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第13話

稽古が終わった後、すぐに去ろうとする月成を笹井が捕まえ、何か話していた。英からは遠くて聞こえなかったけど、そのうち周りにも同じように訴える表情を浮かべた役者が集まっていく。 何度も頭を下げて、「お願いします」と言うのが聞こえた。 まさかと思って近づいていくと、やはり笹井たちは、自分を鷲野役にとお願いしていたらしい。だったら自分もお願いしなければ、と輪の中に入って、一緒に頭を下げる。 「俺の話はできたときに、すでにキャスティングは決まっているんだ。これがオリジナル。明日も同じシーンを見るから練習しておけ」 返ってきた言葉は取りつく島もなく、その後は無視を徹底して、月成は帰って行った。 監督の言うことは絶対だ。そんな存在の人をを説得するのは容易ではないだろう。 「ごめん、英。俺たちの力不足だ」 笹井が申し訳なさそうに頭を下げる。 「明日もしつこくお願いしてみっか」 周りにそう提案したのは、水井だ。知らない間にこれだけの人に支えられて、英は嬉しさで言葉を失くす。 「みんな……」 「遥でも舞台映えは悪くはないと思うけど、キャストへの負担が大きいしなぁ……」 誰かの言葉に、みんなは苦笑を漏らす。 「でも、小井出さんは実力もある人だし……鶴見役も難なくこなしてるからさすがだと思う」 英がそう言うと、「お前はそういう奴だから憎めないんだよな」と笹井は言う。 その後残った人でシーン七十二を通し、笹井と二人で練習をする。彼がバイトで先に帰ると、残された英は一枚のDVDを取り出した。 キャストのみんなはああ言ってくれたが、本当のところ、英には鷲野役を取り戻す自信なんてなかった。舞台の上では神に等しい月成が、元からキャスティングは決まっていたと言う。その言葉を覆すのは、到底無理のように思えてきたからだ。 稽古場にあるデッキを借りて、一人テレビの前に陣取る。何度も見たおかげで、発売元のロゴが出るタイミングまで覚えてしまった。役者を目指すと決めた時から、凹んだ時に観るのがこのDVD。 月成光洋セレクションと銘打ったそれは、その名の通り月成が脚本、監督を手掛けた舞台を集めてシリーズ化している。英はもちろん過去のものは全て持っており、これからも揃えていくつもりだ。 しかし、これだけ脚本家としての名声を上げながら、月成が役者として活躍していた舞台はDVDも出ておらず、社内資料としても残っていない。つまり、英の記憶だけが、月成の貴重な役者姿なのだ。 月成作品に特徴的なのは、光と影を使った演出、そして必ずハッピーエンドとなる脚本だ。英が今見ようとしているのは、『光陰』。児童虐待に悩む、母親の物語だ。 虐待を扱う作品はいくつもあるが、被害者視点であることが多い。しかし、虐待の加害者もまた、行き場のない葛藤を抱えて苦しんでいるという、公演された当時は話題になった作品だ。 そんな重苦しいテーマを使ったかと思えば、次に公演されたのは完全に喜劇だったっけ、と英は笑う。あれだけ横柄な物言いをする人なのに、こんなに繊細な感情を、一体どこに隠し持っているのだろう、と不思議に思った。 テレビが映し出す画面は黒い。母親の葛藤に合わせて、照明は明るくなったり暗くなったりする。 夫に言われた何気ない一言、近所の人の冷たい視線、子供の泣き声――一見気にするような言葉でもないのに、母親は過去の自分と比較して、子供がいかに恵まれているかを認識し、愛したいのに愛せない葛藤に悩まされる。 浮気に走り、愛人の家族と揉め、それが夫にも知られる。昼ドラも良いところのドロドロ愛憎劇。 しかし、あるとき母親の脳裏にある言葉が思い浮かぶ。 「人の感情はね、巡り巡って思いもよらないところから返ってくる。それが自分自身の事だとしても。自分を憎んだら、必ず思いもよらない誰かから憎まれる。覚えておくんだよ」 それは、母親の両親が別居して預けられていたときの、祖母の言葉だった。 それで母親は気付く。愛されていないと思っていたことに。そしてその感情は巡り巡って、夫や子供から、そう思われていたことに。なにより自分自身が、自分を愛していなかったから。 「夫は、最初は優しかった。子供も、最初は可愛かった……」 そこで舞台の照明が一気に明るくなり、夫、子供、近所の人が自分を温かい目で見ていたことに気付く。 自分の事しか考えられなかった母親が、初めて周りに視線がいった瞬間だった。 英はこの瞬間が特に好きだった。舞台のセットは母親の一家を迎えるパーティみたいな雰囲気になっているからだ。 その後の母親のセリフに、「ありがとう」という言葉が極端に増える。一度崩壊しかけたとは思えないほど和気藹々(わきあいあい)とした家族、子供の誕生日パーティ、両親に抱かれて嬉しそうに笑う子供。 その演出に、英は涙が止まらなくなった。 最後に一家手をつないで舞台から()けていく姿に、拍手が送られる。 英はデッキからDVDを取り出すと、気が済むまで泣いた。 月成作品が好きな理由の一番は、最後にものすごい精神力で困難を打破する主人公だ。今回の『僕は鳥になっちゃって、』にも通じるものがある。腐っていた主人公が案内人に気に入られ、魔界に落とされる。人間界に戻ろうとする主人公はその度に案内人に邪魔や誘惑をされる。 しかし、その度に何故か友人の声が聞こえて救ってくれる。そして邪魔をする案内人こそが魔界を仕切る魔王だと知り、直接対決に向かう。 題名の鳥はどこに出てくるのかというと、魔界の空に人間界への扉ができる。そこへ主人公は飛ぶのだ。「僕が手助けするよ」と言う、友人の言葉を信じて。力ずくで止めようと悪魔の群集をけしかける魔王だが、結局、主人公には逃げられてしまうのだ。 (絶対、月成作品に出たい) 英は涙を拭う。 やっぱり、月成作品は英の憧れであって目標だ。こんな所で凹んでいる場合ではない。 英は立ち上がると、すぐにCDをかけた。月成にお遊戯だと言われたダンスナンバーだ。 (オレを使いたいって言わせるためにも) そう思って、無心で自主練をした。後悔しないためにも、全力で当たるしかない。完璧に鷲野を自分のキャラにして、「鷲野は蒲公英しかいない」と言わせてやる。 その日の練習は、日付が変わるころまで続いた。

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