も兄貴連中も消されちまってたんだからな」 橅木はそう言うと静をボンネットに押し付けた。首元を締められ、苦しさから橅木の太い手首を掴んだ。 「てめぇは普通じゃねぇって思ってたが、まさか鬼塚組たらし込むとはな」 「…っ!涼子が狙われた理由、あんたが主犯なら納得いったぜ。俺らのことは、何でも知ってるもんな」 橅木が睨み付けるが静はそれに怯むことなく、更には臆することなく大きな目で睨み返してくる。そうだ、これが吉良静だと橅木は静を担ぎ上げると車の後ろに回った。 「離せよ!!おい!!!」 暴れる静に物ともしない屈強な身体は、すでに後ろに回ってトランクを開けていた男の身体を押し退け静を叩き込むようにトランクに入れた。 静が慌てて起き上がろうとすると、その頬に橅木の重い拳が当たり、一瞬、意識が飛んだ。その隙にトランクは閉められた。 「くそくそくそ!!!!」 静は狭く暗いトランクの中で暴れ回りトランクを中から蹴飛ばしてみたが、それが開く様子はなかった。 「くそ…」 とりあえず涼子が逃れたのはよかった。あの、橅木 桔梗という男は大多喜組の若頭で”桔梗”という名を持つ花の花言葉とは正反対の極悪非道な男だったのだ。 大多喜組組長は成金主義でフェミニストぶりたいてらいがあったが、橅木は極道を地で行くような男でその中でも取り立ては情け容赦がなかった。 静の父親が耐えきれずに海に身を投げたのも、橅木の執拗な追い込みが続いていたせいだ。そして大黒柱を失った吉良家で初めに橅木が目をつけたのが涼子だった。 女はすぐに稼げると葬式の場で橅木が母親に言っているのを盗み聞きしていた静は、一か八かの賭けに出たのだ。 葬儀のあと街中で手当たり次第に素行の悪そうな連中と喧嘩を繰り返し、予め持ち出していた父親の携帯で橅木に電話を掛けた。涼子の代わりに自分が何でもするから迎えに来てくれと言ったのだ。 だがまだ決心もつかないし、相談したいこともあるから一人で来てくれという条件を出した。橅木がそんな常套手段に引っかかるとは思わなかったが、組と対峙するのは父親の役目で、この時は静はまだ組員と直接話すことはなく、子供だからと橅木も侮っていたのだろう。指定した場所に一人で来た橅木に、静は胸を撫で下ろした。まずは第一段階だと。 喧嘩を繰り返してきた静は見てくれも何もかもボロボロで、橅木は蛾眉を顰めた。あちこち怪我をして、真新しい傷からは血も出ている。静は橅木に近づくと、その大きな手を力一杯掴んだ。 「父さんを殺したのは…てめぇだな」 「あ?」 静がニヤリと笑うと、橅木がハッとした顔をしてその手を振り払った。すると静は大袈裟に倒れると悲鳴を上げて、暴れた。 「てめぇ!この野郎!」 橅木が静と止めようと首元を掴むと予め通報していた警官がタイミングよく到着し、橅木は傷害で現行犯逮捕されたのだ。 もちろん橅木は静に一切、手出しはしていない。だが静の証言に加えあちこちで負った傷が証拠となり、更には長年組対からマークされていた橅木は、ここぞとばかりに逮捕され実刑判決を喰らったのだ。 子供に嵌められた。恐らく橅木の静への恨みは半端なものではないだろう。更には出所してきて組がなくなっていたら…。 「殺されるか…。いや、待て待て、しっかりしろよ、俺」 静は暴れるのを止めトランクの中で身体を捩って、暗闇の中、手の感覚だけであちこち弄ってみた。 神童に橅木に…とてもじゃないけど太刀打ち出来る相手ではない。だけど、負けるわけにはいかない。 ふと、指先に硬い鋭利なものが当たり、慌ててそれを掴んだ。すると車がゆっくりと動き出したのがわかった。 どれくらい走ったのか、賑やかな街を抜けてどんどん強くなる潮の香り。これは、港か…?埠頭?あそこから一番近い港はどこだ。 必死に頭で地図を描く。もしあの埠頭なら、逃げ道は?いっそ海に飛び込んでもいい。もし、逃れたら…。 ぐんっと身体が揺れた。車が停車して、エンジンが切れたのだ。静は鼓動の高鳴りを感じながら耳を済ませた。ドアが閉まる。足音が聞こえる…。 ピッという音とともに僅かに光が入ってきた。静はその瞬間にトランクを蹴り上げた。 勢いよく開いたトランクは、開けた男の顎に当たり静はトランクの中で手にしたドライバーを突き刺すようにして飛び出した。 その先端が別の男の頬を掠め、視界が開けた。今だ!と思った瞬間、太い腕が静の首に周り身体が宙に浮いた。そして次の瞬間、車に身体を叩きつけられた。 息が止まり、先ほど受けた痛みが思い出されたように全身を駆け巡り悲鳴を上げた。勢いをなくした静は車からずるずると、ボロ切れのように地面に落ちた。 「おやおや…とんだ暴れ馬じゃないですか」 聴き慣れない声、初めて聞くものだ。静がゆっくりと顔を上げると、赤い髪をオールバックにしたサングラスの男が静を見下ろしていた。 真っ白なスーツに黒いシャツに黒いネクタイ。そして黒い革手袋をした手を合わせて、静を見て笑った。その異様な格好よりも男の不気味な顔に静は薄ら寒さを覚えた。 「起こしてくださいよ。顔が見たい」 男が言うと橅木が顎を動かした。すると橅木と一緒に来た男たちが慌てて静を担ぎ上げ、ボンネットに凭れ掛かるように座らせた。

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