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第56話
「Hey!Wait a minute.」
男達の後ろで長い腕が天に向かって伸びた。黄は群衆を覗くように顔を傾けた。
突然に聞こえてきた英語に周りの男達も後ろを振り返る。声は群衆の後ろから聞こえた。
「何だ?誰だ?」
「Sorry…中国語は分からへんねん」
さっと男達が避けたことで見えた顔に黄は目を見張った。思いも寄らない人物の登場は、自分の今居る状況を混乱させる。
まさかと喉元まで出かかった言葉を飲み込み、引き攣った笑いを浮かべた。
「鬼塚心…」
呼んだ名前に周りが騒然となった。心は腰に差した刀の柄に手を置いてニヤリと笑った。まるで侍のようだが、着物姿ではなく真っ黒な戦闘服。
首元まで隠れるタートルネックの服は身体にフィットしていて、心の体格の良さを醸し出してはいたものの身体に巻いてある包帯も服の上から確認が出来た。
その上に羽織る黒のロングコートは風に揺れ、長身の心に良く似合うものだった。
「招待状はあらへんけど、来てみたで」
「……」
「おい、お前。黄やろ?高校卒業まで日本で暮らしてたんや、俺の言葉はわかるやろ」
心が黄を指差して日本語で言うと、黄は口の横を上げて笑った。
「一体、それをどこで…。一部の人間にしか知られてないことだ」
「こいつら、どこで集めた輩だ?手数揃えるためだけで、身体検査したんか?」
黄が周りの男を睨むようにして見ると、男達は互いに顔を合わせ間を取り始めた。言葉は分からなくても、心の目や表情で何かを察したのだ。
『やめろ!陽動作戦だ!惑わされるんじゃねぇ!』
黄の怒声に男達が身体を揺らした。心はそれを見ると、小さく笑った。
「躾は出来てるな」
「こんなところに一人で来て、生きて帰れると思ってるのか?」
「一人で…」
心が独り言のように呟きスッと手を上げると、黄の隣に居た男の額に銃弾が撃ち込まれた。誰もが何が起こっているのか分からなかったが、吹き出す血を見て心から飛び退くように離れた。
「スナイパー…来生を撃った奴か」
「100発100中…ハズさへんな」
心が言うと黄は意味ありげに笑みを浮かべ、首を振った。
「ここでこれだけの人数の男達を撃ち殺すことが出来たとして、俺のこの後ろのビルにどれだけの人間がお前の首を狙っていると思ってるんだ?同胞を殺されて正気じゃない人間は山のようにいるぞ」
黄が言うビルを見上げ、心は肩を竦めた。
「このビルなぁ…。それがどないした」
犬歯を見せて笑みを浮かべた心の目に、黄は薄寒さを覚えた。月光が心の目に当たり、まるで狼のように金に光った。
その自信に満ち溢れた顔に黄はハッとして後ろを振り返った次の瞬間、ビルの真ん中辺りの窓ガラスが爆風で吹き飛び、雨のように散った。
『何だ!!!どうした!!!』
トランシーバーを取り出し黄が怒鳴ると、悲鳴が聞こえた。助けを求める声に黄は心を見た。
「何を…した」
「何も?俺の部下でお前らよりも戦闘に長けてて、このビルのどこに爆弾を仕掛ければ、どこがどう吹き飛ぶのか分かっている奴がちょっとした悪戯を仕掛けたってな」
「何だと!?お前、分かってるのか!?俺らは龍魏 社の…!!」
「ああ、言い忘れとったわ。龍魏社は手ぇ引いたぞ」
「何…?」
『そ、手ぇ引きはった』
トランシーバーから突如、聞こえてきた聞き覚えのない声に黄がギョッとした顔を見せた。
「だ、誰だ!?」
『明神組明神万里。龍魏社はなぁ、あんたらと組んでも利がないってゆー判断にならはったらしいわ』
「みょ…明神組?」
黄の額に薄らと汗が滲んだ。
「このビルの2階にいるのは明神組。3階は鬼頭組、4階は風間組…。何十ちゅう手下がおるんか知らんけど、一人ワンフロア。制圧するにはあと5分もかからん」
「な、舐めやがって!!!!」
黄が叫ぶと周りの男達が合わせるように斬りかかってきた。その男達を銃弾の雨が襲い、黄は目を剥いた。
何故ならば、男達を撃ったのは同胞と同じ格好をした男だったからだ。
「悪いな。俺、本調子やないねん」
それでも残った男達を目に見えぬほど早い太刀で斬りつけ、心は刀に付いた血を振り落とした。
「なぜ…」
「身辺調査はした方がいいって、言ったじゃないすか。俺のブランクある中国語に違和感覚えなかったんすか?」
アサルトライフルを構えた男ー雨宮は、顔に巻いていたスカーフを取り眉尻を下げた。黄は雨宮と周りに倒れた男達を何度も交互に見て、首を振った。
「裏切ったのか」
「裏切るも何も、そういう信頼関係じゃなかったでしょ」
雨宮が肩を竦めると同時に、上から男が降ってきて黄と心達の間に落ちた。砂埃が舞い、心は舌打ちをしたが視界が開けた時には黄は消えていた。
「逃げたか」
「かもしれないっすね。てか、誰っすか。ビルの外に人投げるとか…普通じゃないでしょ」
「…龍大やな」
二人して上を見上げ、そしてビルへと入って行った。
顔がまるで剥がれ落ちるような痛みと燃えるような熱さに来生は目を開けた。歪む視界に点滴が目に入る。
朦朧とする意識の中、爆音と銃声を聞いたような気がした。黄はどこだ、日本へ行くなら、あの男。自分の顔を抉った吉良静を生きて連れてこいと言わなければならない。
口を開けて声を出したが嗄れていて、聞けたものではなかった。
「だ、だれ…か」
ようやく絞り出した声に大きく息を吐いた。だがそこで妙な匂いに気がついた。
鼻を何度か啜って、臭覚に意識を集中させる。これは…血の匂い。どこか出血しているのか?顔がまだ出血しているのか?
身体を動かそうとしとしたが、足に重みを感じてどうにか目の玉だけ動かしてみて、笑った。
「た、たなとす…」
ベッドの足下に腰を下ろして座っているのはThanatosだった。真っ黒な装いで愛用の剣を持ち、顔を面で隠している。
なぜThanatosがいるのか。龍魏 社に切られたか。始末されるということか?
来生は覚醒しきっていない頭であれこれと考えながら、両手に力を入れた。手は動く。だが武器になるような物はない。
そもそも相手がThanatosだ。武器を持っていたとしても、それは玩具に過ぎない。
「大丈夫?具合、悪そうだね」
「……殺しに、きたか?」
「水飲む?喉が乾いただろ。ひどい声だ。あ、水差し取って。それだよ」
誰に言ってるんだと思ったが、Thanatosの隣に現れた男に来生は身体を揺らした。顔に巻かれた包帯の、まだ見える目が取られたのは靡く銀の髪。
「死神…」
「ほら、飲みなよ」
Thanatosは来生の口の端から水差しを差し込んだ。来生はそれに口をつけた瞬間、吸い付くように一気に飲み込んだ。
「慌てるなって。急に飲んだら吐くよ」
「はぁ…、ど、どういうことだ」
水分を補給したおかげで喉が潤い、声がはっきりと出た。来生は手探りでリモコンを探し当てると、リクライニングを起こし始めた。痛みがないのはモルヒネのせいか。
点滴に付いた器具にモルヒネが差し込まれている。意識が朦朧とするのは解せないが、痛みが少ないのはいい。
ある程度、リクライニングを起こすと足下に視線を落として笑みを浮かべた。白い床が一面、絵具でも放ったように真っ赤に染まっている。人が人形のように転がり、何十にも折り重なっているのだ。
来生の手下で来生のボディガードのようなことをしていた、腕に覚えがある連中ばかりだ。
「死神とThanatos相手で生き残れるような強者は居なかったということか…。いや、それは当然か。それで、お前は私を殺しに?」
「No,no,no.でも、今回はやり過ぎたんだよ。俺も月笙も日本の極道を分かっていなかった。それもそう、日本からは依頼が来たことがなかったからだ。何故か。俺らが手を下さなくても”動く”人間がいるってことだ。仲間を殺るときは仲間が動く。これがあれだろ?日本の仁義ってやつじゃないの?」
「侮ってしまったとでも言うんですか?Thanatosともあろう男が」
「そうなるだろ?俺は負けてるんだし。それに月笙がもういいって言うから、もういいんだ。俺らの仕事はこれで終わり」
Thanatosは両掌を上に向けて肩を竦めた。まるで降参とも言えないようなポーズに見えて、来生は小さく笑った。
「まさか…あなたが負けるなんて。それで私は…殺さないんですか?」
「俺は殺さない。でもあんたが死にたくないなら、命乞いでもすれば?通用するのかは知らないけど」
Thanatosが言うと入り口のドアがゆっくりと開いた。来生がぼやける視線で見ると、また誰か一人現れた。
やはり全身を黒で固めた装いだが、右手に握られた銀色の銃がギラっと光った。コルト・パイソンだ。
来生はその銀色のコルト・パイソンに見覚えがあった。愛用していた男を知っていたからだ。だが片目が見えないせいでそれが”その人”であるという認識が取れずに、来生は何度も目を閉じ、頭を振った。
まさか、そんな訳がないどういうことだと自問自答したが、自分の手が触れるところまで男が来た時に来生は小さな笑い声を出した。
「はは…はははは…はーはっは!!!」
笑い声は徐々に大きくなり、血走った目で男を見つめ来生は絶叫した。
「なぜお前がここにいる!!!!!梶原!!!!」
「龍大ー」
4階に上がってきた二人を見て、龍大は腰を上げた。眞澄と万里は息の絶え絶えの男達を足蹴にした。
まるで巨大な嵐が過ぎ去ったような状態で、あちらこちらに男達の屍が転がる。それはどの階も同じで爆薬で吹き飛んだ階は壁も脆く崩れ、見るも無残だ。
「俺ん階のが多かったよねぇ?」
万里は珍しくサングラスもせず、全員が心と同じような黒い戦闘服だ。眞澄も髪もセットもせずにいるので、心にそっくりな男がここに2人もいると万里は煙草を咥えた。
「火、つけんほうがええんちゃいます?」
龍大が指摘すると、万里はふっくらとした唇を尖らせた。
「心のとこの高杉っていうんが爆弾仕掛けてるから禁煙でって、心にも釘刺しとったな」
眞澄も口寂しいのか、舌を鳴らした。
「どっちゃにしても、あのアホは吸われへんやん。重傷やろ、あれ」
「龍大、梶原さんどこや?」
眞澄が聞くと、龍大は上の階を指差した。残すは大将の始末かと、眞澄と万里もその辺に転がる椅子に腰を下ろした。
アジトでもここまで酷いのはないなと三人が思うほどに、衛生面もセキュリティー面も劣悪だ。だがそのおかげで万里達は易々と忍び込めたし、高杉が爆薬を仕掛けることも安易に出来た。
それを踏まえて見ても、ここは龍魏社の傘下というよりは、末端の末端という感じだ。
「やけど、梶原はんが生きとるとか…俺、ついに見たらあかんもん見たかと思うたわ。龍大も知らんかったんやろ」
万里が言うと龍大は言葉にせず、頷いて見せた。さすがに自分が聞かされていなかったのは面白くなかったようだ。確かに、その気持ちは分かる。
だが、敵を欺くには味方から…ということだ。
「そや、俺、死神に初めて逢うてんけど、あらなん?見えてもええ人よねぇ?」
「わしも…初めて。噂ん死神やなて」
鷹千穗に逢った三人の引きようは、いつもは三者三様の人間がこの時ばかりは完全一致にドン引きだった。
銀色の輝く髪に髪の色と同じ輝きを放つ目。白皙の肌は透けるようで、その妖艶で異彩を放つ容貌に普段は物怖じしない三人もさすがにたじろいだものだ。
「あいつ、ろくでもないもん飼うてるやんけ。噂通りとしたら尋常やないぞ、あの男の強さ」
「せやねぇ見た目、なんや華奢な感じもしたけど醸し出す殺気ちゅうか…お手合わせ願いたい男やわ」
「刀使えんの?」
龍大に問われ、万里は“うーん”となる。基本、素手勝負だ。心や眞澄、龍大のように体格に自信があるわけではないので、刀を持ったとしても長い時間、振り回すのは無理だろう。
「ほな、もう一人の…たななんとか」
「Thanatosやろ。あれも刀かなんか、剣使うらしい。やけど両方とも得物なくてもいけるみたいや。Thanatosに至っては世界で暗躍する殺し屋やてな」
「そういえば、一新一家に口利きしてもろうたんですか?」
唐突に聞かれ万里は目を瞑って腕を組んだ。何と言うべきだろう。考えたが考えるだけ無駄かと顔を上げた。
「ちょい繋がり持ったから」
お粗末すぎる答えに眞澄も龍大も妙な顔を見せた。確かにそうなるよねと、とりあえず困ったときの宝刀とばかりにヘラっと笑った。
「お前がか?明神がか?いや、そらないな。それに一新一家と繋がりがあるんは心やろ」
その通り。一新一家と心個人が繋がりがあるのは有名な話だ。そこに万里が何故?と思うのは当然だろう。とはいえ、雷音との事を話すわけにはいかない。
今回、来生と繋がりを持っていたのは龍魏ロォンウェイ 社だ。龍魏社は以前、万里達が抗争していた稲峰組とも繋がっていた。
結局、今回の仁流会の抗争は龍魏ロォンウェイ 社が仕掛けてきた仁流会潰しだったのだ。
来生や稲峰、日頃から仁流会に恨みを持った日本組織を仲間に引き入れ、日本人同士で争うことを狙ったのだろうがそこで動いたのが一新一家だ。
今回の仁流会の襲撃は、一新一家も面白くない話だった。仁流会が消えれば極道のトップに君臨するのは間違いなく一新一家だ。
だが、もしそうなれば香港マフィア、龍魏社は間違いなく恩を売ってくる。それを嫌った一新一家の組長が龍魏 社の兄貴分である龍義 会にこのまま手を引かないのであれば仁流会と手を組むと申し出たのだ。
そうなればもう香港マフィアに勝ち目はない。結果、龍魏社は手を引かざるを得ない状態になったのだ。
「そへんちっさいこと気にしたらあかんえ。たまたま俺も知り合うただけや」
「曖昧やな」
眞澄は鼻で笑うと暇だなと呟いた。
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